フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

小型機墜落報道続く/小・中学教師残酷物語

2015-07-30 21:44:31 | 日記

    隣りの調布市で起きた小型飛行機の墜落事故、その後連日の報道が続いている。事故原因はまだ解明中とのことだが、離陸直後の異常の目撃談やら”専門家”による「操縦ミス」だとか「エンジン・トラブル」だとかの解説などが飛び交っている。調査で事故機は20年ほど前にも事故を起こし、この時傷ついたエンジンは取り換えずに修理して使っていることが分かったが、車の車検にあたる定期的な安全検査には通っている。飛行目的が届け出た「慣熟飛行」ではなく許可できない遊覧飛行だったとか言うが、それが事故原因とは直接は関係なかろう。滑走距離が長くなり離陸後も高度が上がらなかったことや近くの住民の「音が普段より低かった」という目撃談からエンジンの回転が上がらず推力がなかったことが考えられ、コースが左にそれたというのは引き返すために旋回しようとして決定的に揚力を失ったものと推測するが、素人判断もそこまで。調布飛行場は都のコミューター空港ということで舛添知事まで記者会見に引っ張り出されているが、この先死亡した機長の事故とは無関係なスキャンダル報道に発展しないように願っている。

   文部科学省が実施した公立小中学校教職員の業務の実態調査の結果が全国紙各紙に取り上げられていた。
   それによると、教諭の1日の平均在校時間は小・中どちらも12時間前後に上る。副校長・教頭では12時間半を超える。毎日のことである。会社員などなら完全に過労状態だ。その前に行われた国際調査では参加国中最長の勤務時間であったというが、恐るべき実態である。調査の中の「負担に感じる業務」で、最も割合が高いのが「国や教育委員会からの調査対応」で85%以上、次いで「研修会の事前リポートや報告書作成」で72,3%、3番目に「保護者や地域からの要望、苦情対応」約71%・・・となっていた。上位”3悪”は児童・生徒の学習や指導に関する業務そのものではなく、特にトップ2は監督機関や管理層の教員管理のためにやらされているものだ。体を動かさないいわゆるデスクワーク管理層が現業のデータを把握するために課している”雑用”に教師たちが泣かされている姿が見えて来る。3番目のモンスター・ペアレントやクレーマーも、よく知られているように教師の精神的負担を強いている。いじめによる生徒の自殺など悲惨な問題が起きる度に先生や学校の対応が槍玉に上がるが、先生たちのこの実態で児童・生徒に対するキメ細かな配慮や指導ができるものだろうか。かつては『でもしか先生』(ほかにできることがないから先生にでもなろうか、先生にしかなれない)と言われた時代もあったが、今や『教師残酷物語』とも言うべき状態のようだ。 

