3.大徳寺 孤篷庵(こほうあん) 小堀遠州により1612年(慶長17年)造営、火災に遭い寛政年間(18世紀末)古図により再建
孤篷庵(こほうあん)は大徳寺の塔頭の一であるが、他の塔頭とは性格が異なる。
幕府の作事奉行を務めた小堀遠州が、自らの菩提所として自ら設計した。当初の建物は焼失したが、後に古図により再建され、当初の姿を持っているとされる。
孤篷庵(こほうあん)の最大の特徴は、敷地内の方丈、庫裏、書院、茶室などを、当初から一続き・一体の雁行した建物として計画していることにある。各所に用意される坪庭も含め、庭も当初から建物と一体的に計画されている。つまり、敷地内の空間を、建屋か庭であるかを問わず、すべて見通して設計していることになる。
桂離宮と類似してはいるが、桂離宮の場合は、増築を重ねた結果であり、孤篷庵(こほうあん)とはかなり異なる。
配置図 西沢文隆「実測図ー建築と庭」より転載・編集
日本建築史基礎資料集成二十茶室より転載・編集
本堂~書院 平面図(配置図橙色枠内) 方丈部分は畳1畳を6尺3寸×3尺1寸5分とした内法制の柱割。書院部分は、基準柱間を6尺5寸とした芯々制の柱割。 芯々制と内法制の切替えは、畳廊下東の壁面で行なっている。
庭の西南隅から書院~本堂を見る 入り隅の刈込み生垣の右手が忘筌 画面左には山雲床への路地が続く 日本建築史基礎資料集成 二十茶室より
書院部分平面図 基準柱間 芯々 6尺5寸 柱径:約4寸3分、山雲床(さんうんじょう)は3寸5分
平面図・断面図・展開図共に 日本建築史基礎資料集成二十茶室より
書院部分 桁行断面図 たすきがけ筋かいは修理時の追加。
山雲床 展開図
山雲床 北面 原色日本の美術15 桂離宮と茶室 より
書院部 天井見上げ図 日本建築史基礎資料集成二十茶室より
書院部 梁行断面図
畳廊下部分 梁行断面図 重要文化財孤篷庵本堂・忘筌及び書院修理工事報告書 より
桁行、梁行とも方丈建築と同じ桔木を使う架構法を採っている。 特に、梁行の桔木は、小屋裏深くから始まっていて、軒を支えるだけでなく、小屋組全体の強度増強の役を担っている。
日本建築史基礎資料集成二十茶室より
本堂 平面図 畳長さ6尺3寸を基準とした内法制柱割 柱径 内部は4寸7分 外回りは4寸9分 忘筌は4寸1分~4寸6分
重要文化財孤篷庵本堂・忘筌及び書院修理工事報告書 より
本堂 桁行断面図 架構法は、方丈建築を踏襲。
忘筌への軒下路地 写真共に日本の美術83 茶室 より
忘筌西側の縁
忘筌西側の縁を見る
日本建築史基礎資料集成二十茶室より
本堂 天井見上げ図 南側の3室:十二畳・室中・十畳は一続きの天井で欄間はない。
本堂 梁行断面図 重要文化財孤篷庵本堂・忘筌及び書院修理工事報告書 より
忘筌 東側を見る 日本の美術83茶室より