日本の建物づくりを支えてきた技術-24・・・・継手・仕口(8):またまた「相欠き」

2009-02-09 14:55:05 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

[文言追加 17.59][註記追加 18.40][文言追加 19.54]

間が空きましたが、「浄土寺浄土堂」の小屋組の基となる「梁」:「虹梁」をどのように納めているかについて紹介します。

上の写真や以前に紹介した断面図で分るように、「梁」は3段あります。「報告書」では、「側の柱」と「内陣の柱」を結んでいる一番下の「虹梁」を「大虹梁(だい こうりょう)」、二段目を「中虹梁」、三段目を「小虹梁」と呼んでいますので、ここでもその呼称を使います。

各「虹梁」の納め方はほぼ同じ方法の繰り返しと言えます。ここでは、基本となる「大虹梁」の納め方を紹介することにします。

上掲の図版は、写真と図が組になっています。
上の組が、「側の柱」への「大虹梁」の取付けを、「大虹梁」の「内陣の柱」への取付きを示したのが下の組です。

   註 写真、図とも「国宝 浄土寺浄土堂修理工事報告書」からの転載です。
      なお、図については、「報告書」の「図面編」と「本文編」の図を
      集成編集し、加筆してあります。
      写真は組立中の写真ですが、「大虹梁~内陣柱」の写真は、
      「大虹梁~側柱」に使った写真を、向きを図と同じにするため、
      反転して使っています。      [註記追加 18.40]
     

「側の柱」への「大虹梁」の取付けは次のような順番になります。
「柱」上に「頭貫」を落し込んだ後、「大斗」を据えます。
「頭貫」の納め方の際に説明しましたが、「頭貫」の上端は「柱頭」より一段高くなっています(古代の事例では、普通、「柱頭」と「頭貫」は上端は同一です)。そこへ「大斗」を落し込みます。
「大斗」は上の「分解図」で示してあるような形に加工されていて、「斗」の底部の縁が「頭貫」をまたぐような恰好で納まります。

以前にも触れましたが、古代の「斗」は、底部の「太枘(ダボ)」で脱落を防いでいますが、ここでは「太枘」の必要がありません。「頭貫」の「凹み」に落し込まれ、なおかつ「大斗」は「頭貫」の端部を押え込んだ形になり、脱落はもちろん移動もできなくなるからです。

「大斗」が据えられると、そこへ「大虹梁」の尻(「下小根」にしぼられています)を「大斗」に載せ掛けます。
ただその段階では、梁の長手方向に動くことができ、固定されていません。
そこへ直交する「秤(はかり)肘木」を落し込みます。その部分の「仕口」は「相欠き」で、「大虹梁」の尻は「下木」、「秤肘木」は「上木」に加工されていて、落し込むと「大虹梁」の「下小根」部分と上端はそろいます。

「秤肘木」が「大斗」に刻まれた「凹み」に納まるように「大斗」の位置を調整し(ということは、、「大虹梁」の尻を動かし、「柱頭」の位置を微調整することですが)、「秤肘木」が「大斗」に納まると、「大虹梁」も所定の位置に納まったことになるわけです。

先の「大斗」の固定法と同じように、ここでも、「秤肘木」を落し込むだけで、他に何の細工もせずに、「大虹梁」と「側の柱」は、「大斗」「秤肘木」を介して、所定の位置に確実に固定されてしまいます。

つまり、「秤肘木」は、「巻斗(まきと)」「実(さね)肘木」を経由して「母屋」を支える役割を担うと同時に、「大虹梁」を固定する役割をも担っていることになります。一人で二役ということです。

しかし、先に、「大虹梁」と「側の柱」を固定するわけにはゆきません。
それを先に納めたのでは、「内陣の柱」へ「大虹梁」を取付けることができなくなるからです。
「梁」を架ける前に、「内陣の柱」は既に立っています。「大虹梁」をはじめ、各段の「虹梁」は、「内陣の柱」の側面に挿し込む形になります。
それゆえ、「大虹梁」の取付けは、「内陣の柱」側から仕事を始めることになります。
「内陣の柱」には、同じレベルで3本の「大虹梁」が取付きます。「側」へ向う直交する2本の「大虹梁」と、「隅の柱」へ向う「大虹梁」の3本です。