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#78-三男の”魯の国”旅行

  
この年5月に家内と長男が濰坊へ遊びに来てくれたが、今度は三男がやって来ることになった。私の滞在している山東省はかつては「魯」の国と呼ばれた孔子の出身地である。哲学を志して京大に進み中国哲学を学んだ三男にとっては聖地なのだ。私は幸い孔子の古里である曲阜の孔子廟や中国一の霊峰・泰山、歴史ある省都の済南などを学生に連れて行ってもらっているので、案内の構想は出来ていた。
   しかし中国内ではここへ来て尖閣諸島問題から起こった反日行動に火がついていた。それについては前に取り上げているが、少なくとも私の周囲には全くその気配がなかったので、能天気に考えていた。だが大学としては日本人2人で旅行することに不安を抱き、日本語科の教師のトー先生を同行させることになった。しかも業務上の出張としてである。トー先生は高校卒業後来日し、東京の日本語専修学校で学んだ後中央大学を卒業した人である。日本語科で最も日本語が達者であった。能天気な私でも言葉の方には一抹も二抹も不安があったので、これは心強い限りであった。 とにかく学校のこの配慮には大いに感謝をした。      
  10月下旬、三男がやって来た。これにも学校から空港へ出迎えの車を出してくれた。通訳としてケイさんとヨウさんの例の2人組に乗ってもらった。2人は三男が到着までの間「ドキドキする」と言っていたが、帰りの濰坊までの車中は3人で話をさせておいた。無事学校に着いた後、明日から同行のトー先生と同僚のモリキさん、それに家内と長男の時にも引き合わせたタケシ君の4人で食事をした。その晩は学校が教職員宿舎の一室を三男に用意してくれた。
   市内に住んでいるトー先生とは翌朝、濰坊駅で待ち合わせをして新幹線で出発。まずは泰山に登ったが、登ったと言っても日程的に歩いて登るのは無理。何より私の方がコリゴリだったのでバスとロープウェイの乗り継ぎであったが、山頂及びその周辺の歴史建造物などの拝観を済ませた。三男にはその壮観ぶりが分かったと思う。
   次は孔子の里、曲阜であるが、ここも時間の関係で「孔廟」だけにとどめ、3点セットの「孔府」と「孔林」は割愛した。続いては済南。ここでは「千仏山」に登り、「趵突泉(ぼくとつせん)」の湧水泉を見物、そして「黄河」を眺めに行った。さあてここで困ったことが一つあった。手持ちキャッシュが心細くなって来たのだ。トー先生の旅費は後で精算することになっていたようで、私がほとんど立て替えしたためである。カードでキャッシングすることも考えたがそれをする機会もなかった。済南から次は潍坊を通過して青島まで行く予定だったが、窮余の策でモリキさんにメールをし濰坊駅のホームにお金を持って来てもらった。これで大船に乗った気分となり、青島では心置きなく遊び食事ができた。特に、何回も行ったことのある青島だったがこの時はそれまでで一番美味しい海鮮料理に行き当たり、青島生ビールのお代わりを重ねて舌鼓を打った。モリキさんに無理を言ってお金を調達できたおかげである。
   最後、ホテルから青島空港に向かう道路は朝のラッシュ・アワーで市内の目抜き通りが大渋滞。ヒヤヒヤしたが運転手の判断で大回りの高速道路を走ってフライトに間に合った。こうして何とか三男の”魯の国”3泊4日の旅を送り終えたのであった。  
  
【写真説明】
 ①泰山をロープウェイで登る  ②泰山山上の豪壮な歴史建造物群  ③孔廟内にて ④曲阜の城門  ⑤千仏山山頂にて ⑥千仏山から眺める済南市街  ⑦黄河の河畔で  ⑧青島の夜、天幕城を通り海鮮料理の店を探し歩く

      
          
   ①               ②                ③               ④

    
      
 ⑤              ⑥               ⑦                ⑧     

 

 

 

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うだる暑さ/小型飛行機の墜落/旭天鵬が引退

2015-07-27 15:30:39 | 日記

   うだる様な暑さが続いている。クーラー嫌いな家内とエアコンそのものが余り好きでない私もさすがにクーラーを入れざるを得なくなった。夜は網戸をしてガラス戸を開けておけば涼しい風が入るようになり、明け方には寒くなることさえある。井の頭公園の豊かな森と近所に多いサクラの大木のお蔭であろうか。8月生まれの私は、以前は梅雨が明け夏到来の太陽が好きだったのだが、近年では重く射すような暑さを感じる。こちらは歳のせいなのだろうか。

   昨日昼、小型飛行機が住宅街に墜落して、搭乗者のみならず民家の住人までが死傷するという事故が大きなニュースになっている。事故発生から今日に至るもこの話題で持ちきりである。私の住む三鷹のすぐ隣の調布市での事故であり、身近かなニュースだ。調布飛行場はよく知っている場所で、墜落するのがもう少し先だったら私の所に落ちたかも・・・なんて考えてもみたが飛ぶ方向が逆であった。調布飛行場からは伊豆七島方面の定期便が運航されているが、民間の小型機の離着陸が多い。その数、年間1万8千回に及ぶと言う。30年前にも墜落死亡事故が起きているというが、これだけの回数の中だ。まだ事故原因は解明されていないが、あってはならぬ事故とは言っても何万あるいは何十万回に1回の事故も起こらないとは言い切れない。

   大相撲名古屋場所は白鵬35回目の優勝で幕を閉じた。鶴竜が久しぶりに最後まで健闘したが、やっぱり白鵬である。それに勝るとも劣らない話題が旭天鵬の現役引退表明だった。前から「十両に落ちたら引退」を口にしていたが、今場所3勝12敗に終わって、来場所の十両陥落が決定的になった。いつ頃だったか、以前にも旭天鵬を称える記事を書いたことがあるが、今日本の大相撲を支え、隆盛を誇るモンゴル力士の草分け的存在で、40歳の今日まで幕内通算99場所(史上2位)を勤め、史上1位の1470回の出場を記録した。37歳8ケ月の最年長優勝も相撲史の金字塔である。土俵上での柔和な表情と穏やかな人柄で長い間相撲ファンを惹きつけて来た。最後の土俵の後は、引退を惜しむ声を背に涙を拭いながら花道を引き揚げて行った。既に日本国籍を取得しており、大相撲に骨を埋めるつもりである。圧倒的な優勝回数記録をもつ白鵬とともにモンゴル力士の歴史を作った2人が昨日の優勝パレードの車に並んで座った。いい光景であった。 

 

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#77-国慶節に省都・済南へ

   中国の建国記念日である国慶節の祝日は10月1日、正月にあたる春節に次いで会社や学校が大型連休となる。前年は強毒の新型インフルエンザが流行していたため、経貿学院では学生がインフルエンザに感染したり、それを拡散したりしないように休日は10月1日だけとする禁足令を出していた(その分学期末を繰り上げた)が、この年は通常の連休になった。前号のように尖閣諸島問題による反日感情が高まっていた時期ではあるが、学生2人と山東省の省都・済南に旅行することになった。連れて行ってくれたのはチョウ・テンシンとヨウ・ハイジエ。と言っても2人とも済南は初めて。濰坊から在来線特急で2時間半ちょっと、気候のよい秋の連休ということもあり列車は満席であった。済南は不案内なのでチョウさんが高校の友人を呼び出していて、一緒に昼食の後まず宿探しから始めた。外国人が泊まれるのは三ツ星以上という規定があって学生が泊まるようなところは大抵外国人はNGである。2つばかり断られた後、中国政府が発行している「外国専門家証」を見せたら「うちは日本人でもウェルカムね」と言ってOKしてくれたところがあった。最近、東京で昔のドヤ街みたいな所の旅館が外国人に人気があるらしいけど、まあそれに毛が生えた程度の旅館であった。  
   取りあえず宿が決まったので荷物を置いて観光に出かけた。チョウさんの友人とはここで分かれた。あとは私が持っている中国旅行のガイドブックが頼りだ。街の中心部にあって旅館からもほど近い大明湖は広さが46万㎡といい、東京ドームが丁度10個入る広さ。緑豊かな散策道があり遊覧船や釣りなども楽しめる憩いの公園である。
   済南には湧水池が豊富にあるそうで、その中の趵突泉(ぼくとつせん)は池の底から湧いた水が数十㎝も盛り上がるので人気スポットになっている。済南駅から5㎞ほどしか離れていない千仏山は高さ260mほどで山頂から市内が一望できる。元々信仰の山で磨崖仏がたくさん彫られたことからその名がついたそうだ。歩いても登れるし、ロープウェイもあるのだが、今回はガイドブックの大まかな地図を見ての私のミスリードで、近道のはずがとんでもないガケ道を登る羽目になってしまった。そして市街部の北を流れる黄河。渤海の河口まであと300kmくらいあるが、教科書的に言えば全長5,464kmの大河で、済南市はもう最下流域にあたる。その名の通り上流の土を多量に含んだ黄土色の濁流である。川幅は300m前後だろうか、滔々とした流れに圧倒された。帰りの列車は途中で1時間以上停車、隣りの線路では客車や貨物車が時折通るのに一言の説明もないまま再び動き出した。日本では全く考えられない乗客対応であった。

