フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

風速81mの台風!/旅番組の心得

2015-09-30 10:15:45 | 日記

   風速81mの台風! 沖縄の南海上を抜けた台風21号は、本土への影響がなかったためほとんど気象情報では報じられなかった。しかし昨日の夕刊、今日の朝刊の記事によると沖縄県の与那国島では風速81mを記録する猛烈な台風だったとのこと。こんなものが本土に上陸したひにはとんでもないことになっていたのではないか。改めて地図を見てみると与那国島は沖縄諸島の中でも最も本土から遠い所。台湾のすぐ近くと言った方がよい。我々は他人事で見ているが、さぞかし台湾では大きな被害が出たのではなかろうか。

   昨日の朝日新聞の別刷りで関口知宏さんが取り上げられていた。NHKの旅のドキュメンタリー・シリーズに出演し、その自然体で出遭いの人たちとのほのぼのした姿が多くの視聴者の共感を呼んだ。私も何度かその番組を観たが実に好感が持てた。
   誰でも知っているように父は俳優・司会者の関口宏、母は元歌手の西田佐知子、祖父は往年の二枚目俳優佐野周二・・・と芸能一家の血筋であるが、そういう臭いがない。その彼は「脚本通りに進むテレビ的な予定調和の展開が嫌いと」と言い、旅番組に出演するに当っては「無理に感動しないこと。リアクションがテレビ的にならないこと」をルールにしているのだそうだ。近頃、旅やグルメの番組がやたらに多いが、”臭い”演出や感動の”押し売り”が多い。それの反対を歩く彼の心得こそが視聴者の共感を呼んでいるのではなかろうかと思った次第である。

[2015中国訪問記]#9-お土産話

 
  「土産話」というと旅先のトピックスみたいなことだろうけれど、これは旅行での往復のお土産の話。
   自分の教え子と言えどもわざわざ日本から訪ねるとなれば、ささやかでもお土産がいるだろう。でもスーツケースを抱えて各地を移動し、20人ほどに会うとすると重いものやかさ張るものはNGだ。そこで教え子たちには浮世絵等の柄の小風呂敷を、各先生方には紅茶セットを用意した。ところが、出発前のブログに書いたように準備の途中で3人から日本の化粧品を買ってきて欲しいとリクエストを受け、これが結構重くてかさ張るものになった。それでもスーツケース1つに何とか納まった。
   化粧品は旅行前半の青島と烟台で全て手渡したところで荷物がスカスカになったが、今度は烟台を去る時に駅へ見送りに来たイー・カカから実家で栽培しているリンゴを20個近くお土産にいただいた。リンゴは烟台地方の名産なのだが、これはまた量が多い。(写真が無いので分かりにくいのが残念) イーさんには申し訳ないけれど次の訪問地濰坊で2人にお裾分けをして1/3だけ日本に持って帰った。濰坊では同僚教師たちとの食事会の後、バオ先生から中国銘酒の白酒を贈られた。教師時代、先生のお宅で酔い潰れるほどしこたま白酒を飲んだことをずっと覚えておられるのだ。化粧箱に入ったのを2本もいただいた。これも結構な荷物だがありがたく日本に持ち帰った。
   私自身の土産の買い物としては、前々号の#7で書いたように中国茶と幼児用のおもちゃだけで、帰りのスーツケースには余裕が生じた。

     
 
 いただいた中国銘酒の「白酒」 小さな子供たちへのお土産 教え子にはこんな小風呂敷を 

 [2015中国訪問記]はこの項で終り、次回からは[日本語教師の帰国後記]を連載することとしたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終盤に波乱の大相撲/中国軍事パレードの見方

2015-09-27 22:23:50 | 日記

   前号で、大相撲では休場の白鵬に代って大関2場所目の照ノ富士が11日目まで一人勝ちっ放しの独走体制を取り上げた。「残念ながら今場所一人横綱の鶴竜も霞む存在感がある」とも書いた。しかし投稿したその日から思ってもみなかった3連敗。一方鶴竜は稀勢の里を相手に飛んでかわす相撲で横綱としての顰蹙(ひんしゅく)を買うほどの優勝への執念で息を吹き返し、今日千秋楽の優勝決定戦で照ノ富士を破って優勝した。横綱昇進から9場所目のことだ。元々横綱を張るのに不安があった鶴竜、優勝できない場所が続いて厳しいプレッシャーがあったと思う。相撲内容で顰蹙を買ったものの、一応一人横綱の場所の責任を果たしたのではないか。でもこれからも非力横綱の域は脱しきれず、片や照ノ富士の方は確実に横綱への道を突き進むものと思われる。 

