フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

ジャニーズ性被害の実態に初めてのメスが・・・/百貨店そごう・西部のストライキで昔の池袋を思い出す

2023-08-31 22:08:31 | 日記

日本の芸能界で圧倒的な存在を誇る「ジャニーズ事務所」の創業者であり半世紀以上にわたって独裁支配をして来た故ジャニー喜多川氏。
その異常な性的挙動、つまり少年タレント及びそのタマゴに対する性行為については氏の生前から取りざたされていたが、メディアもほとんどが取り扱わず、闇の中に葬られて来た。
本人が死去した今になってやっと被害”少年”がカミングアウトし始めて、だんまりを決め込んでいた事務所も黙視を続けられなくなり、やっと第三者による調査の手が入った。
それによると喜多川氏から性被害を受けた少年は、40年も50年もの間で数百人にも上るという。その恐ろしい実態に改めて世間が驚愕しているところである。
おぞましくも歴史に残る性異常者と言っていいと思う反面、一方では周囲の無理解から野放しにされた重症性癖病人だったとも言えるのではなかろうか。


今日(31日)、大手百貨店のそごうと西武の両池袋店がストライキに入り、店舗は休業した。親会社が両百貨店事業を外資の会社に売却することを決めたことに対する労働組合の反対意思表明である。新聞の夕刊によると、大手百貨店のストは60年ぶりといい、歴史的な労働争議になる。
それはそうと、私が小学校高学年から中学生の頃は、正月にお年玉を持って池袋に買い物に出かけるのが楽しみだった。当時は確か西武と丸物というデパートが現在の形で並んでいた。バス一本の乗り換えなしで、子どもにとっては「銀ブラ」気分であった。そんな六十数年も昔の池袋を懐かしく思い出すのだが、東口に西武デパートがあり、西口に東武デパートがあるのは未だに不思議に思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夏の甲子園」終わる~私は準優勝の仙台育英高校に拍手を送る

2023-08-24 10:38:49 | 日記

今年の全国高校野球選手権大会、「夏の甲子園」が昨日(23日)終わった。因みに「甲子園」というだけで俳句の夏の季語になっているのだと、今朝ネット検索して知った。野球ファンならずとも国民的年中行事として認知されているのだが、高校野球には春休み期間中に開催される選抜選手権があり、こちらは「春の」を付けないとならない。
そんな前触れはどうでもいいのだが、今年の大会は神奈川代表の慶応高校が107年ぶり2回目の優勝を遂げて幕を閉じた。第2回大会以来102年ぶりの優勝という。丸一世紀の期間を経ての優勝ということだが、改めての大会の歴史の長さにも気づかされた。

栄えある優勝チーム及び監督・選手は称賛と祝福の言葉に包まれた。特に慶応高校監督のチーム作りの考え方・指導法は、これまでスパルタ主義第一が多く見受けられてきた中で傾聴すべきものがあった。
そう言ったところで、私は大会全試合中テレビ観戦をしたのは決勝戦1試合のみであった。家内が見ているのをちょこっと見たのが何回かあるくらいだが、決勝戦は最後の最後まで見届けた。

優勝校大絶賛の中で私が思ったのは、最も称賛されるべきは準優勝校の仙台育英高校の方だろうということだった。
言うまでもなく、前年の優勝チームである。昨年、東北勢の悲願だった『深紅の大優勝旗が初めて白河の関を越えた』のである。一世紀に亙る悲願を成し遂げたという「奇跡のチーム」が翌年また決勝戦に進んで、2連覇を賭けた勇姿をスタンドの観客と全国のテレビ視聴者に見せたのだ。
昨年の優勝監督インタビューでは、100年の扉を開けた(白河の関越え)喜びを語るだけでなく、「東北の皆さんありがとう。大会を盛り上げた出場チーム、この大会を作ってくれた全国の選手たちに拍手を送っていただきたい」と述べ、選手代表も試合に出られなかった選手たちを称え、苦労をかけた家族に感謝の気持ちを伝えた。目頭が熱くなった閉会式であった。
あれから一年、その奇跡のチームが地方予選4試合、本大会5試合を勝ち抜いてまた決勝戦に臨んだのある。この大会の予選・本戦を通じて19連勝、20戦目の敗北であった。東北地方7県の野球史に永久に残りそうな記録と、私は拍手を送りたい。


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞投稿に見る今どきの小中学生の夏休み/私の夏休みは・・・

2023-08-22 12:35:57 | 日記

今朝(12日)の読者投稿欄に載った中学生の投稿を読んで、唸ったり共感したりであった。
投稿中学生は学校の夏休みを『強制家庭学習期間』と呼んでいる、という。そのココロは、「学校には行かないけど、宿題や部活に追われて休む暇もない」。
「宿題があって心身ともにリフレッシュなんて夢のまた夢」「夏休みは自分のやりたいことが出来る期間・・・という未来を願っている」などと綴っている。
う~ん、宿題の中身はよく分からないが、どうも学校の授業の補習的な内容かと思わせる。登校はせず、先生はいないけど”授業”漬けの休み、ということか。
我が家は3人の子がいて成人して行ったが、子ども達がそんな呻吟をしていたという記憶はない。次の世代の孫が5人、内2人が現在小学生で、これら全員が先日の盆休みに我が家に集まったが、夏休みの話題は全く無く、私はこの投稿を読んで初めて”現代の夏休み”を知った次第なのである。