  
①連休で満席の列車内 ②済南駅の駅前通り     ③大明湖の光景     ④大明湖でチョウさんとヨウさん

   
 ⑤趵突泉の吹き出る湧水  ⑥趵突泉入口      ⑦千仏山に登る       ⑧黄河の流れをバックに

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ランキング記事の斜め読み

2015-07-24 07:49:08 | 日記

   暇ネタ記事になろうか、過日の朝日新聞に『今どきの社長さんは田園調布に住まない?』という見出しの記事があった。住居地域別に住んでいる社長の数を2003年と2014年で比較して、その数のランキングが様変わりしていることが取り上げられている。かつて人気随一の高級住宅地だった田園調布や成城が凋落し、赤坂や六本木などが取って替っていると言うのだ。ランキングで言うと2003年の1位の田園調布が18位に、同点1位の成城が13位に落ち、それに替って20位だった赤坂が1位に、88位だった六本木が5位に急浮上したという。だが全社長数が2.5倍になっている中で、田園調布も2.4倍に増えていて、率から見れば横ばいとも言える。赤坂が4.7倍、六本木が5.9倍になっているのに比べれば低いがそもそも赤坂、六本木地区は高級な高層マンションが急増しているわけで当然のことではないかと思える。新興企業にとっては情報の発信地にもなっているので人気が高いことも事実であろう。それらのこと間違いないとして、新しい物件の開発がない伝統的な住宅地と社長さんの数だけで人気度を単純比較するのはちょっと見方がズレている気がする。 

   もう一つランキング比較の話題で、こちらは毎週の視聴率の『TVランキング。3週間前は上位20位中日本テレビが11本を占めていると紹介したが、昨日掲載の先週のランキングでは日テレが7本にとどまり、3本だったNHKが8本でトップになっていた。でもよく見ると上位に大相撲中継が3本も入っている。1週通して放送されるニュース番組や連続ドラマなどは最高視聴率の日だけが代表してランクされているのに、大相撲中継は毎日が1番組として扱われているのは不公平な扱いだと思うのだが。大きなスポーツ大会の放映で「第〇日目」として独立した番組に扱われるのも同じところがある。かと言ってもし朝ドラ「まれ」が(月曜)(火曜)・・・と各日ランキングされればNHKが毎週上位独占になってしまうだろう。線引きが難しいところだ。

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#76-尖閣諸島問題で反日運動が起きる

 
  私の山東省滞在第三ステージでは尖閣諸島問題による反日運動が起こり、一部都市では暴動にまで発展した。
   事の起こりは2010年9月7日のこと。尖閣諸島付近の日本領海で操業中の中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船の停船勧告を聞かず、巡視船に衝突を繰り返したため漁船の船長を公務執行妨害で逮捕したことに始まる。船長は誕生間まもない管直人首相の政治判断で釈放したが、中国内の反日感情が高ぶり、北京の日本大使館周辺のデモから地方都市での暴動にまで発展した。
   要因は異なるが、その2年後には中国の広範囲で反日デモ・暴動がエスカレートし、工場への乱入・打ち壊し、デパートでの破壊・略奪等に及んだことは記憶に生々しいところだ。
   2010年のことに戻すと、青島の日本領事館からは連日のように在留邦人へ中国各地の情勢や日本人の取るべき行動などについてメールが送られてきた。(因みに海外に3ケ月以上滞在する時は現地の大使館または領事館に届け出をしなければならないので、私も届け出をしてあった。)また学校当局からも私とモリキさんに、単独ではキャンパス外に出ないよう、出る時は必ず中国人学生と同行するよう注意がなされた。
   一方では、三男が10月に山東省に旅行で来る話が進んでいた。大学で中国哲学を専攻した三男にとって孔子の出身地”魯の国”(今の山東省)は聖地であり、私がそこに滞在中とあって聖地訪問の絶好のチャンスなのであった。
  
  私は領事館からのメールやインターネットのニュースから中国内の反日情勢は知っていたが、学生たちとの間には何にも違和感はなかったしキャンパス内には横断幕やら立て看板などでの反日の意思表示は何ひとつなく、全く平静そのものであった。私は1,2回は学生と一緒に市内に出たが、そこにも反日の気配は全くなく、以降ほとんど単独で買い物などに出かけた。結局濰坊市では日本人である私に反感を示す場面に一度も出くわしたことがなかった。だからと言って後から考えれば能天気だったのだが、私は三男の”魯の国”旅行に不安もなく受け入れ準備を進めた。但し学校の方では私と三男の日本人2人だけで旅行するのは不案内だし危険だとして、日本語科で一番日本語の達者なトー先生を全行程出張で同伴させるとの申し出があった。その件はまた別の号で取り上げたい。
 
