フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

「異次元」の羽生結弦選手/井の頭池のかい掘り

2015-11-29 10:17:50 | 日記

   フィギュアスケートのグランプリシリーズNHK杯が行われ、男子は羽生結弦選手が別格の高得点で優勝した。
   27日のショートプログラムでは完璧な演技で世界最高記録の106点台を出したと思ったら、翌日のフリーでも圧巻の演技で世界初の200点越えの216点台、トータル322.40の前人未踏の記録をつくった。幸いというか生中継を観ていたのだが、実況のアナウンサーが「次元が違う」演技と驚嘆し、解説者の織田信成、鈴木明子という両先輩が「鳥肌が立った」と興奮していた。テレビ前の私も家内も身震いがするほどであった。 
    一夜明けて今日の新聞各紙は一斉に「史上初300点越え」「異次元の舞」と報じている。  昨年2014年2月のソチ五輪および3月の世界選手権の金メダリストは、本人が言う「血の滲むむような努力」を重ねて「絶体王者」に上り詰めた。まだ若干20歳、どこまで成長するのであろうか。 

現在井の頭公園の池が「かい掘り」中である。池の水を汲み出して魚など中の生きものを捕獲し、さらに水を抜いて池の底を天日干しにするのだ。 昨年の1月から2月にかけても実施したことをブログに取り上げたが、2017年に開園100周年を迎える事業の中の井の頭池の浄化プロジェクトで、今回は弁天池を主体に実施されている。目的は池底を天日干しして泥質を改善し、併せて外来生物(ブルーギルやブラックバス、アメリカザリガニなど)を駆除して自然生態系を取り戻すものである。 かい掘りは大勢のボランティアが参加しての作業となっている。

   
数台のポンプで水を抜く/一部干上がった池の底/膝くらいの深さでの捕獲/黄葉を背に大勢の見物者が

   [日本語教師の帰国後編]#17東京見物5(上野)

   上野と言えば上野公園。上野公園と言えば動物園と春の花見、そして美術館や博物館であろうか。
   外国人にとってサクラや富士山は日本を代表する魅力の一つだが、中国人である研修生にとっても同じで、東京見物では手っ取り早く上野公園の花見に案内した。中国でもサクラはないことはないのだが、日本の様に花を楽しむために多量に植えられている場所はない。やはり日本各地にある名所のサクラは壮観である。上野公園のサクラのトンネルに研修生たちも歓声を上げていた。
   また花見のついでに動物園にも寄った。動物園のパンダは中国からの借り物だが中国人にもパンダは人気があり、しかし日本で初めて見る子がほとんどであった。
   東京国立博物館で日中国交正常化40周年を記念した『中国王朝の至宝展』が開催された時には大宮のソン・ソバイを一緒に連れて行った。古代から近代に至る中国国宝級の宝物展であったが、彼女は中国でもこうした展示(例えば北京の故宮博物院)を観たことがなく、日本で中国の宝物を初めて観たと言って笑っていた。
   
   
               上野公園にて満開のサクラの下で花見を楽しむ
                 

      
                  上野動物園で遊ぶ        国立博物館(背後の建物)の至宝展を参観

 

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マイナンバー届く/伝説の女優逝く/プロ野球のMVP

2015-11-27 11:26:18 | 日記

   配達遅れが問題化しているマイナンバーの通知カードが数日前我が家に届いた。国民個人にとっては管理者側にプライバシーを曝されるリスクがあるのにメリットは余り考えられない。私には秘匿するような資産も無ければ、隠し立てするようなこともほとんど無いのだが、マイナンバーによるメリットも思い当たらない。国民に余計な負担や不安を強いるなら、それに相応するメリットを明確に示してもらいたいものだ。役人の手間が省けるから全国で何万人の公務員の削減ができ、膨大な国の負債が毎年何千億円圧縮できると・・・。

