フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

駆け込み退職/日馬富士

2013-01-28 09:16:58 | 時事トピックス

   アルジェリアの人質事件は結局17人の日本人の内10人が殺されるという痛ましい結果となった。大手プラント会社「日揮」の連日の記者会見報道には国民みんなが固唾を飲んで見守っていたのだが・・・。イスラム武装勢力のテロの巻き添えなのか、日本人そのものが狙われたのかはっきりしていない。日本人がターゲットになっていたとするなら、テロには屈したくないけれど今後海外進出にせよ国際協力にせよ、中東やアフリカへの人の派遣について見直しをしないといけなくなるだろう。 

   公立学校で卒業式などを目の前にした教職員が定年直前に相次いで退職していることが議論を呼んでいる。地方公務員の人件費削減策としての定年退職金減額が1月以降に実施されるため、その前に駆け込みで退職するというものだが、生徒たちのことをどう思っているのか・・・という声である。埼玉県知事もこれについて「如何なものであろうか」と遺憾の意を表明した。確かに生徒たちのことより自分の生活が優先とする姿に「教師のモラールも堕ちたものだ」とする思いはあるだろう。しかし教師と言っても生身の人間だし、板挟みの末苦渋の選択をした人もおろう。必ずしも責められない気がする。昨日の新聞によれば、駆け込み退職は少数派であるらしい。また「臨時任用」ということで、つまり退職後臨時職員として卒業式まで何とか繋ぐ”手”も考えられているのだそうだ。

   大相撲初場所は14目に優勝を決めた日馬富士が千秋楽で白鵬を破り、全勝優勝で幕を閉じた。2場所連続の全勝優勝で横綱に昇進した日馬富士は新横綱の先場所、9勝6敗と不甲斐ない成績で相撲協会理事長から「横綱失格」とまで厳しい評を受けた。だから今場所は大変なプレッシャーがあったことは想像に難くない。その中でよくやったと思う。
   心・技・体の内、「体」が他の力士より劣る日馬富士は残る「心」と「技」に頼るしかない。自ら「全身全霊で相撲を取る」ことを標榜しているが、今場所は他を圧倒する集中力、キレ、速さがあった。私は日馬富士のファンではないのだが、大関陣が数ばかり多くて不甲斐のない状態が続いているので、せめて横綱は強さの見本を示してもらいたいと願うばかりなのだ。今場所は日馬富士に後れをとったが、白鵬と共々大相撲の屋台骨を支えて欲しいと思うのが本心である。

   高見盛が引退を発表した。人気力士高見盛が十両の下位におり、今場所は引退が心配される成績であることを22日のブログで取り上げたが、5勝10敗に終わり千秋楽の取組後に引退を表明したのである。今までに全くないタイプの、ユーモラスな仕草が人気の異能力士であった。


[井之頭公園にも春の兆しが]

   今、井之頭公園で目に付くのは冬の花であるカンツバキ寒椿:写真の上左・中)とヤツデ八手)くらいであるが、マンサク万作:写真下2枚)が咲き出した。毎年、この広い公園の中で一番先に春を告げるのがマンサクであり、これを見て「ああ、春がすぐそこだなあ」と感じる。
      

         

                      

    

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二十四の瞳

2013-01-26 23:05:19 | 日記

   今日、市内の芸術文化センターの映画会の「二十四の瞳」を見に行った。
   「二十四の瞳」は言うまでもなく、壺井栄の小説を木下恵介監督、高峰秀子主演で映画化したもので、映画史上でも不朽の名作の一つに挙げられる。芸術文化センターでは毎月1回、あるテーマを決めて半年ないし一年のシリーズで名作映画の鑑賞会を開催しているが、現在は高峰秀子三回忌記念として6ケ月間で12作を上映しているところである。
   ストーリーは今さら説明するまでもないのだが、始めに昭和初期の小豆島で、貧しい岬の村の分教場での新任の大石先生と12人の1年生との心温まる交流が描かれるが、生徒達のその真っ直ぐな瞳が題名の由来になっている。のち舞台は本校に移り、不況と戦争の影が迫る中、大石先生はいとし子の生徒達の卒業を機に退職するのだが、その後生徒達そして自らにも次々と時代の不幸が襲うのだ。
   昭和29年の作品で、貧困の悲しさや戦争への憤りを木下流に抒情的に表現したものであり、その辺は先般亡くなったばかりの大島渚監督の怒声張り上げんばかりの表現とは好対照を成していると思う。
   
   ところで、この映画会では生徒達の出演者紹介が別刷りで配られた。それには12人の生徒のそれぞれ分校時代(1年生)、本校時代(6年生)と大人時代の配役が載っている。分校時代と本校時代の配役を見比べてみたら、12人中11人は姓が同じであった。そして脚注に「全国から顔立ちのよく似た兄弟、姉妹を募集し、3600組の子ども達の中から選ばれた。大人時代を演じる役者も子役によく似た役者を選んだ」と書いてあった。なんと念の入ったキャスティングであろうか。 

