goo blog サービス終了のお知らせ 

フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#41-冬休み明けて第2ステージに

2025-02-28 18:16:04 | 日記

   日本での冬休みもあっと言う間の感じで、3月6日ウメの花が見頃を迎えた東京を後に再び山東省へ。朝6時過ぎに家を出て、12時15分青島空港に到着したが学校からの出迎えが来ていない。空港内の携帯ショップを探し中国用の携帯に料金をチャージしてソン事務主任に連絡すると、英語科のシュさんらが向かっているが途中渋滞して遅れている由。30分ほど待って現れたシュさんは英語科のクラス委員で学校の信任が厚く、私も顔見知りなので日本語はできないが迎えに選ばれたのだろう。とにかく途中運転手とともに昼食をして無事経貿学院に到着した。 その日の晩は月例の日本人会があり、宿舎に着いて取りあえず室内の掃除をした後すぐに出かけた。
   翌日は日曜。日本語科主任教師のバオ先生から後期授業について説明があり、私の担当は前期の08級(2年生)から09年級(1年生)に変わった。1年生は全47人で1クラス。授業は月・水・金の週3コマ(1コマは2時限で100分)だけとこれまでより更に”楽に”なった。代ってモリキさんが2年生2クラス、週4コマになったが、二人とも報酬には関係なくもっと授業が欲しいところだった。(3年生は実質卒業でもう授業がない) 週3日×1日100分=1週5時間の仕事で、地方公務員の課長級の報酬・・・多少授業のための準備の時間はあるにしてもよだれが出るような待遇ではないか。でも中国へ日本語を教えに来たからにはその充実感を得たいのも人情だ。でもでもでも、幸いなことに授業の担当は外れたが2年生がそっくり今まで通り(むしろ今まで以上に)親しんでくれたので、充実感という意味では満足できる第2ステージとなった。 今振り返ってみると山東省滞在は3つのステージに分けると考えやすいのでそう呼ぶことにした。
   2009年9月からの前期、濰坊生活のスタートから軌道に乗るまでが第1ステージ。この3月からの後期、さらに楽しく張り合いがあった第2ステージ。そして学生・学校の要望に沿って期間を延長した2010年9月からの集大成が第3ステージである。明日からが第2ステージの始まりである。

【第2ステージをちょっと予告】
     
 世界凧揚げ大会に/青島の案内を受ける/家族の来華/霊峰泰山のご来光/風に誘われ郊外へ

     
孔子の古里へ/世界野菜博覧会で/ 学生たちの紋付姿/結婚式に招かれ/夏の夕涼み

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#40-日本での冬休みで

2025-02-26 18:22:43 | 日記

   2ケ月弱の日本での休暇は思っていた以上に短く感じた。
   年賀状を出せなかったので”寒中お見舞い”を書いたり、新年会を兼ねた集まりで中国での生活の模様を話したり、携わっていた地域活動につかの間の復帰をしたり、果ては税金の確定申告の手続きをしたり・・・。
   一方、頭の中では何か新学期からのことが頭から離れなかった。 経貿学院に着任するに際しては尺八やケン玉、ヨーヨー、だるま落しなどの日本の遊び道具などを持ちこみ、これは学生たちとの交流に大いに役立ったが、それをもっと深めたいと考えていた。北京時代には分からなかったが、学生たちが一番関心のある日本のカルチャーはアニメでありマンガであることを初めて知った。授業を始めるに当って書かせた「自己紹介票」に少なからぬ学生がアニメ・マンガへの興味を挙げていた。(このことについてはまた後日紹介する予定である) そこで帰国中に中古本の”ブックオフ”に行き、日本および中国で人気のコミック雑誌と単行本を30冊ほど選んで買った。またフィギュア(キャラクターの人形)の街としても知られる秋葉原をぶらついて、安く手に入るフィギュアを買い集めた。
   宿舎の室内には富士山や桜、紅葉などの風景、京都や東京タワーなどの観光名所等々の大型ポスターで飾って日本情緒を出したかった。観光土産店を訪ねてそれらを探したが、気に入ったものは1枚2、3千円もする。それでカレンダーの写真を思いついた。勤めていた会社に行けば引き取り手のないカレンダーが各職場にいくらでも残っているはず・・・と思って訪ねてみたところ気に入るようなものは一つもなかった。仕方がないので絵葉書を買って代用することにしたが、アニメ・マンガにしろフィギュアにしろポスターにしても全ては自弁なので満足はできず心残りがした。
   中国への荷物には紋付き袴一式も入れた。後日談としてこれは大人気で、私自身だけでなく学生にも着せて大喜びされ、次の休みの時には浴衣も追加したのであった。

