フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

「北京で10年最大の黄砂」の記事に思う/天才棋士にワクワク、将棋の藤井に対して囲碁に仲邑

2021-03-16 11:55:04 | 日記

    今朝(16日)の新聞に「かすむ北京」の見出しで、北京は15日にこの10年で最大の黄砂に見舞われ、深刻な大気汚染が起きたという記事が出ていた。中国ではモンゴル地方などの内陸からの粉塵が舞い上がり、”黄砂”として都市部をも襲うことはよく知られているし、その”おこぼれ”が日本にまで届くこともある。
    私が日本語教師として北京に滞在していた2008年は北京オリンピック開催の年であり、幸か不幸か黄砂現象は見られなかったが、その後赴任した山東省で黄砂を経験した。ひどかったのは2010年の晩秋11月のこと、その日はほぼ快晴だったのだが太陽がかすかに見える程度に黄砂で曇っていた。街を走る自動車も砂ぼこりにまみれ、その日訪ねた家では洗濯物を早々に取り込んだと言っていた。何よりも分かりやすかったのは翌朝大学構内に駐車してあった車体には土色の粉塵が積っており、ボンネットやフロントガラスに指でくっきりした字や絵が書けることであった。当時はそれを写真に残すことに思いが至らず、今になって思えば残念なのだが。


    小学6年生の囲碁棋士仲邑菫ちゃんが12歳カ月の史上最年少で二段への昇段を決めたとの記事が載った。囲碁界のレジェンド趙治勲名誉名人の最年少記録を52年ぶりに更新した、とある。菫ちゃんが10歳0カ月でプロ入りした時は大きなセンセーションを呼んだが、順調に成長を遂げているようだ。今回も自己最多の10連勝で二段昇段を決めた由。
    将棋界では史上最年少でプロ入り後も数々の年少記録を樹立し、破竹の勢いで旋風を巻き起こしている藤井蒼汰棋士については改めて触れるまでもないところである。
    平成から令和の時代変わりに彗星の如く登場した棋界の逸材の話題に、囲碁・将棋はあまりやらなかった私でもワクワクとする。

 

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菅親子・山田元広報官・東北新社はズブズブの三角関係?/小学生が全員タブレットを使う時代に

2021-03-14 12:00:00 | 日記

 菅首相親子と山田前内閣報道官と東北新社はもうズブズブの三角関係だった、と思わせるようなこの度の東北新社の衛星放送事業の認定取り消し問題。東北新社の子会社が外国株主比率違反で認定の取り消しが発表されたが、その認定には総務官僚時代の山田氏が絡んでいた。菅首相が総務大臣だった時に秘書官に取り立てた長男が退任後に東北新社に入社。東北新社は山田氏をはじめとする総務官僚を高額の接待でもてなし、菅首相は総務相時代から山田氏を重用、首相になってから内閣報道官に抜擢した。
この3者は公私交えてのズブズブの関係となり、菅氏が総理大臣に上り詰めた時には我が世の春を謳ったことであろうが、菅首相はその後コロナや東京オリ・パラの難題と相俟って針のムシロの心境ではなかろうか。

日本は教育分野でのIT化が遅れているのだそうで、遅ればせながらか文科省の方針で教育現場でのIT化が進められつつあるようだ。私が安全見守り活動をしている小学校でも数年前から高学年でのパソコン教育が行われているし、コロナ禍が契機になったか先般児童全員にタブレット端末が貸与された。教室での授業はもとより、休校時のオンライン授業、教師との指示・連絡等に使われるとのこと。
つい先日、4年生のあるクラスが全員タブレットを持って校庭に現れた。そして各自めいめいが木や花に向けて写真を撮り始めた。校庭で「冬から春に移る姿」を写真に撮るという”授業”だと言う。何人かが写真を見せてくれた。時代遅れでタブレットも持たない私は、へえ~小学生が全員タブレットが使える時代なのかと感嘆している。

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東日本大震災:改めて再認識した津波と原発事故の恐ろしさ

2021-03-13 10:06:49 | 日記

   一昨日(11日)に東日本大震災の10年目を迎えたことは前回で取り上げたが、その日のテレビの画像で改めて津波の恐ろしさを見せつけられた。海から陸に上がった津波がアメーバのように街に広がったと思いきや、家や車が次々と流され、家はその内破壊され、車はひっくり返されたりボコボコにされてしまう。辛うじてコンクリート建物の屋上や高台に避難できた人々は、眼前でそうした巨大なゴミと共に津波が市街地や農作地を埋め尽くして行く光景に恐れおののき、また呆然と立ち尽くす・・私はたまたま地震発生時に家にいてその中継画像やその後繰り返されるニュースの画像を見て来たが、改めて津波の恐ろしさを認識した次第である。

