水仙と恋ヶ窪村分水
姿見の池周辺散歩の途中に見た水仙。
白い水仙は何故か空き地の中にポツンと咲いていた.。
捨てられたりした球根が芽を出したのだろうか。
こちらは或るお宅の塀横に咲いていた黄色い水仙。
こちらは赤い実と黄色い実が付いた大木が隣り合わせに植えられていた。
何の実なのだろうか。
鳥が食べない所を見ると、ピラカンサスなのかな?
帰り道の途中に、市重要史跡、恋が窪村分水と言う案内板が立っている所が有る。
案内板の後ろは堀割のようになっている。
左は南方向、右は北方向だ。
南方向はトンネルのようになっている。
北に向かって掘割は雑木に囲まれている。
こちらは北の端から南方面を見た所。
堀割が続いている。
同じ場所の北側はやはりトンネルのようになっている。
ここは恋ヶ窪村分水と言う。
農業用水や飲料水に使われていたと言う。
3代将軍徳川家光が大岡越前守に銘じて武蔵野の新田開発を行った。
先に出来ていた玉川上水から国分寺村まで掘割を作り分水し、恋が窪新田、戸倉新田、内藤新田などがこの水の恩恵を受け、立派な農地になったと言われている。
その名残が国分寺市内には数か所残っている。
特に、地下にトンネルを掘って水を送ったと言う体内掘りと言う地下トンネルが何か所かあり、貴重な史跡として残されている。