   下の写真は学校に戻ってから宿舎に飾ったところである。 左=新たにマガジンラックを買ってマンガやコミック雑誌を並べてリビングのコーナーに置き、学生に自由に貸し出した。フィギュアーはラックの上とテレビの上(写真中)に置いた。これらフィギュアはアニメ好きの中国人には”垂涎の的”なのだそうだ  右=ポスター代わりの絵葉書を並べてラミネート処理したものを室内の壁の数か所に吊るした(参考までこの写真はサクラや日光東照宮、日本の城など)  前書したように、私には満足できない”品揃え”だったが幸い学生たちには好評だったのが救いであった。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#39-冬休みの帰国、ちょっと冷や汗も

2025-02-24 18:10:13 | 日記

   前号のように私は皆さんより一足早く冬休みをいただき、1月10日に帰国した。新学期は3月1日(月)からとされるが私の授業は8日の開始ということで、約2ケ月の冬休みである。帰国は個人の都合によるものなので費用は自費なのだが、休暇中も学校から報酬が支給される。まあいい身分である。
   お土産等の買い物や荷物の発送、宿舎内の整理を終えて10日の朝、学校の迎えの車で青島空港に向けて出発した。お世話係(運転手との通訳など)として2年2班のクラス委員であるチョウ・テンシンが同乗した。彼女はクラス委員になるだけあって頭も性格もよくクラスの人望があった。学校の有難い配慮である。空港までは順調、空港で運転手からツーショットの写真を撮ってもらって(写真はその後誤って消失)そこでバイバイとなった。
   さて、ANAのカウンターで搭乗手続きをしたら、「お客様、今日の予約は入っておりません」との返事。何をそんな馬鹿な、と思ったら1週間後の予約が入っているという。理解できないのでパソコンの電源を借りて旅行社とのメールを確認したところ、なるほど・・・冬休みが早まったのにフライトを変更していなかったのだ。日本では千葉と九州の子供の家族を含めてこの日の帰国に合わせて”遅れた正月”に全員が揃って待っている。日にちを変える訳にはいかない。聞けば座席はあるというので、予約していた割引チケットをキャンセルして当日売りのを買い直した。その差約7万円。休暇中も支給してくれる学校の報酬がこれでほとんど消えることになる。逆に捉えれば、学校が私の損の穴埋めをしてくれたと考えた方がいい。
   成田着17:35、空港には千葉の次男一家が車で迎えに出てくれ、我が家に着いて9日遅れの正月をみんなで迎えた。

             
(左)空港まで同行してくれたチョウ・テンシンと(右) 帰国の夜、家族と食事を終えて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 [日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#38-期末試験を終わって