   原発事故については昨日テレビ放映された「Fukushima 50」という映画がすごかった。記録映画ではなくフィクションではあるけれど、登場人物のほとんどが実在の人物で、ストーリーもほぼ実録のような臨場感があった。
   題名は「福島原発事故を最悪の事態から救った運転員50人の物語」という意味なのだそうだ。現在においても深刻な後遺症を残す東京電力福島第一原子力発電所の過酷な事故。予測を超えた津波により電源が浸水して発電所が全く制御不能に陥り、原発炉の爆発→放射性物質の噴出・飛散→日本国土の半分は人が住めなくなるという最悪のシナリオが頭をよぎる中で、所長以下当直運転員らの文字通り決死の数日間を描いている。その間、時の総理大臣や本社の横やりとも戦いながら、また家族との情愛を交えて、原発事故の恐怖が伝わって来た。
   東日本大地震・津波被害・原発事故・・やはり記憶にとどめておきたいことと思う。

 

 

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余り知られていない「東京都平和の日」ー東京大空襲から76年/今日は東日本大震災から10年

2021-03-11 10:04:16 | 日記

   昨日(3月10日)は東京大空襲メモリアルの「東京都平和の日」であった。ちょうど小学校の校内の見守りをしていた午後2時、市の防災放送に合わせて体育授業中の児童たちと一緒に黙祷を捧げた。この記念日は1990年に「世界の恒久平和を祈念して定めた」ものというが、都民の間でも馴染みが薄く、昨日のテレビ・新聞にも今日の新聞にも全く取り上げられていなかった。1944年3月10日の空襲だけで約10万人の死者、100万人の負傷者を含めて、被災者は310万人ともいわれるのに。
   今からなら何とでも言えるかもしれないが、首都東京が灰燼に帰したこの日を以て日本は降伏すべきだった・・という懺悔の日とすべきか。

   一方、強大な地震と想像を絶する津波によって引き起こされた「東日本大震災」発生から今日でちょうど10年が経った。直後の原発事故と合わせて甚大な被害をもたらしたが、今なお復旧・復興の半ばにあって心身や生活、将来に深く大きな傷を残したままである。10年という節目を迎えてこれまでを振り返る報道がなされているが、今日のテレビ欄で震災を取り上げている番組数を数えてみたらNHK Eテレを除いた6局で32ほどあった。そのほかに「復興」とか「防災」という見出しの関連する番組が10ほど見当たる。
   震災関係の報道はまだまだ続いて行くことであろう。


   

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忘れることの必要性?/びわ湖マラソンで日本新ー高速の大会に驚く

2021-03-06 21:51:03 | 日記

   間もなく3月11日。東日本大地震から丸10年を迎え、メディアでは連日10年を振り返る特集などが報道されている。そんな中、今朝(7日)のTBS「サンデーモーニング」では東電の原発事故について深堀りした解説があったが、その時ある解説者が「忘れる、慣れるということも意味があることなんだが・・」とひとこと言って話を続けた。
    どんな意味があるのか興味が湧いて、番組後ネットでパラっと見てみたらざっと次のようなことが書いてあった。
『人間にとって覚えることは大事だが,忘れることもそれと同じくらい重要な意味がある。普通忘れるというと困ったことのように思われがちだが、全てのことが忘れられなくなったら普通の生活を送ることは難しくる。新しい情報が脳に入ると、古い記憶とオーバーラップしながら記憶して行き、記憶を更新する機能を持っている』
   第二次大戦や広島・長崎の原爆投下など、「決して忘れてはならないこと」については悔悟と誓いの日を設けて毎年記憶を新たにして行くことが必要なるゆえんであろう。


   もう一週間前のことで”古い”記事になってしまったが、一週間前のびわ湖毎日マラソンで鈴木健吾選手が日本人選手初の2時間5分台という日本新記録で優勝し、さらに男子の歴代10傑の中に5人が入るという日本マラソン史上かつてない快記録が生まれた。
   このびわ湖マラソンは復路が向かい風になって記録の出にくいコースといわれ、今年が最後の大会で以後大阪マラソンと統合開催されるのだという。その最後の大会が気温的にも恵まれ、復路が弱い追い風になったそうだ。ただ鈴木選手には気の毒だが、日本人初の2時間5分台で優勝したものの今年の東京五輪の出場選手は決定済みであるため出場のチャンスはなく、さらに言うと昨年まであった1億円の賞金は資金が切れて貰えず、多くの国民の同情を買った。
    

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