   最近何度かブログの話題にした中国の『抗日戦争勝利70周年記念』の軍事パレード。当日北京にいた私はショッピングモールの大スクリーンで中継放送を見たのだが、いかにも意気揚々、得意満面の示威行為と思えた。それは日本を始めとする国外に向けた示威行為に見える。だが25日の朝日新聞の国際社説担当記者の署名記事である『徳川政権と中国共産党』というコラムの中で、「徳川と中国共産党は軍事力で政権を樹立した共通点があり、軍事的な威信を示そうとする。今回のことは(対外的な示威行動というより)内向きの行事である」と説いている。そして「威信を示さねばならない政権とは一見強そうだが、実はもろい部分を抱えているのかもしれない」と結んでいる。中国共産党と徳川幕政は共通点があるという説は分からないが、貧富格差や共産党幹部による汚職、環境汚染や天津の大事故などに対する国民の不満をそらす意味でのパフォ―マンスとしては十分に考えられることだと思えた。

[2015中国訪問記]#8-北京にて

   2年前に北京を訪問した時は市内を観て回る時間がなかったが、今回は9月3日の『抗日戦争勝利70周年記念』の軍事パレードにぶつかって、帰国を1日延期したため時間ができた。北京に一人だけいる教え子のトウ・セイがずっと付き添いをしてくれるというのだが、7年前に3ケ月滞在した時、土・日はほとんど毎週のように北京市内を歩いて回ったので取り立てて行きたい観光スポットは無かった。
   北京に着いた日は、トウさんが予約をしてくれたホテルに先ずはチェックイン。北京空港直通の地下鉄の駅近くで、周りには大使館や外国企業が多い地区。彼女の勤めるNECのビルも近くにあり、日本人がよく利用するホテルだと言う。チェックイン後トウさんと市内散歩に。その日は戒厳令が敷かれていて市の中心部には立ち入れないため、私がお気に入りだった都心外の「後海」という湖周辺の市民憩いの場所をのんびり歩いた。湖畔では多くの太公望が釣り糸を垂れていてのどかな光景であった。
   翌日は「三里屯」というニュースポットに行きたかったが、軍事パレードの日で立ち入り規制のため彼女がホテル近くの新しいショッピングモールに案内してくれた。ヨーロッパ調の雰囲気の洒落たモールだった。そこを歩いている時だ。大きなスクリーンに軍事パレードの生中継が映し出されているのに出くわした。20人近い人が見入っていたが、私もその中に加わった。意気揚々のパレードであった。しばらく見てから北京ダックのお店に行って昼食をし、トウさんと別れて実験学校のリュウ・リン先生との再会に向かった。
   帰国の日は、チェックアウトの後7年前には行ってなかった「北京古観象台」という3,4百年前の天文台を見物し、続いて天安門近くの「前門」と「大柵欄」という歴史ある商店街に寄っておもちゃの土産物を買い足した。この日はトウさんの案で彼氏を同行させ、空港までずっと私のスーツケースのポーターをしてもらった。2年前に紹介済みの彼氏であり、粋な計らいで大変楽をさせてもらった。 

    
   市民憩いのスポット 「後海」  新しいヨーロッパ調のモール   軍事パレードの中継に見入る
   

         
      「北京古観象台」を見物 右は天体観測儀のいろいろ      歴史ある「大柵欄」の商店街

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルバーウィーク終る/心配なイチロー/照ノ富士独走?

2015-09-24 12:00:18 | 日記

   シルバーウィークと呼ぶのか5連休という秋の大型連休が終わった。土・日と秋分の日は分かるのだが、21日が敬老の日というのがピンと来なかったのと22日が何の休日なのか分からなかった。 カレンダーなどには22日は「国民の休日」とある。調べてみたら祝日と祝日の間に挟まれた1日を「休日」にするのだそうである。まあ働き過ぎの日本人に休日を増やそうというのも分からぬではないが、最近は何の祝いなんだか、何を記念するのか希薄化してしまったのは私だけではないだろう。特に私など定年後の身からすると役所ほかの窓口が5日も連絡がとれないことに不便を感じただけだった。でも多くの人たちには好天にも恵まれた休暇になったことだろう。