2025-02-22 18:01:00 | 日記

   年末に前期の期末試験を終え、中国での盛り上がりのない元旦を過ごした後、年明けには試験の結果を学校に提出した。後は冬休みを迎えるだけだ。通例の冬休みは1月下旬からだが前に書いた通り10月の国慶節の休暇返上の分、冬休みが1週間ほど繰り上げ実施となった。外人教師である私は一時帰国の配慮から更に1週間授業を切り上げさせてもらい、1月10日に帰国ということになった。
   試験の結果を提出した後、授業は両クラスとも一度ずつ、出欠自由の「日本の遊び」の時間とした。試験が終わって成績には関係ないし半分も出るだろうかと思っていたら何と7割の出席があり、ダルマ落しや腕相撲などを”教えた”。腕相撲では数人の男子学生の挑戦を受け、ほぼ互角の”力戦”に歓声が上がった。その内女性陣が次々と挑戦に名乗りを上げたので”苦戦”の表情をして細腕に応えた。ダルマ落しは単純な遊びだが崩れると悔しいので、みんなが思った以上に真剣になって遊んだ。
  一方、冬休みになると会えなくなるというので宿舎の方にも”駆け込み”訪問が続いたり、こちらも帰国のお土産買いや荷物の発送などをケイさんとヨウさんの二人に声を掛けて、名残を惜しむ方々街中(まちなか)へ再々同行してもらった。
  

     
 
人気だったダルマ落し/2年1班の皆さんたち/お土産買い手伝いのケイ&ヨウさん 
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#37-中国での正月

2025-02-20 18:49:51 | 日記

   12月28日から30日まで、3日間かけて2年生2クラスの期末試験を終え、気持ちがすっきりしたところで正月を迎えた。しかし承知の通り、中国では春節(日本の旧正月)が正月で、以前にも書いたが日本の正月とは比較にならないほど盛大に祝う。ところが(それが当然か?)1月1日の元旦やその前後は気が抜けるくらい何もなかった。祝日でもないので、学校では1日の元旦だけが”臨時休校”という寂しさであった。
   日本の大晦日の31日には日本語科のトウ先生の結婚式があり、これに出席した。出席する学校関係者は学校からバス2台に分乗して式場に向かった。(中国の結婚式にはこれを含めて滞在中に3回出席する機会があったので、後日それらをまとめて紹介したい) 結婚式から帰って、夕方近くにケイ・ショウロとヨウ・ハイジエのコンビがやって来た。私はせめて正月らしく初日の出を拝みたいと思っていたので、学校からほど近い富坤大酒店というホテル(写真②)の高層階に部屋を予約するため2人に同行を頼み、その後年取りの食事を付き合ってもらうことにした。中国では初日の出を拝むという習慣はなく、「初日」そのものの概念がなかった。ホテルには目的を説明して18階の東向きの部屋を予約した。市内でも2番目くらいに高い建物なので、この階なら視界を遮るものはない。料金も閑散期の平日と一緒で2千円くらいだったと思う。 予約を終えてジャスコまで歩き、フードコートに入ったところで2年1班のリー・ギョクキョウとオウ・ショウヒの2人に出遭った。リーさんとオウさんは宿舎によく訪ねてくる4人組の中のメンバーで、2班のケイさん、ヨウさんとはお互いに顔見知りではなかったが一緒に食事することにした。それぞれがお好みの食べ物を取り、それをみんなで分け合って食べた。大晦日の食事としては簡素過ぎるが、でもまあお蔭で賑やかな年取りにはなった。その後4人は元の2組に分かれてネットカフェで夜を明かすことになり、私はホテルに戻った。
   翌元旦はモーニングコールで起きて、ホテルの窓から中国の初日を拝んだ。太陽は既に目覚めた街の朝もやの中で辺りを赤く染めながら昇って来た。(写真①) やはり一年の始まりの気持ち新たまるシーンである。
   朝食を済ませ、ホテルの目の前にある人民公園をちょっと歩いてみた。まだ時間が早く散歩する人はいない。池には分厚い氷が張っていて、上を歩いてみたがびくともしなかった。(写真③) ゆっくり目のチェックアウトをしてホテルを出ると、一瞬にして日常の光景に戻った。そこは、1月1日とは思えない普通の金曜日の街の姿である。(写真④) これが私の中国での2010年の年明けであった。

   
①           ②       ③       ④

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする