補足・「日本家屋構造」-2・・・・軸組まわり:柱と横材:の組立てかた(その1)

2012-08-02 11:04:01 | 「日本家屋構造」の紹介
暑中お見舞い申し上げます。
もうミンミンゼミが鳴いています。いつもは8月も半ばを過ぎてから鳴きはじめるように思います。
猛暑のなかの現場通いで(現場は暑いので有名な甲府盆地の一角)、少しばかり夏バテ気味。
「日本家屋構造」の紹介の続き、少し間が開いてしまいました。ただいま編集中です。


その間に、かつて(社)茨城県建築士事務所協会主催の建築設計講座に際し作成した、日本の建物づくりの技術=建物の組立てかた:構造、およびその基幹を成す「継手」や「仕口」についてのテキストから、先回(補足・「日本家屋構造」-1)の続きとして、「柱と横材をどのように組立てるか」についての部分:いわゆる軸組の組立てかた:を転載させていただきます。

[補註追加 4日 17.25]

軸組まわりの解説というと、多くの場合、柱と横材の取合い、すなわち「仕口」や横材の「継手」の解説から始まるのが普通です。
「日本家屋構造」の叙述の順番もそうなっていますし、私もそういう順番で教わったように記憶しています。
たとえば、突然のように「追掛大栓継」「三方差」・・などの「解説」がなされます。ときには、「こうのす」のようないわば「特別」な例が持ち出されます。
そこでは、それが強固な継手である、あるいはすぐれた仕口である、とは説明されますが、それを「全体のどのあたりに、どのようなときに、設ける(のがよい)か」という解説は一切なかったと思います(「追掛大栓継」は梁や桁に使い、1本ものと変らない強さがある・・・といった説明で終り)。他の継手や仕口についても同じでした。
   継手・仕口の解説本でも、その継手・仕口だけについて、強い、弱いという程度の説明で済んでいるのが普通です。  

多分、教える側には、「部分」をいろいろと知っていれば、その足し算で「全体」をつくりあげることができる、との考えがあったのではないか、と思います。
しかし、「単語」を知っていても「文章」がつくれるわけではないのと同じで、継手や仕口など、「部分」をたくさん知ったからといって、それで「全体」が構築できるようになるわけではない、ことは自明の理です。  
教わる側は、「全体」を構築するには、何をどう考えたらよいか、まずそれが悩みの種なのですが、教える側はそれが分らないのです。
教える側自身にも必ずそういうときがあったはずなのに気づかない。
あるいは、それは自ら会得しろ、というのかもしれません。
しかしそのとき、会得するに相応しい場面・状況を、具体的につくったり提示していたか、というと、そんなことはまったくない。
本当のところは、教える側自身、何をどう考えたらよいか、分っていなかった、・・・のかもしれません。   
    ・・・・
    それゆえに私は、諸学舎の教師たちを呼び集め、つぎのように語ったのだ。
    「思いちがいをしてはならぬ。おまえたちに民の子供たちを委ねたのは、
    あとで、彼らの知識の総量を量り知るためではない。
    彼らの登山の質を楽しむためである。舁床に運ばれて無数の山頂を知り、
    かくして無数の風景を観察した生徒など、私にはなんの興味もないのだ。
    なぜなら、第一に、彼は、ただひとつの風景も真に知ってはおらず、
    また無数の風景といっても、
    世界の広大無辺のうちにあっては、ごみ粒にすぎないからである。
    ・・・・
    ・・・・
    言葉で指し示すことを教えるよりも、把握することを教える方が、
    はるかに重要なのだ。
    ものをつかみとらえる操作のしかたを教える方が重要なのだ。
    おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、それが私にとって
    なんの意味があろう。それなら辞書と同様である。
    ・・・・
                             サン・テグジュペリ「城砦」(みすず書房)
    これは、私が学生時代に読んで共感し、以来、そのようにありたい、と心がけてきた「教え」です。

