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フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

【10年前の記事再投稿#24】今日で70歳/ブログ500号

2024-09-29 21:21:32 | 日記

   これまで予告をしていたように、今日8月11日は私の70歳の誕生日、そしてこのブログも記念すべき500号になった。中国・の詩人杜甫『人生70 古来希なりから来る「古希」は本来数え70歳を指すが、近年の日本では満年齢で長寿の古希の祝いをすることが多いようである。我が家では一昨日から昨日にかけて私の古希の祝いを兼ねた家族旅行をした。ディズニーリゾートのホテルに孫・子を含めて10人が集まり、みんなで祝ってくれた。2日目は孫たちの夏休みお楽しみのたディズニシー。

             
   (孫たちの手作りのお祝いをもらって笑顔) (ディズニーシーにて記念写真を)

   各地で被害をもたらした台風11号の影響による風雨が心配されたが、ラッキーなことに夜間とかショーや食事で建物内にいる時に限って雨が降り、逆に炎天下の暑さを避けられるという幸運に恵まれた。ディズニーシー園内は台風の予報も何のその、大変な人出で賑わっていた。

     
屋外のイベントに集まった人・人/多くのアトラクションは長い行列に/人気者のミッキーマウス

 

   旅行に先駆けて、94歳になる私の母をみんなで訪ねた。父は10年ほど前に亡くなったが母は至って健勝で、現在孫が11人、ひ孫が16人いる。少子が進んでいる日本の社会でこの数は母の自慢でもある。先日電話した時「息子が古希なんだから自分はすごい歳なんだね」と言って笑っていたが、そう言えばそうだと思った次第。

                                                                                                                                                                        私の実家に集まった親子4世代(後列中央が私の母)

 

   さて、ブログの方は2011年2月に開設し、3年半での500号。平均してひと月12回の投稿になる。ほぼ毎号撮り下ろしの季節の花の写真を添えたのだが、これはこれで結構苦労をした。花の乏しい冬の時期はネタに困るし、真夏の炎天下に花を求めて歩くのも楽ではない。春から初夏にかけての百花繚乱の時季はブログに載せきらないというのも悩ましいところであった。
   強烈な思い出はブログ初投稿から18日目に起きた東日本大震災。しばらくは震災の記事で埋まった。
   500号を期して以降のスタイルを変えたいと書いたが、どんな風にするかまだ悩み中。以後もご愛読いただければ幸いである。 

 

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[中国で日本語教師]再投稿・北京編#16―失敗談の冷や汗続く

2024-09-29 07:46:25 | 日記

 一人歩きには失敗談もつきもの。初めてハンさんに観光案内をしてもらった日は実験学校のフー先生を呼び出して夕食を共にし、そのあと雨に降られてレストランバーのような所に入ったりしたので帰りが遅くなった。ハンさんの最寄り駅までは送ってもらいそこからタクシーに乗る時に、地理も中国語も分からない私のためハンさんが行先を書くなど運転手に説明してくれた。ところがカーナビがまだ付いていない当時、タクシーの運ちゃんは営業エリアを外れると全く地理が分からないらしく(あるいは料金稼ぎか?)、夜中の街をウロウロしていてすごく不安になって来た。その内、たまたまスーパーで買い物をした時に見覚えのあるマンション団地が目に入った。そこからは私が身振りで方向を指示し、運転手の反対を押し切ってやっと実験学校にたどり着いた。帰寮はもう12時近かった。
   次の週、学校前から一人でバスに乗ってハンさんと待ち合わせをして観光した帰りのこと。行きと同じ路線番号のバスに乗ったが乗車したバス停になかなか着かないので、バスの中の路線図を見たら違った場所を走っていることが分かった。慌てて次の停留所で下車したものの、全く見知らぬ場所で工場団地らしい寂しい所であった。暗闇でタクシーが来るのを待つが、車の通りが少なく心細い限りである。それでもやっと来たタクシーに乗って学校に帰ることができた。
   さらに2週後、またもや帰りのバスのトラブルに遭った。前とは違う路線だが、隣に座った30歳前後の男性と英語交じりで話している時にどこまで行くかを尋ねられた。手帳に書いてある住所を示したら、このバスはそこに行かないと言う。嘘だろう。中国旅行のガイドブックには親切ごかしに話してくる人は要注意と書いてある。私は半信半疑というより全く疑っていた。そこでバスの運転手に手帳を見せたところ、やはり「行かない」というジェスチャーであった。もう騙されたつもりで彼に従ってそのバスを降り、そして乗り換えた。彼はわざわざ途中下車して私を学校まで送り届けてくれたのだ。見知らぬ人がこんなに親切にしてくれるなんて考えもしなかったことだ。地獄で仏に逢った思いである。せめてバス代でもお返ししようと思ったが受け取らず、英語で「こんな中国人に遭ったと誰かに話してくれればいい」と言った。私は手を握って精一杯の礼を述べた。

