日本の建物づくりを支えてきた技術-18の補足・・・・法隆寺・綱封蔵の外観ほか

2008-12-10 18:31:44 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

「法隆寺・綱封蔵(こうふうぞう)」の東側全景と吹き放し部分を東側から見た写真を載せます。「奈良六大寺大観 法隆寺一」からの転載です。スキャナーの関係で、原版の一部しか載っていません。
吹き放し部を通して見えるのは、「妻室」「東室」「金堂」の屋根と「五重塔」の頂部です。

右下の写真は、茨城県石岡市郊外の「常陸風土記の丘」に復元された高倉の床下です。
この倉は、常磐道の工事で発見された「鹿の子遺跡」の一角にあったものの想定復元の倉です。

「鹿の子遺跡」は、奈良時代から平安時代初めにかけての常陸国府の国衙、直営工房で、この倉はその一角をなす倉と考えられています。一帯は、東北地域支配のための前衛基地の役割をはたしていたようです。

この写真は、その高床の倉の床下。
この復元では、束柱の頂部に梁行・桁行とも「頭貫」を通し、「台輪」は桁行と、妻面の梁行だけに据えてあり、写真のように、中途の柱列にはありません。梁行が短いからでしょう。「想定復元」ですから、どこかに参考にしたモデルがあるものと思われます。
筑波山の麓、北条の近くの「平沢官衙」跡にも「想定復元」による高床の倉が復元されていて、これも近寄って見ることができます。


次回

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