翻って自分の小学時代の夏休みはどうであったのか。もう70年前後も前のことになるが、けっこう覚えている。
まず、休みに当たって「夏休みの友」とか呼ばれたドリルが一冊配られた。A4版42ページ(1日1ページ)の宿題であったが、これは休みが始まって3~4日で終わらせた。あとは”自由学習”とかで、図画・工作または昆虫採集を提出した。私は昆虫採集が好きで、各種のセミやトンボ、チョウチョ、クワガタやタマムシなどを追った。
セミ取りには決してネバネバ樹脂の「鳥モチ」は使わず、針金の輪を細い竹竿の先に取り付けてクモの巣を張った。そのため朝早く、近所の家の軒下に張ってある新鮮なクモの巣を巻き付けて回った。これはモチの様にネバネバがセミにくっつかず、面積も広いのでとても良いセミ取り道具であった。

そういう宿題的なものを除いて休みの前半、10日位自由参加の「ラジオ体操」があった。健康と朝起きの習慣を保つことが趣旨だと思うが、8時半頃に校庭に集まりラジオ体操第一・第二の音楽に合わせて体を動かした。出欠カードを持参し、出席優秀者にはノートだかのご褒美がもらえた。
私が6年生の時は朝礼台の上に立って手本を務めた。児童会長だったのでその役目になったのだが、いつもとは違い左右逆に体を動かすのであった。

遊びの方は荒川での水遊び、ハゼ釣り、その支流でのフナ釣り、四手網でのフナ、ドジョウ取りなど・・・テレビもスマホも無かったので家で過ごすものがなかった。また気候の方も今のような猛暑の記憶は残っていない。

かくして、小学時代は我が家で夏休みを過ごしたが、中学生になると群馬県の水上温泉郷にある祖父母の家に一人で行けるようになり、高校・大学時代ではそっちで避暑の夏休みを過ごすこと多くなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人手不足?げんなりする配膳ロボット/「銀座ライオン」

2023-08-18 13:07:06 | 日記

今日(18日)の購読紙に『人出不足でも配膳ロボは使わない』という見出しで「ロイヤルホスト」の経営母体の社長へのインタビュー記事があった。
最近は比較的大きなレストランに入ると、料理を持って来てくれるのは配膳ロボットというのが増えて来た。コンピューターで動く変チョコリンなロボットが「○○テーブルのお客様、お待たせしました」などと言って客の脇に停まって、注文した料理を客に取らせる。
料理のオーダーもテーブルに立ててあるタブレット端末みたいのを取り出して品選びをし電送するタイプが増えている。
街のラーメン屋やファストフード等で急ぎお腹を満たす場合を除き、制服姿のウェイターやウェイトレスに注文して配膳してもらうのも外食の『味』の一要素と思うのだが、人出不足とかで文字通り『味気ない』。
冒頭のロイヤルHD社の社長は「(料理のオーダーなどの)デジタル化は進めるが、それで効率が上がる分サービスの中身を変える、つまり人手ならの部分を大事にしたい」と言い、「それが、わざわざ店へ食べに来てもらった価値なのだから」と結んでいた。他のレストラン経営者も参考にしてもらいたい記事である。


私が講師を務める講習会の会場の一つで大きな県営施設。その中のレストランは「銀座ライオン」の経営で、相当の席数があったが、やはり配膳ロボットを採用するようになった。料理の方は初めっから券売機、店員さんと接するのはチケットを持って行く時だけになった。(それも最近閉店)
この後段の記事は前半と関係なく「銀座ライオン」の古い思い出。
大学に入った年の夏休み、友人の一人がアルバイト先でかなりたくさんのライオンのビール券を手に入れ、仲間を誘ってライオンの本店とも言うべき銀座七丁目の店に入った。レストラン兼ビアホールで、大ジョッキの生ビールを何杯飲んだか覚えていないが豪気な気分になったことを覚えている。
当時の「大ジョッキ」は大抵1リットルであったが、最近は750ミリリットルがいいところで500ミリリットルなんていうのがまかり通っている。
その後銀座に行くことはほとんどなく、近くに吉祥寺店はあるがビアホールという雰囲気でもなく行く気にも誘われない。



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風6・7号を縫って大分の家族が帰省上京~我が家一同が集まる

2023-08-17 10:51:49 | 日記

台風6号が異常な進路で長逗留したその後すぐに7号台風が上陸して日本海に抜けた。

さて、毎年正月に集まって新年の食事会をして来た我が家族だが、この3年間コロナ感染禍でそれが出来ずに来た。今年の正月もそうだったのだが、一応コロナ禍の規制が取れたこのお盆の休みに大分県の別府に住む三男家族がやって来て、それを機会に勢ぞろい出来なかった皆が集まって市内の割烹で食事会をした。私ら夫婦に子供3人、孫5人を含めた12人である。

三男家族4人を除いては日帰りとしたが、4人は台風6号が迷走して九州地方に甚大な被害をもたらす中、九州東側の大分からは飛行機便が1時間遅れ程度で11日に無事上京。帰りの15日は7号台風により近畿・東海地方の帰省帰りの交通網が運休・欠航で大混乱の中、東京と大分を結ぶ空路は遅延なく三男家族は無事帰宅した。ハラハラしながらも何と運の良いことだろうかと、家内と胸を撫で下ろしたところである。

やって来た大分組には小学生の孫娘が2人。家内はもう張り切って計画を巡らす。孫2人とも今スイミング教室に通っている由にて、まずはプールに連れて行こうと考える。歳老いながら今も水泳のコーチを頼まれている現役なので、孫たちも大喜び。私も2日間、それに付き合わされる。
さらに孫の大きな希望が上野動物園、私の考えで「はとバス」の2階オープンカーの都内巡り、あとは近くの公園に行って花火・・・等々、台風の影響も多少受けつつ孫たちは大満足の顔で帰って行った。
当方は3年7ケ月ぶりに皆が揃えたことが嬉しかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする