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glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

カウナスへ

2005-08-09 13:56:15 | Weblog
 民族生活博物館を出てカウナスへ向かう。カウナスは人口40万人。ヴィリニュウスが首都となるまで、仮の首都であり経済の中心地でした。
『いつになったら昼食になるの?』とイタリア人のレカントが騒ぎ出しました。ゲディミナスは、『14時に予約してあります。』と答えます。『私そんな事聞いてない!』彼女はわめき続けます。レカントは小柄で目玉が大きく、髪を乱してわめくと顔中眼になってしまうのです。バス中しらけた雰囲気になりました。
 カウナスに到着すると、ゲディミナスが指し示したのは崩れかけた赤レンガの建物でした。多分塔であったろう円筒形の崩れ落ちた建物。兵士達が暮らていたであろう城を囲む長い赤レンガの壁等。それは初代王のミンドウガスが建てた城でした。
 レカントは説明をしり目にヨーグルトやりんごを袋から出して、がつがつ食べていました。本当にお腹が減っていたようです。
 城の脇を通って訪れたのは大きな教会です。若者がピアノを弾いていました。フラスコ画は沢山あるのですが、ほとんど剥げ落ちています。ぼんやりと顔がわかる肖像画がリトアニアでただ一人聖人となった聖カジミールらしかったです。
 リトアニア最大のこの聖堂はナチスが弾薬庫、食料庫として使用し、その後はソ連軍の弾薬庫、食料庫になっていたそうです。少し離れた場所にギリシャ正教の聖堂もありましたが、独立まですべて接収されていたという事です。その占領期間に絵画の多くが破壊し尽くされたのです。
 リトアニア人が私たちに示したかったのは占領した他国が如何に自分達の歴史を認めず蹂躙してきたかという歴史遺産であったと気付きました。
『私達はいつでも他の民族や宗教を受入れてきた。ユダヤ教も、ギリシャ正教も禁止したことはない。 (フランス人に向かって)ナポレオンが攻め込んできたのです!(ポーランド人に向かって)リトアニア・ポーランド王国の協定を破ったのポーランド人です。(ドイツ人に向かって)ドイツ人が勝手に入ってきて私たちの国を戦場にしたのです。その後ロシアは私の国を自由に使用した。
このツアーにロシア人はいませんでした。ゲディミヌスに名指しで批判された国の人達も彼の熱弁にただ苦笑するばかりでした。
 近代戦争の中で侵略されても他民族を侵略しなかったということを彼らは誇りとしているようでした。

そう言えば、バルト3国の中で、居住していたロシア人に無条件で国籍を与えたのはリトアニア一国であったと聞きました。

 カテドラルを出るとゲディミヌスが言いました。『美味しい食事が待ってます!』私達はでこぼこの石畳の道をレストランに向かいました。レカントの同伴者は強い弱視のクララです。彼女は道に足を取られて難儀しているクララを引きずるようにして、私に近づいてきて満面に笑顔を浮かべ言いました。
『私、食事を先にしたかった!そしたら、落ち着いて教会を見られたのよ!』
私は笑い出しました。バスの中で彼女がわめいた時、私の表情はどんな風だったのでしょうか。きっとレカントにはきになる表情だったに違いありません!!


コメント (4)
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