  毎度書いているように野球の世界で今私が応援しているのは大リーグのイチローとプロ野球・日ハムの大谷投手だけ。そのイチローは今シーズンずっと打撃低迷にあえいでいて、購読紙のスポーツ欄の下に小さく載っている大リーグ日本選手の日々の成績を見てはハラハラのし通しである。直近の打率では2割4分を割るまでに下がっている。記録面では大リーグ通算3千本安打とか日米通算で大リーグ最多安打記録に迫っているが、一日一日の記録が心許ない。かつてのようにシーズン200本安打や3割5分前後の打率などは望むべくもないが、大リーグでいつまで生き残れるのか心痛めずに見守りたいのだが・・・。

   大相撲の大黒柱である横綱白鵬が今場所早々に休場したその穴を大関2場所目の照ノ富士が埋めている。というか他を寄せ付けない強さを見せつけている。新関脇だった今年3月場所で13勝し、その内容も粗削りながらスケールの大きい相撲でファンの目を引いた。それから3場所、白鵬不在の場所ではもはや敵なしの勢いで昨日11日目まで一人勝ちっ放しである。先輩大関の稀勢の里や琴奨菊を遥かに凌ぎ、残念ながら今場所一人横綱の鶴竜も霞む存在感がある。残り4日あるがこのまま独走しそうだ。

    

[2015中国訪問記]#7-懐かしい街を歩く

 
 日本語教師として1年3ケ月を過ごした山東省濰坊市。2年前も今回も2日間の滞在であったが、前回は2組のビジネスの話があったので一人で街をぶらつく時間がなかった。今回はそういうものが無いため2日目は教え子との晩の食事までは時間があり、1軒知人の家を訪ねたほかは日本への土産の買い物を含めて懐かしい街を歩いた。土産は三鷹のコミュニティー活動に提供する幼児用のおもちゃや中国茶などで、買う場所の見当はついている。9月1日、濰坊駅前に出て簡単な朝食を済ませ、私がいた時に出来たばかりの地下商店街に向かった。しかし、入口が閉まっているのでダイ・フェイフェイにスマホで聞くともう閉止したとのこと。一等地なのに何ということだろう。そこで駅前から懐かしい三輪の軽タクシーに乗って「小商品城」に向かった。私がよく買い物をした所で、家電品や家具などの大きな物および食料品を除いて大抵の物は売っている、名前の通りの小商品のショッピング・ビル。4階建ての中に上野のアメ横のような小さな店舗が4~500くらい迷路のように並んでいる。”見て歩き”だけでも楽しい場所だ。そこでおもちゃと私の衣類を買った。続いてすぐ近くの、以前イオンモールがあった建物に入ったところ、何という寂れようだろうか。ジャスコのスーパーの跡も、賑わっていたテナントの店舗も全く冴えない店が櫛の歯が抜けたように並んでいるだけだ。ショッピングのワクワク感など全く感じられない。その近辺の食事場所も然りであった。ただ外の露店の食べ物屋は相変わらず賑わっている。そこからほど近い、露店の溜まり場みたいな半ばスラム化した一角に私の好きなラーメン屋があった。「汚いラーメン屋は旨い」を地で行くような店だったが、行こうと思ったらその道は高層ビル建築のため行き止まりになっていた。しかも建築工事は中止されている様子である。むき出しのコンクリートと止まったクレーン。猛烈な市街地の再開発を見る一方、建設バブルの崩壊を目撃した思いであった。

     
  レトロな乗り物で私のお気に入りの三輪タクシー         小商品城の建物と中の賑わい

   
イオンモールがあった建物    客が絶えない通りの露店の食べ物屋       建築中止?の高層ビル

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうせ国民は忘れる?/ラグビーW杯での衝撃

2015-09-21 10:18:56 | 日記

   集団的自衛権の実力行使を容認するなどの安全保障関連10法案は参議院での醜い”バトル”を経て、結局は政府・与党の思うままに押し切られた。 安倍首相は国民に論議が周知されていないことを認めつつ、とにかくアメリカのとの密約を果たすことを急いだ。そして言う、「時たてば理解広がる」(朝日新聞20日朝刊の見出し)。違うだろう。「時間がたてば国民は忘れる」と言いたいんだろう。 

