日本橋をまたぐ首都高速の橋が話題になっている。いまさら何を?という気がするが、しかし首都高の橋のひどさは、日本橋だけではない。
日本橋のすぐ近く、隅田川に出ると、吾妻橋、両国橋など関東大震災後につくられた鉄の橋をいくつも見ることができる。
そのどれも、どこから見ても(橋の下からでも)よく考えられ、デザインされている。
もちろん、力の流れに対しても素直で、単に見えがかりだけ考える最近の《デザイン》とは違う。
鉄の橋は、言うまでもなく、材料の主役として鉄がデビューした産業革命以後つくられるようになる。
その世界最初の例が、産業革命の揺籃の地、イギリスCoalbrookdaleに1779年につくられた鋳鉄のアーチ橋、The Severn Bridge(図・写真)で、現在文化財として保存。長さは31m、川面からの高さ14m。
石のアーチを手本に設計、五つの部分に分け鋳造(最大21mの部材を砂型で鋳造:当時では画期的な大きさの鋳造)、木造の「蟻継ぎ」「殺ぎ継ぎ」あるいは「楔締め」などを応用して組立て、リベット、ボルトは使っていないとのこと。
鉄の総量は約480トン、今ではこんなには要らない。
一番長いアーチ橋の中央が「ヘの字」に盛り上がっているのは、図の手前の左側(写真では手前)の橋台が土圧で川側に押されたからだという(石の場合は、石の重さで土圧に耐えている)。
技術の進展の一過程を示していて興味深い。
今だったら「計算しないと分からない・・・」と思って、やらないにちがいない。「計算できる、計算できた・・・」というのは、はたして「分かること、分かったこと」なのだろうか、技術にとって進歩なのだろうか?
図は『つくりながら学ぶやさしい工学②:橋』(草思社)
写真は“Greate Engineer"(ACADEMY EDITIONS,LONDON)からの転載です。
日本では、1885年につくられた鋳鉄橋が文化財として保存されている。
「鉄の橋-2」で紹介します。