goo blog サービス終了のお知らせ 

glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

トラカイ城

2005-08-16 16:08:38 | エスペラント
 遠足4日目。

 今日は最後の日です。バスはトラカイに向けて出発しました。
 トラカイはヴィルニィウスから西に28キロほどの所にあり、トラカイ城は広い湖の中に浮かぶように建っています。14世紀にリトアニアの首都がヴィリニュウスに移ってからも王の居城として使われていましたが、17世紀モスクワとの戦いでひどく破壊されました。
 ゲディミヌスの話によると第二次世界大戦後、モスクワは友好国(?)に対してしていろいろな建造物を贈りましたが、リトアニアへの贈り物としてトラカイ城を修復したということでしたということです。

― 蛇足ですが、ワルシャワには文化宮殿という巨大な建物があります。1987年世界エスペラント大会はこの宮殿で開かれました。エレベーターを間違えたら全く違う場所に連れてゆかれます。ポーランド人は大きければ良いと言うものではない、この贈り物を断ることができなかったということは屈辱的だと話していました。逆を言えばソヴィエトは巨大な建物で自らの威信を示したかったという事になるのかもしれません。ゲディミヌスも一方ではリトアニアの文化を壊しておきながら、なぜソヴィエトがこの城を修復したのか理解できないという様子でした。

 城は4階建てで、城門を入ると広い中庭になります。石と赤煉瓦造りの建物の各階から中庭が見えるように4方にはバルコニーがあります。上に上がるには木製の梯子を使いますが、昔はこの梯子を取り外しできるようにしてあったようです。
城中の展示品多くはこの城守ってきたカライートという少数民族の人達の使った鎖帷子とか武器等など。
 カライート族は黒海沿岸に住んでいました。14世紀末、カライート達の忠誠心や勇敢さに感激した王が400家族を自分と城を守らせる目的で招き入れました。残存するカライートは70世帯ほどになりましたが、自分達の生活習慣、言語、宗教を守って現在でも暮らしているそうです。
 日本建築では窓は2枚とか4枚とか偶数が多いですが、カライートの居住区をバスで通過しながら眺めると、家々の窓はみな3枚で構成されています。彼らにとって窓は特別な意味を持つのだそうです。一つは王様(の魂)を招くため、二つ目は神様を招き入れる為、三つ目は祖先を招き入れるためのものだそうです。もう、王家は何百年も前に滅びたのにかれらは未だに忠誠を誓っているのだろうかと不思議な感覚に襲われました。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする