フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

一服

2011-07-29 16:59:11 | 日記

   学校の夏休みが始まり、千葉から3人の小学生の孫たちが遊びにやって来た。 
   夏休み中にもそれぞれスポーツ活動などがあり、3日泊まって帰って行った。  
   学校にあがるようになってからは、泊まりがけで遊びに来るのは冬休み(正月)と夏休みくらいになってしまった。
   私も家内も仕事を持っているわけではないが、家内の方は何かとスケジュールが立て込んでいる。孫の来訪は家内の方がより喜び、あれこれ孫の世話を考えるのだが、今回は私の方が孫に連れ添うことが多かった。孫たちだけで親のいない時は私が3人と寝るのも習わしになっている。
   来る時は親が車で連れて来たが、帰りは私が千葉まで送って行った。
   幸い3人の仲がよく、一緒によく遊ぶので少し疲れはしたものの、楽しいひと時を過ごすことができた。今ちょっと一服したところである。

   今日の新聞に目を通すと、女性編集委員による「被災地の子ども 復興で輝きを奪わないで」というコラム記事があった。
   敢えて”女性編集委員による”と書いたのは、やはり女性らしい視点が感じられた記事だからである。筆者が被災地の小学校を回ると、子どもの輝きを感じる話に出合うのだと言う。
   その例が次のように紹介される。「被災後、朝の読書でむさぼるように本を読むようになった」「午後の授業になると机に突っ伏す生徒が多かったがほとんどいなくなった」「学級の空気が穏やかになり、いじめ行為が途絶えたという話も聞く」「机の中にいじめ言葉を書いた紙きれを入れるいじめが消えた」「心のケアのアンケートに 『一緒にいたくなった』『不安があるから仲良くしたい』と綴っていた」などなどである。
   そして「こうした変化は 阪神大震災でも見られた。しかし、阪神の場合はその輝きは学校が”正常化”するにつれて失われていった」という話を紹介している。
   私はこれを読んで、人間は生きることの危機を感じる極限に立たされると、精神や思考も根源的なものに立つのではないかと感じる。生きることの危機が立ち去ると、「欲」とそれを追求する「競争」の心が首をもたげるのではないか・・・と。
   大変暗示的なコラム記事であった。

[今日の花]

ハス(蓮)
  神代植物園では7月上旬からハスの花が咲き出した。
   ハスの花は「蓮華(レンゲ)」とも言われ、地下茎は「連根(レンコン)」で食用になる。
  
蓮根畑で思い浮かぶように、ハスは泥の池の中で育つが、植物園では観賞用に栽培していて、間近でつぶさに観察することができる。
   中国ではその美しさだけでなく、泥の中に咲いても泥に染まらない気高さが尊ばれているそうだ。このたび来日した教え子の研修生がそういういわれのハスの花をモチーフにした手製の刺繍を私への土産として持って来たのだが、ある日本人から「縁起のよくない花」と聞かされ、困惑したそうだ。確かに仏教の極楽浄土に咲く花のイメージだが、それだけ尊い花と認識されるべきところを「あの世の花で、縁起でもない」と錯誤した日本人がいたわけである。

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夏休み・セミ・涼

2011-07-23 18:16:04 | 日記

   21日から都内の小中学校は夏休みに入った。
   終業式の日は大型の台風6号が接近中でちょっと心配されたのだが、日本上陸間近でUターンして太平洋上に去ったため、幸い心配されたような荒天にはならずに済んだ。当日はちょうど小学校の安全監視の当番に当たっていた私もほっとしたのだが、この学校安全推進員もこれから8月末までの夏休みの間、お役はご免となる。と同時に別の小学校での授業のお手伝いもしばらくお休みである。
   児童たちの明るい笑顔に接するのが励みにもなっているので、一抹の寂しさも感じる。

   先日、「梅雨も明けたのに最近はセミの声が聞こえない。何か異変を感じる」ということを何かで聞いた。私もいつもの散歩でそれを感じている。
   自分の学校時代の夏休みといえば、照りつける太陽とセミしぐれが強いイメージとして残っている。今どきならニイニイゼミとアブラゼミがうるさいほど鳴いているはずである。8月に入るやミンミンゼミが主役に代わり、ほどなく夕方にはヒグラシも鳴き出す。そしてお盆を過ぎるとツクツクボウシが鳴いて夏休みが残り少なくなったという寂獏感を味わう・・・ざっとこんな「セミストーリー」なのだが、まずはスタートが出遅れていることは確かなようだ。