   失敗談は初めの内だけでその後は無くなったが、この時の”冷や汗”は北京の思い出のスパイスとなって鮮明に残っている。

   
写真(左):ひとり歩きも楽しいものだが・・・  (中):見覚えのあったマンション団地の一つ  (右):バス路線さえ分かれば楽しめる北京都心部の夜 
   

 

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[中国で日本語教師]再投稿・北京編#15―ひとり歩きも始める

2024-09-26 09:49:39 | 日記

   ハンさんから案内をしてもらいながらの観光で北京の地理や乗り物の要領も分かって来て、一人でも出歩くようになった。元々方向感覚はいい方で、ひとり歩きは好きである。会社時代に海外へ出張した時も休日や時間ができた時はよくひとり歩きの観光をしていた。
   実験学校からはまず路線バスに乗って最寄りの地下鉄駅に出る。いつも利用したのは劉家窯(リュウジアヤオ)と国貿(グオマオ)駅で、最寄りといっても20~25分くらいかかった。始めは乗換口を探すのに手間取ったが、その内に慣れて来た。地下鉄は概ね東西、南北および環状の路線になっていて、実に分かり易い。日本でも大阪の地下鉄は分かり易いが、東京は最悪である。あんな無秩序な路線は東京の恥と言ってよい。それはともかく、北京では地下鉄路線図と観光地図を持っていれば市内の行きたい所には大体行ける。ただバス路線が分からなかったり、地下鉄駅から遠い時などにはタクシーを使った。北京と上海は中国でもタクシー代が高い都市だが、それでも当時初乗り180円くらいで東京よりはるかに安かった。 気ままな一人歩きだが中国語ができないので緊張感が伴う。食事の時も不自由だ。しかしその苦労も、何でもお膳立てされている旅行とは違う楽しみである。

 下左:北京駅の美しい駅舎。北京にはこの他北京西・北・南の3つの大きなターミナル駅がある
 下右:ビジネス街として発展著しい国貿。北京の新都心の顔だ

  

下3点:北京2千年の歴史博物館である首都博物館の展示品。ご覧のように写真撮影はOKであった(フラッシュは禁止)。日本の美術館・博物館では考えられないことだ

      

下:西海という憩いのスポット。夜ともなれば洒落たお店に灯がともる

     

 

 

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[中国で日本語教師]再投稿・北京編#14―今週は故宮(紫禁城)へ

2024-09-23 14:36:04 | 日記

   前週ハンさんの案内で天安門広場や天安門などを訪ねたが、休みになるのを待ちかねるようにして翌週も観光案内をしてもらった。今度は故宮(紫禁城)がメインである。天安門をくぐれば中はすぐ故宮なのだが、前週故宮には入らなかった。前号では割愛して書かなかったが、天安門のあと昼食時間になったので、餃子の専門店に連れて行ってもらい、食後は”北京の銀座”とも言うべき王府井(ワンフーチン)を歩いたり、孔廟(孔子を祀る旧跡)を見物をし、それからフー先生を呼び出して中秋節の食事と相成ったのである。
  