   往年の女優、原節子さんが9月に亡くなっていたことが分かり、新聞・テレビでは追悼する記事・番組に溢れている。この人には常に「伝説の」という冠詞が付き、その”伝説”たる由縁が語られているが、人気絶頂期に突然女優を引退し、以後一切その消息が絶たれていることから神秘性が高まり、永遠の偶像となっていることは否めないと私は思う。私が映画館に行くようになった時分には引退していたので封切で観たことはないが、小津安二郎や黒沢明の作品を特集した上映会などで何度も観たことがある。すでに伝説化しておりついそういう目で見てしまうが、私の中では高峰秀子や香川京子と同列くらいな、清楚な女優であった。

   プロ野球は全ての日程を終えて、各種の賞の選出が行われている。その中で、セ・パ両リーグのMVP(最優秀選手)に打率3割、30本塁打、30盗塁の「トリプル3」を達成した2人が選ばれた。セはヤクルトの山田哲人選手、パはソフトバンクの柳田悠岐選手。強打者にしてスピードをも備えている証の「トリプル3」。この快挙をセ・パ両リーグで同時に記録し、同時にMVPにも輝いた。最近の日本プロ野球に関心が薄れている私だがこれには喝采を送りたい。

 [日本語教師の帰国後編]#16東京見物4(渋谷)

  
日本では「若者の街」として定着した渋谷。中国人を含む外国人にも「ファッションの街」としての認識が高まっているようだ。それと近頃ではスクランブル交差点を中心として「バカ騒ぎをする場所」としても知られ、「DJポリス」発祥の地となった。
   私の大学時代の前半2年はキャンパスが渋谷に近く、講義が終わった後などは友人たちと歩いて遊びに出た。麻雀やパチンコをしたり、ちょっと食事をする街であった。もう50年も前の話である。その後渋谷は変容し、私らは「おジン」となり「シニア」となって足が遠ざかって行った。それでもまあ、研修生たちの案内くらいはできる。 若い研修生にはその賑やかさが楽しいようだ。またスクランブルの交差点を面白がっていた。忠犬ハチ公の話を知らない彼女らには、銅像周辺を「待ち合わせ場所としては日本で一番有名」とだけ説明した。その日も多くの待ち人が佇んでいた。若い女性に人気のファッションビル「109」にも連れて行ったが、興味のない私には退屈な場所であった。
   ちょっと戸惑ったことが一度あった。ハチ公前広場でHIV(エイズ)予防団体がキャンペーンをしていて、通行人などにスキンを配っており研修生の一人がそれを受け取った。私は「まだ用がない物だよ」と言ってそれを回収したのだが、彼女には間違いなく手にしたことがないモノだったと思う。 

   
    渋谷駅ハチ公口で        今や渋谷の顔となったスクランブル交差点 

     
   お馴染みのハチ公銅像前   若い人に人気の「109」    不二家のカフェで一休み
      

      

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一年ぶりの演奏会/歌舞伎見物

2015-11-24 19:19:54 | 日記

   芸術・スポーツの秋。我が市内でも各種の催しが目白押しである。そんな中で、昨年もブログに記したが市民文化祭の邦楽演奏会に一般市民演目として尺八で出演させてもらった。私の出演は筝曲の「六段の調」。「千鳥の曲」と並んで最も親しまれている曲である。一般市民は琴が2人、尺八1人でそれに師匠が1人ずつ応援に入った。事前に3日間の練習があり、いざ本番。何でも練習と本番では違うものだが、特に大勢の合奏ではなく尺八が2人というのはプレッシャーが大きい。開演前のリハーサルではうまくいったので自信がついたものの、やはり本番は不納得の演奏になってしまった。心残りだが仕方がない。それが実力なのだ。

   先月に続いて今日も国立劇場の歌舞伎を観に行った。いつもの知人の招待によるものだ。演目は「神霊矢口渡」(しんれいやぐちのわたし)と言い、南北朝時代の動乱を描く『太平記』に題材を取った浄瑠璃歌舞伎である。100年以上演じられなかった通し狂言(全編通しでの上演)だという。出演は中村吉右衛門、花六、錦之介、芝雀など。大向うを唸らせる吉右衛門の見得(ミエ)や浄瑠璃の泣かせどころなどが見せ場であったが、義太夫の語りのお蔭で話の筋が分かりやすかった。 

