建物づくりの原点を観る-1

2010-04-12 19:48:24 | 居住環境
18日の講習会の資料編集と、今回紹介図書のドイツ語に難儀をしております。ゆえに、大分間遠くなってしまいました。        ******************************************************************************************
[註釈追加 13日3.38]
だいぶ昔のことですが、Architecture Without Architects という書が出版されています。
副題は A Short Introduction to Non-Pedigreed Architecture つまり、「血統書なしのArchitecture」、言うなれば、「名もなき建築たち」。
著者は Bernard Rudofsky。当初は The Museum of Modern Art,New York からの刊行。
1964年11月~1965年2月に、著者の企画のもとに同美術館で開かれた展覧会の図録のようです。

私には、こういう建物が、性に合います。一言で言えば、「衒い(てらい)」がないからです。
そして、ある時代、たとえば、先に紹介した「清新で溌剌とした仕事をした人たち」、鉄やコンクリートが使われだした当初、それを用いて構築物をつくった Engineer たちの仕事にもまた「衒い」がありません。本当の意味で「用」を考える、ただそれだけ考える、それゆえに「衒い」がないのだと思います。
   「衒う」:すぐれた知識・才能が有るかのように自己宣伝する。ex 奇を衒う。

Bernard Rudofsky が、こういう企画の展覧会を行なったのは、おそらく、当時の Architecture、そして Architects に、違和感を感じていたからなのではないか、と思います。

それはさておき、そんな「衒いのない」建物を、少し紹介させていただきます。
行ったことはありませんが、イタリア北部、オーストリアとの国境に近いアルプス山麓:ドロミテ地域の住居群です。ドロミテ渓谷への斜面に展開しています。冬季オリンピックが開催されたことのあるコルティナ ダンペッツォという町(標高1200mほど)のある一帯です。

出典は ALTE BAUERNHAUSER IN DEN DOLOMITEN(CALLWEY 刊)。イタリアの建物ですが、ドイツの出版、ゆえに全編ドイツ語!!
単なる観光案内的な紹介ではなく、調査研究報告書的な内容です。

先ず、ドロミテ地域は、どのあたりの、どういうところか。

前にも触れたと思いますが、西欧のこの類の書物の、日本のそれと大きく違う点は、かならず、その点について一項設けることです。
つまり、イタリアならイタリアのどのあたりで、どんなところで、・・・という具合に説明されます。
しかし、日本の、例えば「日本建築史基礎資料集成」では、掲載される建物の所在地こそ示してはあるものの、それがどんなところであるかはもちろん、建物の配置図さえ示さず、いきなり建物の平面図・・・になっています。伊勢神宮の内宮が、どんな所に、どんな向きで建っているのか、どのような参道になっているのか・・・などは、別途資料を探すことになるのです。「建築史の基礎資料」としては、そんなものは不要、という背後の思想が読めるような気がします。つまりそれは、端的に、日本の建築に対する観方、考え方を示しているものと私は思っています。

下図は、この地域を撮った衛星写真と同地域の概要図です。
なお、地図の原図は、文字が小さいので、スキャンに耐えられません。そのため、新たにつくり、貼り直してあります。以下、他の地図も同じ作業をしてあります。[註釈追加 13日3.38]



概要図のなかに四角の枠がありますが、その枠内の地域にある町を人口別に表記したのが下図。



凡例を分るところだけ日本語にすると、次の通りです。
1.人口1000以上の村、2.人口600~1000、3.人口300~600、4.人口150~300、5.人口50~150、6.散村、7.歴史上の中心地、8.イタリア語らしく不明、ことによると、「伝統的建造物群保存地区」的な意味か?どなたかご教示を、9.この地域の中心都市

この書物は、ヨーロッパの人の編集。ゆえに、イタリア全図は載っていません。皆、よく知っているからでしょう。そこで、別の地図帳から、イタリア全図を載せます。その上の方、青で丸く囲んだあたりがドロミテ地域です。



さて、同書はこの一帯の村・町を、歴史的に、また地形との関係で、きわめて厳密に観察をしてゆきます。
それぞれの箇所で、詳しく解説されている(らしい)のですが、なにせドイツ語、弱っております。
そこで、とりあえずは、どんな村や町の風景が広がっているのか、視覚的に紹介することにします。



この集落は、コルティナ ダンペッツォ盆地にあり、一つは標高1310~1340m、その下の標高1268~1294mにある集落の遠景。背後は3225mの Tofana di Rozes。1958年の撮影。

同じ集落を約30年後の1987年に、同じ角度で撮ったのが次の写真。
とにかく息が長い!日本だったら、30年も経てば、忘れてしまうのでは・・・。

よく見ると、下の集落の手前に、この30年の間に、一軒新たに建っています。建て方は、既存の家々と変っていないようです。



このように、一帯の集落を、歴史的に追いかけ、集落立地について詳細に報告しているのが、この書物なのです。
この写真の集落についてはありませんが、資料のあるところでは、1800年代の地図なども引き合いに出し、その変遷を詳細に追っています。
そして、そのような概観的な視点から、最後は構築方法にまで報告は至っているのです。これは並みの編集ではない、と、あらためて驚いています。

今回はここまでにします。ドイツ語と格闘しながら、次回の編集をいたします。
それゆえ、少しばかり時間をいただきます!

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