   なお今日のもう一作は「秀子の車掌さん」という、高峰秀子がまだ10代のコミカルな映画であった。

   話は脱線するが、私が高校2年生だか3年生の時の運動会でのこと、アトラクションとして仮装行列があった。クラス単位で何か仮装をして、グランドを一周するものである。これに我々のクラスは「二十三の瞳」という出し物で参加した。まず大石先生(男子が仮装)が「二十三の瞳」というプラカードを持って登場する。続いて、これも全て男子が仮装した12人の生徒がその後を歩くのだが、最後の一人は片目に眼帯をして登場するのだ。今様に言えばギャグだが、これが受けたのを今日思い出した。


[春を求めて]

   先日の大雪が長いこと道路脇や日陰に残っていたが、ようやくすっかり消えたところである。神代植物園で春の兆しを求めて歩いてみた。
   写真下左:18日に既に取り上げたロウバイ(蝋梅) 多くの来観者がカメラを構えていた。
   下中・右:ようやく咲き出したツバキ(椿)の仲間のワビスケ(侘助)     

 

下左:イチゴノキ(苺の木) 花はアセビに似ている。イチゴのような赤い実がなるのでその名が付いた
下中:膨らんだミツマタ(三又/三椏)の蕾。ただしこれから開花までは時間がかかる
下右:私が待ち焦がれるフクジュソウ(福寿草)はまだ全く姿が見えない

     

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人質事件/高見盛よ

2013-01-22 22:08:01 | 時事トピックス

   16日にアルジェリアで起きた人質事件は最悪の結末になりそうである。
   アルカイダ系と云われる武装勢力がサハラ砂漠にある天然ガス関連施設を襲い、日本人を含む多くの関係者を殺害または人質として拘束した。情報が不足あるいは錯綜して人質の数や安否が判然とせず、不安や焦燥が募る中でアルジェリア政府は19日に人質救出作戦を強行した。これは人質の命よりテロ部隊のせん滅が狙いと関係各国から批判を浴びた。しかし、はっきり言ってイスラムの世界では人の命より「目には目を」の報復の”正義”の方が先なのだ。こうした事案では「一人の犠牲者も出さない」ことを至上命令とする日本人の感覚とはおよそ違う。
   この作戦は成功といえるのかどうか、一応テロ部隊の多くが殺害・逮捕され天然ガス施設は奪回されたが、今日現在人質の安否の全容は依然として不明のままだ。今朝の新聞では「人質死亡23人確認」とか「邦人9人殺害」などというアルジェリア政府の発表を伝えているが、事件に巻き込まれた日本人17人の内、無事が確認されているのは7人で、7人の死亡が確認され、安否不明が3人という。米国での「9・11同時多発テロ」でもそうであったが、政敵や宗教対立と何の関係もない一般人を無差別に殺す蛮行に走るテロ集団・・・これが同じ地球の上で、同じ太陽と空気の恩恵のもとに生を享けている人類の仲間のなせるワザなのか、気が滅入る。

   がらっと話が変わって、朝日新聞が先日「3人で110歳」というようなベテラン力士3人の記事を載せていた。 旭天鵬38歳、若の里36歳、高見盛36歳、合わせて110歳の3人の特集連載である。
   旭天鵬はまじめで優しい性格の力士で知られる。今や大相撲の一大勢力であるモンゴル出身力士の草分け(第一号6人)で、ただ一人今まで生き抜いて来た。それどころか、昨年5月場所には37歳で幕内優勝を果たした「中年の星」なのである。
   若の里は怪力で知られ、かつては大関候補と言われたが度重なる怪我に泣いてその力を発揮出来ないでいる。
   高見盛は土俵上でのユーモラスな仕草で「相撲界のロボコップ」とも称されて、横綱・大関に負けないほどの人気力士だ。土俵上だけでなく、勝って花道を引き揚げる時は実に意気揚々と、負けた時はガックリと肩を落としうな垂れて引き上げる様も観衆の笑いを誘った。土俵上のあの独特の仕草は取組り前の恐怖心を振り払う”自己鼓舞の儀式”なのだそうだ。
   この3人の内高見盛は現在十両の下から3枚目、今場所7勝以上挙げないと十両陥落イコール引退の瀬戸際にある。そして気になる成績だが、今日10日目現在で3人が揃って3勝7敗と不振である。果たして、場内やテレビ桟敷を沸かした高見盛のあの姿がもう見られなくなってしまうのか。


[ああ上野駅]

   これは私が青春時代に流行った井沢八郎の歌の題名だが、歌とは全く関係がない。昨日は中国人研修生を東京タワーなどに案内するのに、上野駅で落ち合うことにした。彼女ら2人は10:04上野着の電車に大宮から乗ってくるのだが、その少し前に14番ホームに着いたら、その近くのホームにはいろいろ列車が停まっていた。私は鉄道マニアではないからそれらが何型の車両だか分からないが、列車の姿は好きなので携帯のカメラに収めてみた。 

   

       
                                   いよいよ彼女らの乗る電車が入って来た  増上寺と東京タワーをバックに

       

