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生きること:過去と未来とエスペラントと

ラオスの教育

2018-07-21 09:09:50 | ラオス人を家族に持つと
 先日、Nが言いました。日本とラオスの学校の授業内容があまり違うので驚いていると。例えばラオスには体育とか音楽という授業はない。自分が小学生の時に何を勉強したか考えたら、算数と国語の読み書き以外に何を習ったかさえ思い出せないと。
 おそらく、寺子屋式の読み書きそろばん(計算)がラオスの基本的な教育だったのだろうと私は推測したのでした。。

 一昨年2回ほどタイにいる息子のもとを訪問し、一週間ほどづつ滞在ました。2度目の時にNの子育てに危機感を覚えました。2男TがぐずるとNはすぐにミルクを与えるのです。1歳になったばかりの時まだしも、1歳半になっても同じだったのです。原則、息子たちの子育てには口出ししなことにしているのですが帰る前に息子に言いました。子どもがぐずる時、いつもおなかが空いているわけではない。Nは子どもの要求を理解していない。このままだとTは成長できないと言い残してきました。

 その言葉はNにきちんと通じていたようです。先日、Nが言うにはラオスでは子どもがぐずるとすぐミルクを与えるだけだと。日本ではそうではないと分かっているが、自分はどうしたらよいかわからないと。

 私が、この親子にしてやれることは何だろうかと今、暗中模索です。
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そうですか。 (案山子)
2018-07-21 10:57:38
ラオスの学校では、体育も音楽もなく、歴史はレーニンの革命以降しか教えない、と聞いていました。教師の給与も安いから、リベートも頻繁に横行していた、とも。
うちの婿さんは理性派だからでしょうが、オモチャは溢れていると興味を持たないけど、引っ込めて置いて、しばらくぶりに見ると、強い関心であそぶ、そんな台詞をきいて、やはり彼は聡明だから、子供の心理を理解しているな、と思ったものです。
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ミニスカート派 (glimi)
2018-07-21 12:41:09
 ラオスでは外では伝統的スカートをはかないと罰せられると聞いていたのに、初めて会った時Nはミニスカートはいていました。社会主義など興味はなかったのでしょうね。
 タイでは先生の日には先生に花束と何か贈り物をします。ベトナムでもラオスでも同じ習慣があるようです。
 タイで花束は聞いていたけれど贈り物のことは知らなかったとNは先生の日の朝に大慌てしました。借りていた住居の事務所に行きどうしようと相談したら、事務員の一人が必要な先生分の袋と入れる金額を教えてくれました。お金の方が喜ばれるようで、彼女ほっとしていました。
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Unknown (案山子)
2018-07-21 14:45:00
私が聞いた話では、通学服などの業者から教師へのバックリベートのことです。親から教師への話は知りません。高校レベルかもしれませんが、試験問題の横流しは珍しい話ではなかったそうです。
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袖の下 (glimi)
2018-07-21 22:24:49
 3月、ラオス在住の日本人と昼食を共にしました。公務員は給料が安いのに自家用車を持ち、高いガソリン代を払って乗り回しているそうです。何をするにも袖の下が必要な社会だと言っていました。
 それでも一党独裁の社会主義国家です。私たちには恐ろしい社会に思えますが、それなりに生き残る方法があるのでしょう!
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ベトナム戦争後の革命政権が、 (案山子)
2018-07-22 08:28:33
その後もずっと続いているそうです。(10近く前に話題にしたときですが)
選挙があるのに、なぜ、不満を抱えながら、政権交代がないのか、と聞くと、誰が誰に投票したか、何故か分かってしまうらしく、投票の自由はあってないようなものだ、と。その後は変わったかもしれませんが。
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Unknown (glimi)
2018-07-22 19:42:19
一党独裁と農村共同体が共に存在する社会ではないかと私は感じました。
 外国人を止めることは法律で禁じられているそうです。ところが地域社会が自分たちのメンバーと認めれば密告される心配もなく息子も妻の実家に住んでいることができるのだそうです。そんなわけで婚約式に招待しのは400人というべきか、400軒というべきがそれほどの大勢でした。彼らは家族で来るのですから一晩でどれだけの人が訪れたのでしょう!
 当時ホテルで結婚を祝う人も多くなっているということでしたが息子たちのお祝いは広い庭にテーブルを置き、来訪者は自分の好きな食べ物好をきなだけ食べるという方式でした。料理はなくなると仕出しを請け負っている業者が次々と運んできて補充するのでした。

 最近泥棒も多くなっているそうです。Nが姉達に現金は家に置くな、銀行に預けなさいと言っているが銀行に預金するという風習がないのでタンス預金をしているようです。
 お宅は立派な塀に囲まれ門も閉めているのに泥場が来るのかと尋ねたら、裏庭には塀はなく出入り自由だそうで時々侵入者がいるということでした。社会の近代化についてゆけないということかもしれませんが、不思議な社会です。
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