   昨日午後ネットニュースを見ていたら「ラグビーW杯史上最大の衝撃」とヘッドライン(見出し)が目に入った。開いてみると、今英国で行われている第8回ラグビー・ワールドカップで日本が初戦で南アフリカを破ったことを主催国のメディアが伝えたものだ。周知のようにラグビーは英国が発祥の地で、豪州やニュージランド、南アフリカなどかつての英連邦諸国が伝統的に強い。世界13位の日本と同3位の南アではこの順位差以上の力の差があるようだ。W杯に限っても7大会通算で1勝21敗2分けの日本に対し南アは優勝2回の強豪である。大相撲で言えば横綱と平幕下位くらいの差であろうか。有名な英国の賭け率は南アの1.0、つまり日本に賭ける者はゼロという評価であったのだから、”衝撃”には違いない。このあとテレビでその激戦ぶりが放映されたが、やはり「凄い」の一言であった。守りも攻撃も何かが乗り移ったかの如きのもの凄さがあった。特にロスタイムの最後のワンプレーを、確実に取れるPGで引き分けを狙わず、スクラムを選択して勝ちを狙いに行った決断で大物を仕留めたプレーは身震いがするほどであった。日本のラグビー史上でこれほどの劇的な試合はこれまでも、またこれからも見られないのではないだろうか。
  
   秋・シルバーウィークの神代植物園で。上=花とチョウ3題  下=ウリ科・ナス科の実3題(左からヘイチマ、ヒョウタン、ツノナス)
    

           

 

[2015中国訪問記]#6-学校を訪ねる

   教え子たちとの再会に併せて当時の日本語教師仲間との再会もなった。
  1年3ケ月の教師生活を送った山東経済貿易学院。そこで同僚の日本人モリキさんは現在も山東省内の大学で日本語教師を続けており、今回は経貿学院の先生方とのスケジュールを取りまとめてくれた。 8月31日夕方に2人で学校を訪ねたが、学校の中は2年前に訪ねた時と変わらない感じだった。経貿学院では私が帰国後2年ほどで日本語科が無くなり、同僚の先生たちは皆学内で転身していた。仕事の手が空いたバオ先生とチョウ先生と会食までの間しばし歓談をした。2人の先生の話では今は一日事務室に籠っての仕事で  やはり教壇に立っていた時の方がずっと良かったいう。ひととき歓談の後、チョウ先生の車でモリキさんが予約をしてくれたレストランに席を移した。男性教師のトー先生だけが仕事で出られなかったが、応用外語学部のソン事務主任も出席してくれて、この食事会は学校主催という形になった。ソン主任には私が滞在中本当にお世話をしていただいたが、この席で私に打診するように、国際交流のための日本語指導者が欲しいような感じの話をした。バオ先生にも勧められたが、「もう年だから」と手を横に振った。また私の旅行での写真が卒業生からバオ先生の許にネットで送られていて、いつまでも卒業生と交流のあることを喜んでいただいた。楽しく美味しい食事会だった。

   
  懐かしい教室棟   教師マンションも健在  チョウ先生・モリキさん・バオ先生    楽しく美味しい食事会

   帰国前日の9月3日、北京経済技術開発区実験学校(長たらしい名前!)で日本留学班の主任教師だったリュウ・リン先生を訪ねた。新しく出来た地下鉄駅から周辺の変貌ぶりの案内を受けながら学校まで歩いた。学校は公立化して名前が変わっていた。国際交流の旗を下ろし、韓国人学級や日本留学班も無くなったという。リュウ先生は他の学校で日本留学を含む仕事に就いているとのことだ。晩はリュウ先生の故郷の新彊料理の店が目に入ったのでそこを希望し、ご主人と高校生の子息も呼び出されて一緒に食事した。二人とは私が教壇に立っていた時以来7年ぶりの再会であった。

       
      リュウ先生とかつての学校前で        7年前の写真

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安保関連法案/白鵬休場

2015-09-18 10:49:09 | 日記

   昨夜というのか今日未明というのか、安保関連法案の参議院審義は特別委員会で強行突破された。後は参院本会議での採決を残すのみ、首の皮一枚残すだけとなった。
   私はこれまで一貫してブログにこの問題を取り上げなかった。書くと長くなり際限がなくなりそうだからだ。ちょっぴりだけ書くと、基本的には法案に反対である。現行憲法を制定してから凡そ70年。第二次大戦後の国際秩序が大きく変容しその中で専守防衛の是非は論議されなければならないと思うが、今回の政府提案は余りに唐突である。アメリカは自衛隊(=日本軍)の軍事支援で”世界の警察”のステータスを維持し、日本(=政府)は日米軍事同盟の強化で抑止力(=軍事的威圧)を高めるため、議論をしている暇はない・・・と、もう米国と密約しているのだ。日本の政府は国民より先に米国と約束をしたのだ。この約束だけは破るわけには行かないから、いろいろ後から屁理屈をつけて来たのだ。ホルムズ海峡の航行安全のためとか日本国民を救助する米国艦船が攻撃されたら見物しているわけには行かないとか、砂川事件の最高裁判決でも集団的自衛権は容認されている、とかとか。それらが如何に根拠薄弱であるか以降の学者の意見やしどろもどろの政府答弁であぶり出された。いずれにしても「初めにアメリカとの約束ありき」であり、それを安倍首相の名誉欲・権勢欲で突っ走っているものと私は見ていた。「法案が通れば、飽きっぽい国民はその内忘れるさ」と。今国会周辺では雨を突いて激しいデモが続いているが、議事堂の中の与党議員には馬耳東風といったところだ。ちょっぴりのつもりが長くなりそうである。やめた!

