私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

クリントンとアメリカの罪は重い

2010-09-22 11:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 2010年8月26日、フランスの有力紙ル・モンドが、コンゴについての極めて重要な国連報告書の草稿(ほぼ決定稿と思われる)を入手したことを報じました。545頁におよぶ報告書には、1993年から2003年までの10年間にコンゴ民主共和国で行なわれた600件の深刻な虐殺事件についての調査結果が記述されています。漏洩した国連報告書はネット上で入手可能です。
 この国連報告書の大変なところは、1994年のルワンダ・ジェノサイドを見事に終結させた正義の英雄ポール・カガメが、実は彼自身がルワンダとコンゴでジェノサイドを執行した人物であったことを指摘しているからです。これまで世界が信じていたルワンダ・ジェノサイド神話のどんでん返しです。流石に、このル・モンドの素っ破抜きに対する主要メディアの反応は、迅速で広汎なものでした。英国のガーディアンは8月26日付けで、ニューヨークタイムズは8月27日付けで長い記事を載せました。他にも沢山ありますし、いろいろな所で論じ続けられています。カガメは8月9日に行なわれた完全にインチキな大統領選挙で93%得票して当選し、第三期7年の独裁政治を続けることになりましたが、その以前から今回の国連報告書の正式発表を阻止しようとして、もし現在の草稿を発表したら国連軍に参加させているルワンダ軍をすべて引き上げると国連事務総長バン・キムンをおどしていたようです。その結果、9月中に発表される予定が10月1日まで延期になりました。ル・モンドに報告書の内容が漏洩した理由は、カガメの脅しに屈して内容が薄められ変更されることを心配した人々がリークしたということのようです。ル・モンド紙が“ほぼ決定稿”と称する版が世に出ているわけですし、ニューヨークタイムズはもっと新しい版を入手したそうですから、あまり無責任には変えられないでしょう。1993年から2003年までの10年間にコンゴ東部で数百万の人命が失われました。それがジェノサイドと呼ばれることになるかどうかは、今から大いに議論されることでしょうが、そのアカデミックな定義の問題、それをめぐっての国際政治的な駆け引きよりも、1990年から現在に至る20年の間にコンゴで何が起ったか、起りつつあるか、というのが私の最大の関心事です。これまで繰り返し書いてきましたように、これはアフリカ大陸のローカルな問題ではなく、アメリカ(アフリカではありません)とは何かという問題なのです。今度の国連報告書の漏洩のおかげで、色々のことがはっきりしてきました。10月1日に発表される最終的な内容をよく検討して、やがて私なりの議論を展開したいと思っていますが、今日ここで、前もって強調しておきたいことがあります。それは、アメリカそして日本でのルワンダ・ジェノサイド観を決定して来たサマンサ・パワーとかフィリップ・ゴーレヴィッチといった現代アメリカを代表する物書きや論客をうっかり信用してはならないということです。
 サマンサ・パワーについては、『サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド』と題する3回のブログ・シリーズ(2009年4月1日,8日,15日)で書きました。その(1)で、次にように、この人物の簡単な紹介をしました。:
■  さてサマンサ・パワーですが、1970年アイルランド生れの女性で、1979年にアメリカに移住して、 エール大学を卒業し、外国取材のジャーナリストとして出発しますが、またハーバード大学に入り、1999年、法学部を卒業、その学位論文を基にした彼女の最初の著作『地獄からの問題:アメリカとジェノサイドの時代』が2003年のピュリッツァー賞を受賞しました。この本は700頁近くの大冊で、20世紀に世界各地で起こった数々のジェノサイドがアメリカの立場から詳しく論じられました。これで彼女は一躍ジェノサイドや人権関係の知識人として広く知られることになりましたが、彼女を決定的に「有名人」にしたのは、バラク・オバマと意気投合してその選挙参謀の一人となり、オバマがヒラリー・クリントンと鍔迫り合いをしていた最中の2008年3月、サマンサ・パワーはクリントンを「彼女はモンスターだ」と呼んだため、オバマの選挙戦チームから外されるという派手な事件で騒がれたことでした。しかし、オバマの大統領就任後、国家安全保障会議の一員として大統領の側近の位置に戻りました。選挙戦では外交問題関係のアドヴァイザーでしたから、今後もそうした面で大統領の判断に影響をあたえるものと思われます。
 ピュリッツァー賞を受賞した『地獄からの問題:アメリカとジェノサイドの時代』は20世紀に起こった民族大虐殺(ジェノサイド)についての著作として最も大量に出回り、最も広く読まれている本だと思いますが、これには大きな問題があります。これまで度々アメリカ政府が進行中のジェノサイドに対して傍観者的姿勢を取ってきたことに対するきびしい批判を勇敢に実行した書物であるとする称賛的な書評が無数に書かれましたし、著者サマンサ・パワー自身もそうした「正義の味方」のポーズをとっていますが、これが全くのまやかし物なのです。
 この本を徹底的に批判しているのは、ハーマン(Edward S. Herman)です。「ハーマン? ああ、チョムスキーの友人か」などと片付けないで、彼の言うことを聞いて下さい。彼が『地獄からの問題』を「ジェノサイドに関するサマンサ・パワーの馬鹿馬鹿しい論考」と呼ぶのは、十分の論拠があってのことなのです。この本では、アメリカ政府が直接関わったか、または支持し、承認したジェノサイド的行為は綺麗に無視されています。ベトナム戦争での一般住民の死者、1965-66年のインドネシアでのスハルトによる大虐殺、1978年から1985年にかけてのグアテマラの先住民の大量虐殺などがサマンサ・パワーの本では見当たりません。ハーマンは、また、イスラエルが建国以来パレスティナ人に対して執拗な一貫性で行っている残虐行為を「low-intensity genocide (低強度民族大虐殺)」と呼び、これもサマンサ・パワーが完全に無視していると批判しています。