この3本の「大虹梁」の納め方を図解したのが、下段の写真と図です。
「大虹梁」はいずれも端部を「下小根」にしぼってあります。「小根」の部分の断面の大きさは8寸×4.8寸。ただ、「下小根」の根元部分は、8寸×6.5寸と少し太くしています。「胴付」と見なしてよいでしょう。この太い部分で重さを受けると考えているものと思われます。

直交する2本は、直交させるために、さらにその「下小根」部分を「下木」「上木」にして「相欠き」で交叉させます。
普通、「相欠き」では、「上」「下」同寸、つまり、交叉部を2等分しますが、ここでは「下木」側は欠き込みが3.5寸、残りが4.5寸、「上木」側はその逆で欠き込み4.5寸、残りは3.5寸です。
そして、「上木」側の端部では、図のように、先端の部分:「木鼻(きばな)」と言います:を別誂えにしてあります。
これはなぜか、なぜ2等分の「相欠き」にしなかったのか。なぜ「木鼻」を別誂えにするのか。

これは、隅柱に向う「大虹梁」の取付けのためだ、と考えられます。
「隅行の大虹梁」は、図のように、「胴付」の先は、きわめて薄く厚さ3寸になります。この上に「側へ向う大虹梁」が載る形になるからです。
したがって、「側へ向う大虹梁」のうち、「下木」側の「小根」の部分には、下部に「隅行の大虹梁」の先端部をまたぐ欠き込みが必要になります(斜め45度の欠き込みです)。その欠き込みの深さ寸法は2.5寸(詳細図参照)。
この欠き込みを設けると、等分の「相欠き」だと残りが1.5寸になってしまうため(欠き込みは斜め45度ですから、正確に言うと、全面が1.5寸厚になるわけではありません。1.5寸になる部分が生じる、ということです)、「下木」側の欠き込みを0.5寸だけ小さくして3.5寸にした(残り部分は4.5寸)と考えられます。[文言追加 17.59]

そうなると「上木」側の「小根」の先端の厚さが心細い寸法になる。
それが、先端:「木鼻」を別誂えにした理由と考えられるのです。
よく見ると、別誂えの「木鼻」と「上木」側の本体も、「鉤型付相欠き」で継がれるようになっています。

整理すると、手順として、「隅行大虹梁」を柱に挿し、次に「下木」側の「平行大虹梁」を「隅行」の上に載せ掛けながら挿し、その上に載せ掛けながら「上木」側の「平行大虹梁」を挿し、その次に「木鼻」を挿す。
そして最後に「埋木(楔)」を「平行大虹梁」、「木鼻」上に打込むと、ガタガタだった3本の「大虹梁」は「内陣柱」に固定されるのです。「埋木(楔)」がきわめて重要な役割を担っていることになります。

ただし、この「埋木(楔)」の打込みは、それぞれの「大虹梁」の「側の柱」への固定が終ってからです。

後世になると、「木鼻」を単に形を整える「化粧」のために取付ける例が増えてきますが、この「木鼻」は、そうではありません。「木鼻」を挿し、「埋木(楔)」を打ってはじめて「大虹梁」が柱に固定されるようになっているからです。「木鼻」もまた大事な役割を担っていることになります。

結局のところ、「浄土寺浄土堂」は、「仕口」は「相欠き」、「継手」は「鉤型付相欠き」だけで組み上がっていることになります。
そして、どの部材も、役割を持っていて、遊んでいる材は一つもない、と言ってよいでしょう。[文言追加 19.54]

しかし、これには「綿密にして緻密な計算」がなければ行ない得ません。それには、当然ながら、どのような順番で仕事をするか、についての「計算」も含まれています。
この目配り・気配りには、そして一から十まで見通す洞察力には、ただただ感嘆するのみです。
どう考えても、突然こういう仕事はできない、かなり手慣れていたのではないか、と思うのはそのためです。

振り返ってみて、こういう無駄のない、真の意味で合理的な設計(当然、施工までを含めての「設計」です)をしてきただろうか、と思わざるを得ません。

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