屋敷構え-3

2007-12-07 11:41:08 | 住まいの構え方

先回までは、台地上の屋敷。今回は、その台地から下った水田際の集落内の屋敷。
台地の上と水田との標高差はおよそ10~15m。
この集落は、水田から数m高い、丘陵が湾状に凹んだ南向きの斜面に肩を寄せ合うようにして家々が並んでいる。西~北~東と樹林の繁る丘陵に囲まれているから、ここには北西風はまったくあたらない。つまり、家々を囲む自然の樹林が(自然と言っても、当然手がはいっているのだが)、屋敷林の役を果している。屋敷面積は広い。

この一帯への人びとの定着は古く、今住まわれている方々は、大半が稲作を主な生業として住み着いた人たちの末裔である。調べてみると、戸数は江戸時代とほとんど変らないようだ。耕地面積との関係だろう。

先回までの紹介で書き忘れたが、このあたりは、秋・冬から春先にかけての北西風のほかに、春先から梅雨時までの間、ときには夏にも、北東風が吹きつけることがある。東海上の冷たい空気をもってくる風。東北地方で「やませ」と呼ぶのと同じで、ときに冷害をもたらす。だから、台地上の集落は、東側にも屋敷林を持つ場合が多い。
この水田際の集落では、地形ゆえにこの北東風もあたらない。

ただ、夏場は、水際にあるのと盆地状の地形ゆえに、湿った空気が溜まって動かず、きわめて湿度が高くなる。台地の上から下りてくると、へばりつくような湿気に驚く。
こういう気象を体験すると、日本の建物のつくりかたの理由がよく分る。屋敷を構え、軒を深くして直射を避け、開口部を多くとり、対流を起こし、空気を動かすことで涼をとる。そうでありながら丈夫なつくり、そういうつくりを編み出してきたのだ。
ところが、こういう一帯にも、息がつまらないか、と心配したくなる年中空調に頼らなければ暮せないような、高気密・高断熱の建物が、若い世代の間で増えつつある。

今回紹介の①は、多分この集落では一番古く住み着かれた方の屋敷。
空中写真で屋敷の北側から東側への丘陵一帯は、すべてこのお宅の土地で、手広く畑や栗の栽培、栗の苗木の生産などをしている。
屋敷の奥行が深く、長屋門を入ってから大分先が主屋。台地上の道路から、屋敷を見下ろすことができるのだが、樹林に隠れて建屋は見えない。

このお宅に道一本隔てて並ぶのが②のお宅。このお宅も旧家。姓も①と同じ(一帯には同姓が多い)。目の前の水田のほかに、台地上にも広く畑地を持っている。
①②ともに篤農家の専業農家(この集落でも、兼業農家が増えている)。
②は門構えもなく、樹木を植えているだけで、生垣にもなっていないが、屋敷内は落ち着いている。

主屋の建屋はいずれも平屋の瓦葺き。間取りは台地上の例と同じで、南側の玄関脇に接客空間、右手奥に日常の居住の部屋が並ぶ。高気密・高断熱の建物が増える一方で、最近でもこういう建物をつくるお宅があるので、機会をみて紹介する。


「限界集落」という言葉をよく聞くようになった。人口の半分以上が65歳以上の集落。共同体が維持できなくなる限界にある、という意味のようだ。
この一帯も、高齢者が増え、専業が減り、兼業が増えてはいるが、いまだに三世代居住が多く、したがって子どもも大勢見かける。小学校まで、歩いて50分、夕方には道草をしながら帰る子供たちの姿を目にすることができる。その点、研究学園都市などよりは「健全」である(学園都市は、かつての「団地」同様、高齢者がいたって少なく、子供たちは道草のしようもない)。

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