   前置きはさておき、北京の交通にはまだ不案内なため前週はハンさんが実験学校まで迎えに来てくれたが、今週は一人でバスと地下鉄を乗り継いで天安門前で待ち合わせをした。天安門前は相変わらず多くの観光客が押しかけていた。
   故宮はかつては「紫禁城」と呼ばれ、明と清の歴代皇帝24人がここに住んでおよそ500年にわたって中国を支配してきた宮殿である。現在ではそのまま故宮博物院として世界遺産にも登録されている。
   博物院としての財宝・文化財は台北の故宮博物院にひどく見劣りすることは9月4日のブログに書いたが、宮殿としてのスケールは凄い。総面積は今様に言うと72ha(22万坪弱)、中心を成す建物の大和殿・中和殿・保和殿は壮大である。
   故宮の南の出入口である午門から入ってたっぷり見物した後、北の神武門に抜けた。
 
   その後故宮にほど近い北海という観光スポットで昼食をした。前号で「後海という湖の周りに発展した新しい観光地」と紹介したが、市内には自然なのか人造なのか知らないけれど「海」の名を冠した湖だか池がいくつもあり、それが憩いの場となり新しい観光地にもなっていた。、北海もその一つで中海南海と繋がった都心の憩いの場になっている。
   昼食をしたレストランでは珍しい光景を目にした。女性従業員が男性客と激しく喧嘩をしているところである。カンカンの客に対して従業員は一歩も引かないどころか、客を怒鳴りつけているのである。日本だったらまず従業員側が一歩引くし、まして女性が男性を怒鳴りつけたりはしないだろう。この光景にハンさんは「中国の喧嘩は男性も女性も引かない。一歩でも引けば負けだから」と説明してくれた。いやはやすごい光景だった。
   その間に雨が降って来たので、また王府井(ワンフーチン)でショッピング巡りをしてこの日は終えた。  

       
                           壮大な故宮の代表的建築物大和殿

 

   
  南側入口の午門前の賑わい  私も観光客の一員に 博物院の財宝を写真にパチリ

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 [中国で日本語教師]再投稿・北京編#13―まずは天安門広場に、そして中秋節

2024-09-20 17:23:36 | 日記

中国の首都北京、北京の中心といえば天安門に天安門広場と相成る。
日本の首都東京、東京の中心が皇居に皇居前広場・・・と似たところがある。ただし、皇居前広場とは違って天安門広場は地方の人たちが一度は訪れたい”聖地”みたいなもので、常に各地からの旅行者で賑わっているようだ。仕事で出張の際に車からしか見たことがなかった天安門広場。今回の北京滞在中の観光はガイド見習いのハンさんに案内されてここからスタートした。
市内では丁度北京オリンピック後のパラリンピックが開催されていて、広場には大きな広告が設置されていた。(前号写真参照) 広場内の毛沢東記念堂には毛沢東の遺体が安置されており、今なお多くの参拝客が訪れている。

天安門広場から大きな道路を隔てた北側に天安門が建っている。次に天安門を訪ね、楼上に登ってみた。天安門は北京郊外の万里の長城と並ぶ中国観光の目玉。歴代の皇帝が暮らし中華帝国の中心であった紫禁城(=故宮)の正門である。1949年、毛沢東は天安門の楼上から中華人民共和国の成立を宣言した。以前出張の折に訪ねた時の万里の長城でもそうだったが、天安門や天安門広場周辺は”お上りさん”というか、地方(民族)特有の顔の観光客が少なくなかった。

旧暦の8月15日の満月を日本でも「中秋の名月」と呼び、月を愛でる日になっているが、中国では「中秋節」という祭日で、家族など親しい人と一緒に食事をを囲む習わしがある。この日はその中秋節にあたり、観光後ハンさんが実験学校時代の同僚のフーさんという女性教師を呼び、3人で夕食をすることになった。後海という湖の周りに発展した新しい観光地で夕景を楽しみながら食事をしたり、俄か雨に出遭ってレストランバーに飛び込んだりした。フー先生とはその後実験学校の食堂などで挨拶を交わすようになった。

 

 


   天安門広場の賑わい  毛沢東の遺体が安置されている記念堂 人民大会堂(左奥)と英雄記念碑 

 

  
お馴染みの天安門の正面(左)と中華人民共和国の成立が宣言された楼上(右)

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