       
     邦楽演奏会の模様       花が小ぶりな十月桜      色とりどりの秋ダリア

   
  チャノキ(お茶の木)    サザンカが満開    最近人気のキダチダリア   お馴染み菊花展

 [日本語教師の帰国後編]#15東京見物3(新宿)

   新宿の象徴は東口側の繁華街・歌舞伎町と、西口側の副都心・高層ビル街に大きく分かれる。歌舞伎町は若い時分にはよくぶらついた所だが近年は風俗営業の氾濫や悪どい客引きなどで”怖い街”となり、リタイヤ後はほとんど寄りつかない。研修生たちを連れて行くのは専ら副都心の方で、特に東京都庁最上階の展望室には必ず案内した。何しろ地上202メートルから見渡す眺望は抜群である。間近な高層ビル群、眼下の新宿御苑の緑地、東京タワーやスカイツリー、池袋のサンシャイン60が一望である。反対側に回れば私の住んでいる辺りや遥かに富士山も望める。展望室にはカフェもあるし、東京みやげも売っている。こんな絶好のビューポイントなのだが、何と無料なのだから嬉しい。東京タワーに登れば下の展望台でも700円、上に行けば1600円だ。みみっちい話だが、研修生2人を上まで連れて行けば食事などのほかに5千円ほど出費が嵩んでしまう。 
   ケイ・ショウロとトウ・セイの2人には社会見学に夜の歌舞伎町を案内した。道路の角々(かどかど)に客引きがたむろする異様な雰囲気だったが、幸い女性連れだった私には寄って来なかった。但し彼女らには客引きのことは何も分からず、日本の繁華街を垣間見たのであった。

     
         副都心の高層ビル街                    東京都庁をバックに

        
         
都庁の展望室にて     新宿駅から山手線に乗る
        

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北の湖理事長逝く/「粛々と」/敵の敵?/大谷投手の快投

2015-11-21 21:57:47 | 日記

   北の湖日本相撲協会理事長が亡くなった。体調は決してよくなかったようだが、急逝の感がある。メディアもそのように伝えている。”憎らしいほど強かった”と言われた力士としての実績、引退後は相撲協会の屋台骨を支えて来た存在感。死人に鞭打ちなしとは言われるが、この人の場合は故人に対するはなむけの言葉ではなく、大相撲関係者には文字通り惜しまれる死であったと思われる。余り笑顔を見たことがなくこわもての横綱であり理事長であったが、愚直なほどに相撲道にまい進する姿の現役時代の北の湖が私は好きであった。その記録を語れば長くなるのでこれで留め置く。ご冥福を祈りたい   

   年末恒例の「新語・流行語大賞」にノミネートされた50語が発表された。
   「爆買い」とか「五郎丸ポーズ」「下流老人」などお馴染みになった言葉に交じって、「フレミネー」やら「おにぎらず」「ラブライバー」「ドラゲナイ」など全く耳にしたことも目にしたこともない言葉がやたら多い。私がいかに流行に疎いかがよく分かる。そうした中で、今年は政治に関わるものが多いと新聞(朝日)に紹介されていた。「戦争法案」「存立危機事態」「駆けつけ警護」「切れ目のない対応」等々だが、私が一番に挙げたいのは「粛々と」である。「粛々」を広辞苑で引くと「静かなさま/おごそかなさま」とある。ところが現在政治家、特に政権関係者が言う「粛々と」 は「強権でごり押しする」という意味にしか取れない場合が余りにも多い。国民の多くもそう感じているということか、菅官房長官が翁長沖縄県知事に対してそれを口にした時、「これはヤバい」と自ら思ったのであろう、前言取り消しの事態になった。私は本来の意味を外れたこの言葉遣いに不快感を持っているので、政治家の常套句に使われないようぜひ流行語大賞に選んで欲しいのである。 

   「イスラム国」によるパリ同時多発テロを契機に米国・ロシアが対シリア政策で歩み寄りを見せているという。ロシアも自国機が撃墜されたばかりで、『敵の敵は味方』を絵に描いたような恰好だ。これで国際緊張が好転してくれればよいが、いずれは崩れる『同床異夢』と考えるが・・・。

   今日まで「プレミア12」という野球の国際大会が開かれていて、今日の決勝戦で韓国がアメリカを破り初代王者となり、日本は3位に終わった。私はこの大会そのものよりも、日本代表に選ばれている大谷翔平投手の活躍ぶりに関心があった。一昨日の準決勝韓国戦は初めて最後までテレビ観戦をした。大谷投手は7回までヒット1本、無失点、三振11を奪う快投で胸のすく思いであった。ところが最終回に救援陣が打ち込まれる大逆転劇でそれをパーにしてしまった。その前、1次リーグの韓国戦でも6回を投げて無失点10三振と圧倒的な力で相手をねじ伏せており、改めてその魅力を見せつけてくれた。    

[日本語教師の帰国後編]#14東京見物2(皇居・国会議事堂)

  
 皇居と国会議事堂は東京の顔というより日本の中心のシンボルである。私が滞在した中国で言えば北京の天安門と人民大会堂であろうか。
   皇居は天安門同様、国内の観光客だけでなく外国人も多く訪れ、中でも最近は中国人客が多い。一緒にいる研修生にもすぐ分かるようだった。二重橋前から皇居前広場にかけての広い空間は物音を吸収するのか中国人が例の声高で話をしていても静寂が破れることがなく、落ち着いた気分でいられる。
   国会議事堂前では団体観光客を余り見かけたことがない。たぶんバスを止める駐車場が近くにないからなのだろう。大体バスの中からの観光になるようだ。ケイ・ショウロとはとバスに乗った時がそうであった。二重橋前から国会議事堂までの道は景観のよい散策コースで気持ちがよい。    
   

       

            

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「花は咲く」に声詰まらす/てんらん会に思う

2015-11-18 12:45:25 | 日記

   私の住む三鷹の市民活動グループが集って毎年開催される「みたか わの縁日」。「わ」は人の輪、みんなの輪であり、「縁日」はお祭り、賑わう集いを意味している。私が携わっている活動グループも参加団体に名を連ねているが、諸準備やプレゼンテーションはいつも主宰者のTさんに頼り切りにしている。今年は2日目の日曜だけ会場に足を運び、模擬店で小腹を満たしたり、グループの展示を見たり、アトラクションのハーモニカ演奏やフラダンスを観たりしたのだが、ハーモニカ演奏の時にちょっと声を詰まらせた。歌詞カードが配られ、ハーモニカに合わせて一緒に歌う中に「花が咲く」が入っていた。NHKが東日本大震災の復興応援歌として流し続けて、今や国民的な歌になっている。東北三県出身やゆかりの歌手・タレント・スポーツ 選手などが歌い継ぐ画面は何十回となく見ているわけだが、前の人の歌詞カードを見ながら歌っていたら目頭がジーンとし、声が詰まってしまった。今まではボンヤリ聞いていたのだろう。メロディーはしっかり耳に残っているが歌詞はよく覚えていなかった。今回歌詞カードを見ながらメロディーと歌詞に胸を揺さぶられたのだ。何と意味の深い歌なのだろう。これを書く前にネットで改めて聴いてみたが、やはり目頭が熱くなってしまった。これから先も同じことになりそうである。