  下の写真は2010年の尖閣問題の日々変わる情勢を伝える日本の新聞紙面。この滞在記を書くにあたって図書館の新聞縮刷版よりコピーしたものである。中国に居た私の周りは幸いにして平静そのものであった。
 

      

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梅雨明ける/がん講座を聴く/ゴルフ全英オープン

2015-07-21 10:17:14 | 日記

   関東地方は19日に梅雨が明けた、と気象庁の発表があった。台風11号が来る前、猛暑が続いた時に「梅雨明けになったのでは?」と思ったがそれよりは1週間ほど遅かった。多くの学校では夏休みに入ったところで、海水浴客で賑わう湘南海岸の光景が早速新聞に載っていた。

   最近、がんに関する講演を聴講する機会があった。一つは武蔵野日赤病院での「正しいがん治療の選び方」、もう一つは杏林大学医学部での「最新のがん化学療法」。市の広報に2つが並んで載っていたので興味が得秋湧き聴きに行った。講師はいずれも「腫瘍内科」の専門医であった。「腫瘍内科」? 今まで知らなかったのだが薬(抗がん剤)によるがん治療の専門科で、これがある病院はそう多くはないそうだ。講演では共通して抗がん剤についての基礎的な話があり、また「個別化治療」について触れていた。画一的な抗がん剤投与ではなく、遺伝子その他個人の特性に基づいた治療法を探す、というようなものであろうか。さらに後者の講演では、最近「免疫化学療法」がこれからの治療法として注目されているとの紹介があった。それぞれについて詳しく理解は出来ないが、がん治療はまだまだ進歩するとのことである。どちらも聴講者にはがん治療を受けた方やその身内の方が多いように見受けた。 

   ゴルフの世界4大大会の一つ「全英オープン」が連日深夜にテレビ放送された。1860年に第1回が開催された歴史と伝統を誇る大会で、コースはスコットランドの”ゴルフの聖地”セントアンドリュース。うねりにうねるフェアウェイ、深いラフと脱出が難しいバンカー、それに北海に面した特有の強い風が吹き付ける・・・実にワイルドで難しいコースであることがテレビを通して伝わって来る。日本のプロゴルフの大会のコースも一般のゴルファーがプレーする時よりはずっと難しい設定にしてあるけれど、このコースに比べたらまるで箱庭のように思える。だから出場資格を得て遠征したものの日本選手は早々に枕を並べて予選落ちである。ただ一人、若きエース松山英樹が世界のトップとしのぎを削り一時は上位争いに加わっていたが惜しくも18位に終わった。「全英」は日本のトーナメントとは別世界であることを感じたテレビ放送であった。(毎夜お疲れさま)
  