   夏休みに入って最初の週末は、例年、家族連れで海や山にどっと繰り出し、人・人・人で埋め尽された海水浴場や長い渋滞の高速道路が定番の光景になっている。
   しかし、大震災後は遠出の行楽などが控えられ、また行楽地の放射線量などにも神経をとがらせており、この週末はどうなるのか興味が湧く。
   今日私はいつもと変わらず井の頭公園を歩いたが、まだ昼前だったせいか普段の土曜日よりは人出が少なく、涼を求める姿など何か落ち着いた雰囲気を感じた。いつもは昼過ぎから賑わうので、時間のせいなのかもしれない。
   上記の話題のセミは、かすかにニイニイゼミの鳴き声が聞こえるだけであった。

   
  人なつこく、餌を求めて近づいて来る井の頭公園の鯉たち。しかし、餌やりは禁止だ。

(写真下)涼を求めて思い思いに


   




 

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なでしこフィーバー考

2011-07-21 12:33:19 | 時事トピックス

   西日本を中心にUターン型の珍しい進路の大型台風6号の渦に巻き込まれた。
   それより前、日本全土が歓喜と感動の渦に巻き込まれた。
   女子W杯サッカーでの日本チーム「なでしこジャパン」の優勝である。 18日の早朝、日米対決となった決勝でPK戦の末劇的な勝利をおさめ一大フィーバーとなった。
   私はその日、静岡まで車を運手して教え子の中国人研修生に会いに行くため、体力温存して、後半から家内の観戦に付き合ったのだが、日本勝利の瞬間は「信じられない!」を連発して興奮した。
   私の大会予想として、実力的にはベスト4に進出すれば「期待に応えた」と評価するところであった。最後の決勝戦はとても太刀打ちできる相手ではなく、善戦することを以って賞讃する考えだった。まあ優勝まで本当に予想した日本人はいなかったと思うのであるが・・・。
   だが、この大会のフィナーレで「最後まであきらめない」という言葉が、大震災で打ちのめされた日本人の心の中に灯されたのである。  

   さてところで、18日の日ほど新聞各社が歯ぎしりをしたことはなかったろうと推察する。
   朝刊の報道には間に合わず、夕刊は休刊日で、新聞が記事にできたのは1日後である。
   18日は朝から晩まで全テレビ局が「なでしこジャパン」一色であった。その翌日になって一面で優勝を報じても何の感動もない。前日の飲み残しのコーラを飲んでいるようなもので、まったく気の抜けた新聞になってしまった。
  せめて試合が4,5時間早く終わっていれば、テレビ観戦できなかった読者に感動を提供できたのにな、と私は同情している。今度のフィーバーはメディア戦で言えば新聞の完敗であった。 新聞各社の歯ぎしりの音が聞こえて来るようである。

  「なでしこジャパン」の選手・監督のプロフィールやエピソードがこれでもかと紹介されているが、女子サッカーや選手達の環境・境遇についても知られるところとなった。
   例えば優勝候補筆頭であったアメリカでは、今や女の子の習い事となっているくらい、広く親しまれた競技人口を抱えており、国の代表チームの選手の境遇は日本と比較にならない、という。体力的にも格段の差があることは、大会のVTRなどを見れば火を見るより明らかである。   競技人口や選手層の厚さというのは、ピラミッドの裾が広いほど頂点は高くなることに例えられるように、特殊な選手やチームだけで頂点を維持して行くことは難しい。確かに日本独特の精神性や創意工夫で世界の一流レベルまでは達したと思うが、今後は「なでしこジャパン」の快挙を起爆剤に競技人口が拡大し、ビジネスとしても成り立つような企画力・資金力を備えて行かないと、他国に置いて行かれることになりかねない。かつての女子バレーのように。

   それにしてもこの快挙、みんなが熱狂して歓迎する気持ちも分からないではないが、眠る時間も与えないくらい選手・監督を引っぱり出し、帰国にあたっては成田で「あれが選手たちの乗った飛行機です」と超望遠の中継画像を放映したり、 相変わらずマスコミの「他社と横並びないし遅れを取らない」スタンスが丸見えである。また、この神輿を担がない手はないと、菅首相や石原都知事も乗り出して来ている。 日本は今まだ”なでしこフィーバー酔い”の只中にある。


[今日の花]

   ここは正にナデシコ(撫子)の出番がタイムリーなのだが、今季まだナデシコを撮影していないのが残念である。

タケニグサ(竹似草)
  そうどこにでも生えているわけではないが、ちょっとありふれた感じの大型の多年草である。
  茎が中空で長く伸びるところが竹に似ている、ということから名付けられた。
    茎や葉から採れる乳液はアルカロイド類を含み、中国では打撲や腫れ、虫刺されなどの生薬として利用されるそうだ。

