屋敷構え-2

2007-12-05 12:47:13 | 住まいの構え方

今回の屋敷は、先回紹介した事例(地図の①)の南側にある(地図の②、空中写真の〇で囲んだ部分)。

  註 空中写真はgoogle earth、地図はゼンリンのデータによる

先回、今回の事例は、比較的広い標高20~25m程度の丘陵上の集落の一画。一帯の古くからの通称名には「牧」の字が付いていて(住所表示は別名)、古代~中世には牧があったらしいが、今は畑作が主体。
ある時期までは養蚕が行われていたから、御用済みになって巨木になった桑の木が、今でもあちこちに残っている。茶畑もあったらしく、葉を摘まれないまま大きくなった茶の木も散在し、今花の盛りである。

こういう風景を見ていると、いわゆる名園といわれる庭のつくりの源は、「農」にある、そこでの体験・経験があってこそ、造園という行為があり得たのだ、と思えてくる。そうでなければ、樹木、草木の癖や、その醸しだす微妙な気配を身につけることはできなかったと思えるからだ。


この台地の南側にある河川沿いに水田が広がり、台地上の農家の水田もそこにある。今回紹介する屋敷の東側を通る道は、集落から水田へ下る道の一つ。集落共同の籾の乾燥小屋が道の下り口にある(写真)。

この屋敷の主は、どちらかというと、遅くなってから(と言っても江戸期の末ぐらい)移り住んだのではないかと考えられる。このあたりには少ない姓で、集落の主要部から離れていることからの私の推測。
北から西へと屋敷を囲む樹林も、広大で背丈も高いが、先回の事例に比べると年数は経っていないように見える。欅も混じっているが、丈は低く、針葉樹に埋もれてしまっている。

屋敷自体も先回の例に劣らず広いが、屋敷のすぐ南にある畑も当家の畑地で、屋敷の数倍はあり広大。
畑地の南は急斜面で水田に落ち込むが、その縁にも樹林が並んでいる。畑地になる前は、一帯が山林だったと思われる(遠くから見ると山林に見える場所があたりに数多くあるが、その多くは、行ってみると、樹林はまわりだけで、中は見事に開墾されている場合が多い)。

屋敷の中には主屋のほかに蔵が二棟、「までや」二棟、と数多いが、一時に建てられたわけではなく、徐々に形づくられたもの。門や塀も数年前に、生垣にかわってつくられたばかり。建屋は全部瓦葺き。
主屋は、門から全部は見えないが、「玄関」の左に縁側をともなった接客空間が広がり、かねおりの先に離れ・書院があるようだ。
この「玄関」は普段は戸を閉じたままの客専用玄関。つまり、「武家住居」の写し。

この玄関とは別に「内玄関」がひっそりと脇にあり、家人の常時の居住は、その玄関の右奥のあたり。夜は、そのあたりからだけ光がこぼれ、正面は真っ暗。このあたりの農家は皆同じである。

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