そういうわけで、この「設計講座」では、極力、部分から全体へ、ではなく、全体から部分へ、という流れの中で分ってもらえたら、との方針で臨みました。テキストもその主旨で編集してあります。
しかし、すべては試行錯誤、十全ではないのは言うまでもありません。そのあたりをお含みの上、お読みください。
  なお、先回でも触れましたが、ここでは「胴付」を「胴突き」と表記しています。

はじめは、(二階建ての)建物の骨組は、どのようになっているか。
そして、横材すなわち梁や桁は、その上に載る重さによって撓んだり曲ったりするけれども、その撓みや曲りの程度は、梁や桁の取付けかた:支持のしかた:によって異なる、ということについての概略の解説です。

現在の法令の規定は、図のAを前提に考えていると考えてよいでしょう。
簡単に言えば、架構としての強さは、筋かいなどのいわゆる耐力壁が担うから、横材は柱に簡単に掛かっているだけで、その上に載る重さに耐えればよい、という考え方です。
しかし、すでに「壁は自由な存在だった」など、いろいろなところで触れてきているように、日本の建物づくりの技術は、中世末には、図のC’のような形をなすようにつくれるようになっており、近世にはさらに進展しています。
そこでは、架構全体が外からかかってくる力に耐えればよい、という考え方を採っているのです。
それは、ひとえに、開放的な空間をつくるための「工夫」であった、と言ってよいでしょう。その方が、日本の風土では、暮しやすいからです。

   補註 図C’は、横材に生じた力が、柱へと伝わり、
       柱の各部に図のような大きさの力が生じている、ということを示した図です。
       鉄筋コンクリート造の場合には、このような姿になります。
       一方、木造建築(特に伝統的な日本の建築)の場合、柱の根元は地面と一体にはなっていません。
       そのため、この図のような形にはならず、柱に伝わった力は、
       足元で、柱間に影響を与えます。簡単に言えば、柱間を狭めたり、拡げようとしたりするのです。
       そのような動きを留めていたのが地面に据えられた礎石です。
       礎石は、建物の重さを支えるだけではなく、
       柱間の幅の増減・移動をも留める役割を持っていたのです。
       さらにその動きを留めるのに役立ったのが「足固め」でした。
       「足固め」を設けると、木でつくった「枠:rahmen 」:「箱」を礎石の上に置く、という形になります。
       そうすると、礎石と「箱」は、分離していますから、地面の動き=礎石面の動きは
       「箱」に伝わらない=地震とともに動かない、ということになるのです。
       その反対に、建築基準法の規定は、
       木造建築をコンクリート造のようにしよう、つまり、「枠」:「箱」を地面に埋め込む、
       という《考え》だと言えるでしょう。
       その結果、地面の動き=地震とともに動くことになるわけです。
       コンクリート造を、伝統的な日本の木造建築のようにしよう、というのが、いわゆる「免震」構造と言えます。
       割り箸などで簡単な模型をつくり、力をかけてみると、この力の伝わり方を実感できます。
                                                 [補註追加 4日 17.25]

次は、はじめに通し柱管柱(くだばしら)の役割について、次いで、柱と横材をどのように組むか、その組み方:架構法:をモデル化して説明しています。  


これまで何度も紹介してきた奈良・今井町の「高木家」は、架構法Cの典型です。
   同じ今井町の「豊田家」もこの架構法ですが、いわゆる大黒柱を多用している点が「高木家」と異なります。

次は、二階床のつくりかた。これもモデル化して解説。


次は、横材の寸法:大きさ・太さ:をどのように決めるか、その決め方の説明。

材料の太さを大きくすれば建物が強くなる、と単純に考えるのは誤りです。
いわゆる「民家」は骨太である、と一般に言われていますが、上の「島崎家」と「堀内家」の例は、それが誤解であることを示す事例です。
今井町「高木家」も、不必要に太い材料は使わない好例です。

次は、二階の床をどのようにつくるか、いわゆる「床組(ゆかぐみ)」(「床伏」とも呼ぶ)について。


次は、このような架構法に使われる継手や仕口についての説明ですが、分量が多くなりますので今回はここまでにして、「その2」として載せることにします。

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