      高さ2㍍くらいには伸びるタケニグサ

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スポーツGOMI拾い

2011-07-17 19:54:14 | 日記

   今日は地元商工会の恒例の夏祭りが開催された。
   商工会加盟各社の展示コーナーやたくさんの模擬店、そしてステージでのショーなどの多彩な催しがあり、猛暑にもかかわらず大勢の人出で賑わった。
   その夏祭りで初めてのイベントとして「スポーツGOMI拾い」という競技が催された。

   ところで「スポーツGOMI拾い」という言葉を知っているだろうか。
   環境活動、エコ活動の一環としてゴミ拾いを競技化して推進しようとする試みである。
   既に全国的に取り組まれていて、「日本スポーツGOMI拾い連盟」なる競技団体も結成され、ルールも確立されているのだそうだ。
   今や「スポゴミ」で通っているほどだが、私は昨年この言葉を知って興味を持ったところだった。そして、今回の催しのあることを地域活動の恩師かつ同志から案内を受けて参加してみたのだ。

   今日は競技参加ではなく、審判員の方に回った。
   競技は1チーム5人で、12チームが参加。予め指定された、夏祭り会場を中心とするエリアでゴミを拾い、それを燃えるごみ、燃えないゴミ、プラスチック類、たばこの吸い殻など8つの分別に従った得点換算により総ポイントを争うものである。
   審判員はチームに同行して、ルールに違反する行為などはないかを監視し、審判するのである。決められた時間内に戻り、分別毎に計量して総得点を算出して、最後に表彰式と相成る。 私は地元近くの大学に通う5人のグループについて回ったのだが、結果は12チームの中のダントツ1位の成績となり、私の方までつい嬉しくなってしまった。

   その様子をスナップ写真で以下紹介してみる。

     
 (上左)夏祭り会場内に全チームが集合。これが私が審判するチームの5人の学生
  (上右)お母さんと一緒にチビッコも参加してくれた。みんな胸に「ゴミ拾いはスポーツだ」というロゴが書かれた黄色いユニフォームを着用。

         
   いよいよ街に出てゴミを探し始める        そうそう、道端の草むらも入念に探してみる 

    少しずつ集まって来ましたね

 ここで”宝の山”を発見。側溝から出るは出るは

 さて、帰ってから計量し審査される

    
 見事に優勝、大会会長より表彰を受ける     優勝チームの記念写真に私も呼ばれて光栄  

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新聞を読んで(日本に来てよかった)

2011-07-17 11:46:50 | 新聞を読んで

   震災後の新聞は毎日暗い記事で溢れているので、そんな中でホッとするような記事を目にすると気持ちが和む。
   今日は読者の声の欄の「迷ったが日本に来てよかった」という投書に目が行った。
   4月に交換留学生として来日し、仙台の大学で学ぶ韓国人学生の投書である。
   「今では友達もたくさんでき、生活にも慣れて来た」というが、大震災の直後の来日だっただけに、友達にはよく「怖くなかった?」と聞かれたようだ。
   当然家族や周囲から「日本には行かない方がよい」と言われたが、「全然怖くなかったわけではないが、大変な時に留学するともっといろいろなことが学べると思った」と言い、そして今「日本に来て本当によかったと思う」と綴っている。
   その理由に「大変ながらもお互いに応援しながら生きている日本人、日本社会を学んでいるから」を挙げている。
   私は読み終えた後、ちょっと目が潤んでしまった。
   こうした日本見聞の経験は帰国後もきっと日本のよき理解者として、母国との理解・親善に生かされるものと信じている。
   私にも身近に教え子の中国人研修生が、この留学生と似た境遇や経験の中にいる。
   また、すでに帰国した研修生から「また日本に行きたい」という便りももらっている。
   我々もこれらの声にふさわしい日本、日本人でなければならないと強く思う。
  それにしても、震災発生直後は日本人の礼節や辛抱強さなどが海外から賞讃もされたが、その後の政治の混乱や原発騒動など、本当に海外諸国から信頼を得るには程遠い我が国の現状が残念でならない。

 
 [今日の花]

ヤマユリ(山百合)オニユリ(鬼百合)   

   今はユリ(百合)の仲間の花のシーズンでもある。
   写真左のヤマユリ(山百合)は白色の花弁に黄色い筋、紅色の小さな斑点が見える。
   濃厚な甘い香りがする。
   右はオニユリ(鬼百合)で、赤~赤橙色の花弁に黒い斑点。花弁が強く反り返るところが特徴である。  (写真はいずれも井の頭公園)
 
    ボタン(牡丹)の花を取り上げた時に、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と美しい女性の姿を例える言葉を紹介したが、その百合とはヤマユリを指すのだろうと考える。、
   「ユリの王様」とも呼ばれるほど、ユリの中でも大きく華麗な花である。
 

     
                ヤマユリ(山百合)              オニユリ(鬼百合)

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