隣りの調布市で起きた小型飛行機の墜落事故、その後連日の報道が続いている。事故原因はまだ解明中とのことだが、離陸直後の異常の目撃談やら”専門家”による「操縦ミス」だとか「エンジン・トラブル」だとかの解説などが飛び交っている。調査で事故機は20年ほど前にも事故を起こし、この時傷ついたエンジンは取り換えずに修理して使っていることが分かったが、車の車検にあたる定期的な安全検査には通っている。飛行目的が届け出た「慣熟飛行」ではなく許可できない遊覧飛行だったとか言うが、それが事故原因とは直接は関係なかろう。滑走距離が長くなり離陸後も高度が上がらなかったことや近くの住民の「音が普段より低かった」という目撃談からエンジンの回転が上がらず推力がなかったことが考えられ、コースが左にそれたというのは引き返すために旋回しようとして決定的に揚力を失ったものと推測するが、素人判断もそこまで。調布飛行場は都のコミューター空港ということで舛添知事まで記者会見に引っ張り出されているが、この先死亡した機長の事故とは無関係なスキャンダル報道に発展しないように願っている。
文部科学省が実施した公立小中学校教職員の業務の実態調査の結果が全国紙各紙に取り上げられていた。
それによると、教諭の1日の平均在校時間は小・中どちらも12時間前後に上る。副校長・教頭では12時間半を超える。毎日のことである。会社員などなら完全に過労状態だ。その前に行われた国際調査では参加国中最長の勤務時間であったというが、恐るべき実態である。調査の中の「負担に感じる業務」で、最も割合が高いのが「国や教育委員会からの調査対応」で85%以上、次いで「研修会の事前リポートや報告書作成」で72,3%、3番目に「保護者や地域からの要望、苦情対応」約71%・・・となっていた。上位”3悪”は児童・生徒の学習や指導に関する業務そのものではなく、特にトップ2は監督機関や管理層の教員管理のためにやらされているものだ。体を動かさないいわゆるデスクワーク管理層が現業のデータを把握するために課している”雑用”に教師たちが泣かされている姿が見えて来る。3番目のモンスター・ペアレントやクレーマーも、よく知られているように教師の精神的負担を強いている。いじめによる生徒の自殺など悲惨な問題が起きる度に先生や学校の対応が槍玉に上がるが、先生たちのこの実態で児童・生徒に対するキメ細かな配慮や指導ができるものだろうか。かつては『でもしか先生』(ほかにできることがないから先生にでもなろうか、先生にしかなれない)と言われた時代もあったが、今や『教師残酷物語』とも言うべき状態のようだ。
[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#78-三男の”魯の国”旅行
この年5月に家内と長男が濰坊へ遊びに来てくれたが、今度は三男がやって来ることになった。私の滞在している山東省はかつては「魯」の国と呼ばれた孔子の出身地である。哲学を志して京大に進み中国哲学を学んだ三男にとっては聖地なのだ。私は幸い孔子の古里である曲阜の孔子廟や中国一の霊峰・泰山、歴史ある省都の済南などを学生に連れて行ってもらっているので、案内の構想は出来ていた。
しかし中国内ではここへ来て尖閣諸島問題から起こった反日行動に火がついていた。それについては前に取り上げているが、少なくとも私の周囲には全くその気配がなかったので、能天気に考えていた。だが大学としては日本人2人で旅行することに不安を抱き、日本語科の教師のトー先生を同行させることになった。しかも業務上の出張としてである。トー先生は高校卒業後来日し、東京の日本語専修学校で学んだ後中央大学を卒業した人である。日本語科で最も日本語が達者であった。能天気な私でも言葉の方には一抹も二抹も不安があったので、これは心強い限りであった。 とにかく学校のこの配慮には大いに感謝をした。
10月下旬、三男がやって来た。これにも学校から空港へ出迎えの車を出してくれた。通訳としてケイさんとヨウさんの例の2人組に乗ってもらった。2人は三男が到着までの間「ドキドキする」と言っていたが、帰りの濰坊までの車中は3人で話をさせておいた。無事学校に着いた後、明日から同行のトー先生と同僚のモリキさん、それに家内と長男の時にも引き合わせたタケシ君の4人で食事をした。その晩は学校が教職員宿舎の一室を三男に用意してくれた。
市内に住んでいるトー先生とは翌朝、濰坊駅で待ち合わせをして新幹線で出発。まずは泰山に登ったが、登ったと言っても日程的に歩いて登るのは無理。何より私の方がコリゴリだったのでバスとロープウェイの乗り継ぎであったが、山頂及びその周辺の歴史建造物などの拝観を済ませた。三男にはその壮観ぶりが分かったと思う。
次は孔子の里、曲阜であるが、ここも時間の関係で「孔廟」だけにとどめ、3点セットの「孔府」と「孔林」は割愛した。続いては済南。ここでは「千仏山」に登り、「趵突泉(ぼくとつせん)」の湧水泉を見物、そして「黄河」を眺めに行った。さあてここで困ったことが一つあった。手持ちキャッシュが心細くなって来たのだ。トー先生の旅費は後で精算することになっていたようで、私がほとんど立て替えしたためである。カードでキャッシングすることも考えたがそれをする機会もなかった。済南から次は潍坊を通過して青島まで行く予定だったが、窮余の策でモリキさんにメールをし濰坊駅のホームにお金を持って来てもらった。これで大船に乗った気分となり、青島では心置きなく遊び食事ができた。特に、何回も行ったことのある青島だったがこの時はそれまでで一番美味しい海鮮料理に行き当たり、青島生ビールのお代わりを重ねて舌鼓を打った。モリキさんに無理を言ってお金を調達できたおかげである。
最後、ホテルから青島空港に向かう道路は朝のラッシュ・アワーで市内の目抜き通りが大渋滞。ヒヤヒヤしたが運転手の判断で大回りの高速道路を走ってフライトに間に合った。こうして何とか三男の”魯の国”3泊4日の旅を送り終えたのであった。
【写真説明】
①泰山をロープウェイで登る ②泰山山上の豪壮な歴史建造物群 ③孔廟内にて ④曲阜の城門 ⑤千仏山山頂にて ⑥千仏山から眺める済南市街 ⑦黄河の河畔で ⑧青島の夜、天幕城を通り海鮮料理の店を探し歩く
① ② ③ ④
⑤ ⑥ ⑦ ⑧