[註記追加 2月17日 9.10][同 9.40][同 9.48][文言追加 9.58]
16日二度目の記事です。「感想」が冷え込まないうちに・・・・。
今回の実験は、昨年に行なわれた実験(下註参照)の続きだそうです。
註 「木造建築と地震・・・・驚きの《実物》実験」
文章は(あるいは言葉づかいは)、自ずと、その文章の書き手の「思考の構造」を表してしまうものです。
上掲の文章は、今回の実験の趣旨、目的について書かれたもので、今朝の(深夜の)記事でも掲載しました。ただ、今回は、私の「気になった」箇所に傍線をふってあります。
この文章は、主に、報道関係者へのプレスリリースを目的としているものと思われますが、報道と言うのは、広く一般に公開されるのがあたりまえですから、より正確な物言い、言葉づかいが必要になるものだ、と私は思います。
どうせ一般は専門的なことは分らないのだから、「適当に」説明すればいいや、などというのはもってのほか、むしろ一般向けにこそ、丁寧で間違いのない説明が求められるのではないでしょうか。
おまけに、これは、「科学的な実験」なのですから、なおさら、実験の趣旨も文章も正確でなければならない、と私は思います。
そこで、私が疑問に感じた箇所に傍線をひいたわけです。
文章の順序とは関係なく、「気になる箇所」を見て行きます。
一番気になるのは、「研究概要」中の「垂れ壁と柱から構成される『架構』面を対象として」という箇所です。註書きに、「架構」とは「柱、はり及び壁などから構成され、建物を支持する構造体」とあります。
そして、「実験の目的」には、その「対象」が「伝統的木造建築物の耐震要素となる垂れ壁と柱からなる構面」と言い直されています。
実は、ここに最大の「思考上の問題」があります。
それは、実験担当者の頭の中に、「伝統的木造建築」も、現行の「在来工法:法令の推奨する軸組工法」と同じく、「耐震要素となる部分」と「耐震要素にならない部分」とから成っている、という「思い込み:先入観」があることです。
これは決定的に誤りです。
わが国の工人たちが行き着いた建物の架構のつくりかたは、「架構体」全体で外力に対応する(「対抗する」ではありません)という考え方です。
部分の足し算では考えるようなことはしていません。
もちろん、強いところと弱いところをわざわざつくることは決してしていません。
これは、工人たちが「現場」で行き着いた結論と言ってよいでしょう。
実際に現場で建物をつくっていれば、むしろ、そのような結論になるのが当然なのです。
そしてまたそれは、詳しく日本の建築の歴史:技術史を見れば、誰にでも(専門家でなくても)、自ずと分る、理解できる「事実」です。
註 「・・・の技術」シリーズで、ここしばらく「浄土寺浄土堂」
そして「古井家」などの架構法を見てきて、あらためて私は
わが国の工人たちの考えた架構法は「一体化立体化」である、
という考え方に確信を持つようになりました。
残念ながら、この実験者は、この「事実」を無視しているのです。
そうでありながら、この実験者は、「伝統的木造建築物の耐震要素となる垂れ壁と柱からなる構面」の「性能評価」をするのだと言っておきながら、実験にかける「試験体」を見ると、「構面」を組み合わせた「箱:立体」を「試験体」としています。
しかも、直交する面は、構造用合板による「伝統的木造住宅」にはあり得ない頑強な「箱」です。[文言追加 2月17日 9.58]
これでは、「構面」の実験ではなく、「構体」の実験です。
「構面」の性能評価をするのならば、このような立体をつくっては実験の趣旨・目的に反します。
実験の趣旨に従うのであれば、1枚の「構面」だけを実験しなければ趣旨・目的に反します。「科学」の常道をはずれています。
註 物理学ならば、「構面」のデータの取得と「宣言」したならば、
なんとかして 「構面」を自立させ、実験するでしょう。
そして、そもそも物理学ならば、「架構体」を「在来工法」的
に分解して扱わないでしょう。
つまり、ありのままに「架構体」の挙動を観ようとするでしょう。
[註記追加 2月17日 9.48]
では、彼はなぜ試験体を「構面」ではなく「箱」:「構体」にしたのでしょうか。
それは、彼が、「構面」だけでは自立できないことを知っていたからです。そこで「常識」が働いたのです。建物の「架構」とは「立体」である、という「常識」です。
この実験で、実験者のいうところの「構面」に生じる諸現象のデータは、実験にかけられた「箱」:「構体」を構成する「一構面」に生じたデータなのであって、純粋「構面」のデータではない、ということに気が付かなければなりません。
はたして実験者は気付いているのでしょうか。
註 「概要」文中に言う「木造住宅の一部を取り出し
簡略化した架構面からなる試験体のため、
1方向の加震実験により評価に必要なデータを
取得することが可能・・」の文言に、
この「実験」が「データのための実験」であって、
「伝統的木造住宅そのものの挙動を知る実験」ではない、
ということが如実に表れています。
これは、先に行なわれた「実物大実験」と同じです。
[註記追加 2月17日 9.10]
もしかして、「各構面の足し算が全体である」とでも、
考えているのでなければ幸いです。
[追加 9.40]
そして、もしも気付いているのならば、根底の考え方、すなわち「伝統的木造建築物」を「在来工法」的な観方で扱うことを改めなければなりません。
そして、もしもこのことに気付いたならば、たかだか2年ほどの、誤った理解の下での実験で得られたデータをもって、耐震設計法の構築に資する、などと言うのも誤りであることに気付かなければなりません。
「在来工法」がはびこる以前のわが国の「建築架構技術」は、気の遠くなるほど長い年月の「現場」の実験で鍛え上げられてきた技術です。
それを、たかだか数年の「実験」結果だけで指針を与え指導する、などというのがいかに非科学的な所作であるか、認識して欲しい、と思うのは私だけなのでしょうか。
註 もしもこういう実験を基に、
「伝統的木造住宅」に耐力壁を設ける、というような「指針」や、
「差鴨居」上は小壁にせよ、というような「指針」を出すなどと
いうことを「目的」としているならば、
それはすでに、「伝統的木造住宅」を否定していることなのであり、
「活用」どころか「伝統技術」を抹殺することに連なるのです。
[註記追加 2月17日 9.10]
ここまで書いてきて、私は、このブログを読んでいただいている方から聞いた「ある言葉」を思い出しました。
すなわち、
いわゆる「工学系」の学者・研究者は、「理系」ではなく「利系」である。
どういうことかと言うと、「理:すじみち」を究めることよりも、「利:功利に走る」から・・・。
そう言われて見ると、この実験も、そのように見えてきました。