  大相撲秋場所は横綱白鵬が初日から2連敗という大波乱の幕開けで、3日目から休場となった。横綱49場所目にして初めての休場である。 
   一人横綱の重責の中でも、力士の賭博事件や八百長問題で大相撲が大ピンチを迎えた時も、一日も休まずに横綱の強さと権威を保って来た。場所前までの横綱48場所での成績は646勝74敗、優勝32回を記録している。勝率は何と8割9分7厘、1場所当り13.5勝1.5敗というもの凄い記録である。優勝できなかった16場所でも優勝同点3回、準優勝11回と、横綱として丸8年の場所で優勝に絡まなかったのはたった2場所である。不世出の大横綱と言ってよい。現在の年6場所制になってからの最高の横綱と言われる大鵬は新横綱から18場所目で休場、引退までの在位58場所で12回の休場がある。休場を除いた勝率は8割3分8厘、優勝29回。こちらは1場所当り12.5勝2.5敗である。同時代の相争う力士の違いはあろうけれども、大相撲の屋台骨を支えて来た白鵬の存在の大きさが分かる数値である。年齢的にはピークは過ぎているが、次代のエースが育つまで頑張って欲しいと思う。

  

[2015中国訪問記]#5-愛しい教え子たち(濰坊・北京編)

ダイ・フェイフェイ】  前回同様濰坊でホテルや新幹線予約のお願いをした。そして会社にワケを言って濰坊駅に出迎えホテルまで案内してくれた。翌日晩の食事に行く時などは老父をいたわる娘のように腕を支え手をつないで歩いた。経貿学院で日本語の成績は学年トップ(6人)の一人。落ち着きがあって、寮の同室のクラスメートと私の宿舎へ遊びに来た時は場が和んだ。日本研修にはぜひ来て欲しかった教え子である。
【ソウ・ショウワ】  ダイさんといつも一緒に遊びに来た一人で、卒業後も時々会っているようだ。ただし両名とも今日本語に関係ない仕事に就いているが、ダイさんの方は日本語がしっかりしているのに対し彼女の方はほとんどダメになった。3人で食事の時、「日本語を覚えているか?」と中国語で冷やかすと苦笑いをしていた。でも明るさは学生時代と変わっていない。
トウ・セイ】   最後の訪問地北京ですっかりお世話になった。元々1泊だけの予定が9月3日の軍事パレードの影響で1日延期したため9月2日昼の駅出迎えから4日昼の空港見送りまで付き添ってもらった。現在NECに勤めているが北京はまだ2年足らず、前回は山東省の省都済南から青島に駆けつけてくれた。その時紹介してくれた彼氏は私が帰国の日、ポーターとして私のスーツケースを空港までずっと持ってくれた。早くもカカア天下か? でもやさしくよく気の付く子である。学生時代の日本語の成績はトップ6人の一人。栃木県佐野市で1年研修、その間毎月2回くらいは一緒に過ごした。

          
 娘みたいにやさしく、ダイ・フェイフェイ 日本語忘れた?ソウ・ショウワ 北京でお世話に、トウ・セイ

   今回会いたかったが、残念ながら会えなかった者も。学生時代最も多く私の宿舎に遊びに来た一人で甘えん坊のヨウ・ハイジエは夫の出張先に行かねばならなくなり、無念の気持ちをネットに投稿していた。和歌山県で研修をしたしっかり者のジョ・キンカは会社の出張で日程が合わず、「次回はきっと」とチャットを交わした。また熊本での研修から帰国後のラン・ホウカにもぜひ会いたかったが家が今回の訪問地からは遠く、そこまでは足を伸ばせずに涙を飲んだ。
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする