フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

東日本大震災:改めて再認識した津波と原発事故の恐ろしさ

2021-03-13 10:06:49 | 日記

   一昨日(11日)に東日本大震災の10年目を迎えたことは前回で取り上げたが、その日のテレビの画像で改めて津波の恐ろしさを見せつけられた。海から陸に上がった津波がアメーバのように街に広がったと思いきや、家や車が次々と流され、家はその内破壊され、車はひっくり返されたりボコボコにされてしまう。辛うじてコンクリート建物の屋上や高台に避難できた人々は、眼前でそうした巨大なゴミと共に津波が市街地や農作地を埋め尽くして行く光景に恐れおののき、また呆然と立ち尽くす・・私はたまたま地震発生時に家にいてその中継画像やその後繰り返されるニュースの画像を見て来たが、改めて津波の恐ろしさを認識した次第である。

   原発事故については昨日テレビ放映された「Fukushima 50」という映画がすごかった。記録映画ではなくフィクションではあるけれど、登場人物のほとんどが実在の人物で、ストーリーもほぼ実録のような臨場感があった。
   題名は「福島原発事故を最悪の事態から救った運転員50人の物語」という意味なのだそうだ。現在においても深刻な後遺症を残す東京電力福島第一原子力発電所の過酷な事故。予測を超えた津波により電源が浸水して発電所が全く制御不能に陥り、原発炉の爆発→放射性物質の噴出・飛散→日本国土の半分は人が住めなくなるという最悪のシナリオが頭をよぎる中で、所長以下当直運転員らの文字通り決死の数日間を描いている。その間、時の総理大臣や本社の横やりとも戦いながら、また家族との情愛を交えて、原発事故の恐怖が伝わって来た。
   東日本大地震・津波被害・原発事故・・やはり記憶にとどめておきたいことと思う。

 

 

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