   その前日の土曜は臨時で小学校の見守り当番に就いた。運動会に続く秋のイベントである展覧会の保護者たちの参観日であった。。少し寒い日だったが、大勢の保護者が来校した。私も見守りの合間を縫って会場の体育館で参観させてもらった。以前にも観たことはあったが、今回作品の数に驚いた。学年ごとにテーマを決めて平面作品(図画の類い)2種と立体作品(工作や陶芸など)の全員の作品を展示していた。児童数750人くらいの大規模校である。単純計算でも2千点に上る作品である。我々の時代の展覧会といえば、図画・工作や書道、自由研究などの優秀作が展示され、金や銀の張り紙が付けられた。今ではそれは児童の”差別”になるのであろうか。確かに毎年同じような生徒の作品ばかりが展示されるのは不公平なのかもしれないが、そこには競争心も生まれない。まあ義務教育は優秀な児童を育成する場所ではなく、すべからく平等が望ましいのかも知れない。それで飽き足らなければ塾や教室に通って人の上を行く、という時代なのであろと思った。
  

[日本語教師の帰国後編]#13東京見物1(初上京のドタバタ劇)

   研修生みんなを東京見物に案内したかったが、それは残念ながら東京からの遠隔地在住者にはできないことであった。日帰りで東京見物ができるのは首都圏在住者に限られた。具体的に宇都宮と栃木佐野および大宮の研修生たちである。
   ところで、初めての上京ではとんでもないドタバタ劇があった。それは研修生たちがまだ携帯を持っていなかったことに由来する。その一つは宇都宮からケイ・コウエンとその仲良しのチョウ・ホが出て来た時のことである。宇都宮始発の電車に乗る時に公衆電話から私の携帯に発車時刻を連絡すること、上野駅で下りたらそこから動かないことを前日のメールで申し合わせしていた。私はその連絡を受けてから家を出れば十分に到着ホームで迎えることができる。ところが電話が来たのは「上野に着いた」という連絡であった。「何い!」、私はすぐ上野駅に飛んで行った。しかし、どこにいるのかこちらからは連絡ができない。取りあえず上野の駅員に公衆電話のあり場所を聞き、中央改札出口付近の電話コーナーに行ったらそこに2人がいた。1時間ほどそこでじっとしていたようだ。とにかく時間は遅れたが落ち合うことができた。【写真左】  二つ目は佐野のケイ・ショウロ及びトウ・セイと新宿駅で待ち合わせた時のこと。2回の乗り換えを含めた電車の時間を教え、新宿駅に着いたら一歩も動くなと前日のメールで確認しておいた。しかし、予定通り電車が着いてもホームにはいなかった。丁寧に2往復してみたけれど見つからない。もしかして電車の遅れなどで乗り換えがうまく行かなかったのだろうか、今どこにいるのか、こっちからは電話ができない。日本でまだ西も東も分からない2人である。さんざん気を揉んでいたら30分以上経って公衆電話から連絡が入った。「さっき新宿に着いた」と。私は「一体どこにいるんだ。一歩も動くなと言ったろう」と怒鳴り返した。南口にいると言うので改札内を見たり改札を出て探したりしたが見当らない。また電話があったので、そこから何が見えるか聞いたら「みずほ銀行」と言う。これまた探し回ったがみずほの支店などいくらでもあるだろう。いい加減にもう帰ろうかと思ったところに3回目の電話。今度は「高島屋」が見えると言ったのでやっと出会うことができた。そこは南口ではなくて新南口であった。言いつけを守らなかったことで思わぬトラブルに遭い、私はキレて怒りまくっていた。事情を聞くと、中国では出迎えや見送りなどでホームに入ることが出来ない。日本での事情の違いを知らず、とにかく下車客の流れにくっついて行って、駅を出たところで待つものと考えたようだ。それで改札を出たものの公衆電話が容易に見つからなかったらしい。同じ間違うにしても南口に出ていればすぐそこに公衆電話があり、もっと早く連絡ができたものを。とにもかくにも約1時間気を揉んだ果ての合流となった。【写真中】
   大宮のソン・ソバイたちの時は、大宮発着の電車が多すぎてどれに乗せたらいいか分からないので、大宮駅で待ち合わせをしたためそういうドタバタは起こらなかった。【写真右】
       
 宇都宮からケイ・コウエン(左)とチョウ・ホ 佐野のケイ・ショウロ(左)とトウ・セイ  大宮のソン・ソバイ
  

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