 しかし、意識的な無視や隠蔽よりも遥かに罪深いのはルワンダ・ジェノサイドの場合です。これについては、サマンサ・パワーは別に雑誌「アトランティック・マンスリー」2001年9月号に『ジェノサイドの傍観者(Bystanders to Genocide)』と題する26頁の長い論文を寄稿しているのでそれを取り上げます。まず冒頭の部分を訳出します。
「1994年、百日間の時の流れの間に、ルワンダのフツ政府とその過激派協力者たちは、その國のツチ少数民族を絶滅するのに成功するすれすれの所まで行った。銃器、広刃鉈、それに農耕園芸用の道具の数々を用いて、フツ族の民兵、兵士、一般市民は、約80万のツチ人と政治的に穏健派のフツ人を殺害した。それは20世紀で最も素早い、最も能率的な殺戮ドンチャン騒ぎであった。それから数年後、雑誌『ニューヨーカー』の連載もので、フィリップ・ゴーレヴィッチは、恐るべき詳細さで、そのジェノサイドと世界がそれを阻止することに失敗したストーリーを詳しく述べた。大統領ビル・クリントンは、熱心な物読みで有名だが、ショックを隠しきれなかった。彼はゴーレヴィッチの記事のコピーを二期目の国家安全保障顧問のサンディ・バーガーに送った。記事のコピーの余白には、混乱し苛立った追求的な問いかけが書き込まれていた。クリントンは、やたらに下線を施したパラグラフの横に太字の黒のフェルトペンで“この男が言っているのは本当か?”と書き込んでいた。」■
 私の以前のブログ『サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド』(1)(2009年4月1日)からの引用は一応ここで止めておきますが、前大統領ビル・クリントンについての、サマンサ・パワーのまことしやかで面白おかしいストーリーは、要するに、クリントンさんは百日間で80万人が惨殺されたルワンダ・ジェノサイドのことを殆ど全く知らなかったと断言しているわけです。
 『アトランティック・マンスリー』の彼女の論説を更に読み進むと、クリントン大統領と政府高官たちは、ルワンダからのアメリカ市民の無事引き上げが最大の関心事で、それが完了してしまうと、途端にルワンダの状況に対する興味を失ったかのように描かれています。「あの墜落事故のあと、国務省6階の対策本部の壁に慌ててピン留めされたルワンダの地図も忘れ去られ、政府高官たちのレーダースクリーンからルワンダは殆ど消え落ちた」と書いてあります。そして、高官の一人、Anthony Lake に「その頃はハイチとボスニアで頭が一杯で、ルワンダは、・・・、わきの出し物(side-show)ですらなく、余興ですらなかった(a no-show)」と言わせています。
 しかし、そんな事は絶対ありえません。今度の国連コンゴ報告書は1993年から2003年までの10年間に主にルワンダに隣接するコンゴ東部で起った事についての報告書です。アメリカの42代大統領ビル・クリントンの任期は1993年から2001年までの8年間、二つの期間はほぼ重なっています。この間にルワンダとコンゴをめぐって「アフリカ世界戦争」と呼ばれる大戦乱の嵐が荒れ狂い、そのため数百万の人命が失われました。サマンサ・パワーは「あの墜落事故のあと、国務省6階の対策本部の壁に慌ててピン留めされたルワンダの地図も忘れ去られ、政府高官たちのレーダースクリーンからルワンダは殆ど消え落ちた」と書きましたが、これほど真っ赤な嘘を臆面もなく書ける人物を私たちはどう考えたらよいのでしょうか。この嘘が政府のお墨付きの定説としてまかり通るアメリカという国を私たちはどう考えたらよいのでしょうか。
 実は、今回の問題の国連報告書の遠い源泉に位置するとも言えるジャーソニー報告書(Gersony Report)というものも突然明るみに出て来ました。公式には国連当局が「そんなものは存在しない」と言い続けてきた文書ですが、その存在は広く知られていたものです。ルワンダ・ジェノサイドは、「1994年4月から、当時のルワンダのフツ政権を牛耳る過激派フツ人たちが、約80万人のツチ族と穏健派のフツ族の人々を大量虐殺したが、カガメの率いる正義の軍隊RPFがフツ政権を打ち倒し、1994年7月には虐殺行為を終息させた」事件であったというのが通説ですが、1994年10月10日の日付のGersony Reportは、1994年の4月初旬から9月中旬にかけて、2万5千から4万5千のフツとツチをRPFが殺したことを具体的に調査報告したものでした。前にも紹介したことのあるジェラール・プリュニエの最近の大著『アフリカの世界大戦』(AFRICA’S WORLD WAR, Oxford, 2009)の重要なポイントの一つは、このGersony Reportをめぐる論議の展開です。プリュニエの執筆の時点では、報告書の内容は明らかにされていませんでしたが、今ではインターネット上で見ることが出来ます。
 上にも書きましたように、国連報告書が10月1日に発表された後、Gersony Reportをめぐるこれまでの事情なども辿りながら、私なりに、アフリカ/アメリカ史のこの部分の書き換えを試みたいと考えています。しかし,私のような門外漢の素人ではなく、アメリカ現代史の専門家、アフリカ問題の専門家の方々が、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(子)の三代の大統領の時代にコンゴをめぐってどのような歴史的展開があったかを、この機会を捉えて、あらためて一から出発して精査して下さる事を希望してやみません。