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大鵬逝く

2013-01-20 19:56:27 | 日記

   昭和の大横綱大鵬が亡くなった。偉大な記録や功績、人物となりについて語ればきりがない。すでに新聞やテレビで大きく取り上げられ、各界の知名人から語り尽くされているのでここでは私の思い出を記したい。
   とにかく強い、というより負けない横綱であった。紙一重の力で競っているプロの競技で、私が知る時代にこの人ほど「盤石」という言葉がぴったりの人やチームはなかったように思う。伝説的に語り継がれる戦前の名横綱双葉山は「角聖」と称されるほどの抜きん出た力量と品格を備えていたのだと思うが、大鵬はそれに次ぐか並ぶ力士ではないだろうか。後世、何らかの称号が冠せられてもよい。
   ところで、かく言う私は実は大鵬のファンではなかった。当時子供が大好きなものとして「巨人、大鵬、卵焼き」が社会的な言葉になっていたが、確かに卵焼きは今でも好物だし、巨人もある時まではファンであった。しかし大相撲で言うと、柏鵬時代のもう一方の柏戸の方が好きだったし、もっと言えば佐田の山のファンであった。それは相撲の取り口によるところが大きい。安定した強さの大鵬より前みつを取ったら電車道で一直線に寄り切る豪快な勝ちっぷりの柏戸の方が面白かったし、大きくない体で柏鵬に対しても真正面から突っ張りで立ち向かう佐田の山姿に惹きつけられた。
  
   大鵬の数ある取り組みの中で、今でも目に焼き付いていて最も印象に残る取組みは、私が高校の修学旅行の船の中のテレビで観た佐田の山との優勝決定戦である。真正面から勝負する佐田の山はそれまで一度も大鵬に勝ったことがなかったが、この決定戦で勝った時は本当に興奮したのを覚えている。昭和37年(1962年)三月場所のことである。二度目の優勝を飾った佐田の山は場所後大関に昇進した。
   
   話は変わるが、大学3年の夏休みに北海道の合板会社で4週間の研修をしたことがある。それが終わって友達と1週間ほどかけての旅行がてらの帰り、途中で川湯温泉に泊まった時にタクシーの運ちゃんが大鵬の実家を案内してくれた。さほど立派な造りの家ではなかったけれど、確かに表札には「納谷」と書かれていた。それは横綱大鵬が全盛の頃であった。  

   ところで大鵬は享年72歳とまだ若かったが、元力士は一般人よりも短命がちだ。「土俵の鬼」と呼ばれた初代若ノ花は82歳と長命であったが、ライバル柏戸は58歳、名人横綱栃錦も64歳で亡くなっている。脳梗塞の後遺症で体の不自由を抱えていたが、角界の損失は大きいに違いない。合掌

 

[新春牡丹展]

   ボタン(牡丹)
は普通5月前後に咲くが、春と秋に花を付ける二季咲きの牡丹の変種を、新春のこの時期に愛でるために手間をかけて開花を調整したものという。神代植物園では毎年新年にこうした展示を行っている。

        

        

 

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雪遊び

2013-01-18 21:42:20 | 日記

   昨日(17日)午後から小学校の安全監視のボランティアの当番に就いた。14日の大雪後初めてなのだが、まだ校庭には真っさらの雪が残っていた。誰も校庭に入った様子がない。15日午前の当番者が連絡ノートに次のように書いていた。「こんなに雪が積もっているのに、生徒が一人も校庭で雪遊びをしない。校内放送でグランドに出ないように放送されていた。 雪遊びが体験できる貴重なチャンスなのに・・・」
   私もそう思ったので「多分先生方も雪遊びを知らない世代だと思う。また、生徒に風邪でも引かせたら保護者からクレームを受けることになるし」と書き込んだ。しかし後で考えるとどうもそういうことではなく、生徒たちが入り込むと校庭の表面がデコボコになって
後で均(なら)すのが大変になるからのようだ。

   さてところでその15日の午後、私たちのグループの地域交流「みんなのブックカフェ」の例会を予定通り開催した。足元が悪いので寄ってくれる来客は少ないことが予想されたが、案の定公園には雪遊びに絶好の雪が積もっているのに子供たちの姿が全く見えない。ところが3時過ぎた頃から2人、3人と集まり始め、終いには7,8人の小学生たちがキャッキャと言って雪合戦に興じ出したのだ。(下の写真) お蔭で私が貸して上げた皮手袋がビショビショになって返って来たが、子供本来の姿が見られてとても嬉しかった。

    雪遊びに興じる子供たち


[残り雪と春の兆し]

   神代植物園の園内もまだ雪が一面に残っているが、その中にも春の兆しが見ることができて気持ちもほころぶ。

    
         バラ園にはこの通りの雪が残る       綿帽子をかぶったツツジ園もまたいいものだ

    
春の先駆けロウバイ(蝋梅)が咲き出した      ツバキ(椿)の蕾も膨らんで今にも綻びそうだ 

 

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