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#75-研修生・実習生を訪ねる

   新学期が始まる時点で新3年生の内17人が日本への研修生、市内での実習生などとしてもう学校には出ていなかった。私が常に「研修生」と呼んでいるものは日本での正式用語は「外国人技能実習生」である。だが日本でも一部には「研修生」と言うことがあり、中国では「研修生」というので私もそう呼んでいる。2年生の終わりに6人が日本に赴任した。2人が北海道、4人が千葉県であった。また4人が日本研修のための訓練機関に入ってビザ待ちになっていたが、11月にようやく長野県に着任した。
   ここで「実習生」と呼んでいるのは濰坊市内の有名デパートで店頭販売員の仕事、いわばアルバイトである。日本語とは全く関係がなく、当人たちは収入を得て社会経験をする、学校にとっては卒業生の有力就職先に縁故を築くのが目的になっている。これで学生は授業の単位は免除となり来年卒業できるのだ。私には腑に落ちないが、そういうシステムであった。それはともかくそれら研修生・実習生を慰問して話をしたり激励をした。
【以下写真で説明】
①千葉・鴨川のホテルで研修に入った4人を夏休みの帰国時に家内と訪ねた。予め連絡をしておいたら、フロントに来意を告げると丁重に研修生を呼び集めてくれた。一人は仕事の手が離せなかったが3人と日本の印象や生活などゆっくり話が聞けた。(左からキョウさん、ヨウさん、ソウ君)
②日本行きの訓練期間を修了したが研修先未確定でビザ待ちの面々。確定までの間、市内の日本料理店「一休」でバイトを兼ねて日本人客などへの給仕を勤めていた。「一休」は濰坊の日本人会の会場にもなっている。約半年の待機の後長野県のホテルで研修に就いた(1人だけは更に待機)。(左からキョクさん、リーさん、リー・アリンさん、レイさん)
③④は市内のデパート「銀座商城」での実習生。シチズンやカネボウ化粧品、PLAYBOYなどブランド品の売り場が主だが、全員バラバラの持ち場であった。(③左からリーさん、オウさん ④左からウーさん、ホーさん、オウ君)

    
 ①鴨川グランドホテル  ②日本料理店「一休」 ③市内「銀座商城」1Fにて   ④同 3Fに集まる

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新国立見直しは強行採決の副産物/フェンシングで金メダル

2015-07-18 10:28:32 | 日記

   膨れ上がった建設費で大ブーイングの新国立競技場。有識者会議で承認され、政府もそれを追認して既定の方向に走り出すはずだった。しかし、16日になって安倍首相が急に「見直し」を言い出し、昨17日東京五輪・パラリン組織委員会会長の森喜朗元首相と会談して一転「見直し」が决定された。森元首相は自分が日本ラグビー協会会長として誘致に成功した2019年W杯の晴れの舞台にしたかったので旗振りの先頭に立っていたが、時の総理から頼まれたとあって折れるしかなかった。何かアメ玉もしゃぶらせられたのだろう。
   事態が急転回したのは紛れもなく安保法案の衆院での強行採決に対する国民世論の反発が大きかったからだ。安保法案と新国立とで火の手が上がってはたまらない。安倍首相には”どうでもいい”新国立の方の火を消し、安保法制の参院可決に向けて総理の人気回復を目論んだ産物なのである。 

   フェンシングの世界選手権(於モスクワ)で太田雄貴選手が日本人として初めての金メダルに輝いた。太田選手は個人フルーレで2005年の世界選手権で銅メダル、’08年の北京五輪で銀、そして’12年のロンドン五輪では団体の銀メダルを獲得した。その太田選手を広告塔としてこれまでマイナー競技に見られていたフェンシングに光が当たったが、それでも競技環境は必ずしもよくないと言われる。2020年東京五輪の誘致成功にも多大な貢献をした太田選手の活躍を大いに称えたい。それにしてもヨーロッパが起源のこの競技、日本選手の活躍もさることながら国別ランキンクでは韓国、中国の方がまだ上だという。面白いところだ。

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#74-学生の浴衣姿

    先学期には私が紋付き・袴姿で教壇に立った後、宿舎に訪れた学生たちに着付けをしてあげたところ皆が大喜びをしてくれた。そのため次は浴衣を、と思い夏休みの帰国時に浴衣を送っておいた。私自身授業では着なかったが、外国人教師を招いた応用外語学部の食事会に着て行って披露した後、紋付き同様学生に着てもらった。家内の浴衣はもう着られる状態ではなかったので男物で我慢してもらったがそこまで知っている者はいない。柄がちょっと地味だが・・・。紋付きの二番煎じではあったが、これも大いに喜ばれて「我も我も」の人気であった。写真を一部披露するが、そのほかにも写真に納まった学生たちには全てプリントしてプレゼントている。以下浴衣姿の本人の名前を付した。なかなかみんな似合って可愛らしい。

   
 
    トウ・チョウ           ラン・ホウカ            ウー・ヘイ             ソン・ソバイ

    
     チョウ・テンシン          サイ・ブンセイ    カン・フェイフェイ(右はシュウ・ソウソウ)      トウ・セイ

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