藤永 茂 (2010年9月22日)



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2 コメント

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 さすがです。気質学的にも奥面も無くウソの言え... (池辺幸惠)
2010-09-28 07:13:28
 さすがです。気質学的にも奥面も無くウソの言える気質がありますが。それはあっちとこっちで相手に良く思われようと、矛盾もかまわず耳ざわりのよい愛想をふりまくムキですね。
 小泉さんもそうでした。国民には、一言で喜ぶ事をいい、国会では、そんなことは言ったこともないといい・・・単なるいきあたりばったりのおバカさんだったのかもしれませんが。

 そして強者である支配者は、自己防衛のためのウソを兵器でつき、奸計、策略を企てます。そうやって人を蹴落として恥じない人が今の時代強者になり脚光をあびるのです。

 あの、イラクでの女性兵士の争奪劇がすべて捏造だったことを思い出します。
 イラク戦線が不穏な空気になってきた頃に、士気を鼓舞するかのように、全米メディアが、救出劇をドラマじたてして報道したあの騒ぎを思い出します。

 テレビや政府の高官までが、かの兵士の留守宅まで押しかけ、彼女を誉めや讃えやの大騒ぎでしたね。わたしはにがにがしく見ていましたが、やはり・・・大ウソでしたね。

 女性兵士が良心の呵責に耐えられず告白していましたね。そうでしょう、一生そんな責めを負いながら生きるのにたえれなかったのでしょう。

 アメリカ的には、だます人より、だまされる方が悪いという、悪者バンザイの国です。
彼ら自身の内なる良心が危ういから、いつもきびしく糾してくれる神様が必要なのでしょう。そして、いくら悪いことをしても懺悔しさえ許してくれるというつごうの良い神様をしたてたのでしょう。ブッシュのキリスト教原理主義とは、キリストさまもびっくりかもしれません。
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コメントに対する補注 (大橋晴夫)
2024-07-06 16:51:50
ルワンダの霧が晴れ始めた(5)へのコメントとして、難民産業と題するものを書いた。その中で、2010年8月にルモンド紙にリークされ、2010年10月に発表された国連人権高等弁務官事務所報告書によって補われることを知ると書いたが、私の闇の奥にはクリントンとアメリカの罪は重い2010.09.22. と題して、それらのことが、ただちに報告されていた。なおブログ記事NHKの「ルワンダ仕組まれた大虐殺」2011.08.03.には米川正子著「世界最悪の紛争「コンゴ」」(創成社、2010年)の紹介がある。米村氏は本日付で「ジェノサイド発生前後のルワンダ紛争に関与した米国、その介入の意図と役割を検証する」と題する論考を朝日新聞GLOBE+に発表されている。
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