ニコンD200 50ミリ相当
蔵作りの家にもかかっています。隣の家も看板が架かっているようです。
写真屋さんの店先にもありました。これはカメラやさん専用に描かれた物のようです。
寿司屋さんには何故か「二十四の瞳」、路地裏には「ローマの休日」の看板が架かっていました。
これらの看板は、青梅在住の「最後の映画看板師」と言われる久保板観さんが描いた物なのです。
板観さんは1954年に大河内伝次郎主演の「丹下左膳」の看板を見てすっかりとりこになってしまい、映画看板師の道に入り東京一の映画看板師なった。1973年ころテレビに押されて映画館の閉館が相次ぎ映画看板の仕事がなくなってしまった。
そんな頃青梅の町では空き店舗が次第に増えて来た商店街で、町おこしの一環として各商店に映画看板を架けたらどうかと、板観さんに依頼することになり、板観さんが快く引き受けられ、各店に似合う映画の看板を描くようになり現在に至っています。
そのため、商店街の活性化につながり観光客が増えたと言うことです。
最近はご高齢のためあまり制作はなさらないようですが、大学の芸術学部の生徒たちが板観さんの指導を受けながら映画看板を制作しているようです。
私が子供の頃には、映画館の正面上には必ずその時上映している映画のタイトルと、主演俳優の名前と顔を描いた特大の看板が架けられていたものです。
映画館正面両サイドにはショーウインドウがあり、上映中の映画のハイライト部分のスチール写真が20枚ほど展示されており、それを見て映画の内容を想像しながらチケットを買って入場したものです。
そんな頃久保板観さんは活躍していたのでしょうね。
20数年前青梅の近くの羽村に住んでいましたので なぜか故郷のお祭りをみてるよう感じで見入りました。
ヘップバーンやグレゴリーペック 大好きな俳優さんです。
こういう映画看板 永久保存してほしいですね。