フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

新感染者400人の恐怖の東京コロナ情勢、そしてついに岩手県にも感染者が!/仕事でグッタリ、だが傘要らずにすんだ出張

2020-07-31 13:06:57 | 日記

東京都の新型コロナ感染の勢いが止まらないどころか、益々深刻度を増している。
一旦は1日十数人程度に収束したのだが、緊急事態宣言と外出自粛要請が解除されてほどなくして、東京が先陣を切って再増加に転じた。今や緊急事態時を上回る情勢で恐怖を感じる。
一方、47都道府県で唯一感染者ゼロを堅持して来た超優等生の岩手県でとうとう感染者が発生した。都市部を抱える府県での感染拡大も合わせて、非常事態に直面していると言わざるを得ない。

こうした状況下で昨日までの3日間、長野・山梨へ出張に出た。
何度か取り上げた講習会講師の仕事である。各地で開催される講習会だが、現在では以下のようにコロナ感染対策を行っている。
①主催者は講習開始前と終了後に部屋(机とイス)を殺菌する。
②受講者席は3人用机に一人ずつとし、さらに一列ごと空ける
③講習中の休憩時間には窓を開けて室内の換気をする
④会場入室前に体温チェックをする
⑤入口で手指の消毒をする
⑥会場では講師も受講者もマスクを着用する
⑦講師はさらにフェースシールドを着け、演台には透明ビニールのパーティションを設置する
・・・ということで、講師の私はマスク着用の上にフェースシールドを着け、パーティションを前に講義をしなければならない。これで正味5時間半の講義をした後は本当にグッタリとなる。
ただ、幸いなことにぐずついていた空模様だったが、ついに傘を差さずに済んだ3日間であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長梅雨の中の神代植物園/中国の大洪水について教え子たちに安否を尋ねる

2020-07-26 09:37:00 | 日記

    年間入場券を買って、例年なら一年に30回程度は行く神代植物園。今年はコロナウィルス感染拡大を受けた緊急事態宣言で長く休園していたため、一昨日(24日)は久しぶりの入園であった。4ケ月ぶりくらいになろうか、フクジュソウ、ウメ、ツバキなどまでは楽しめたが、サクラ、ツツジ、シャクナゲ、バラなどのハイライト・シーズンには入ることができなかった。
   まだ長い梅雨が明けず湿度100%に近くムウーツとした空気の中、4連休の初日としては物足らない客足であったが一周して回った。園内の売店でイチゴのかき氷を食べて”夏”を先んじて味わった。

上段:左からムクゲ・ムクゲ・サルスベリ
   

中段:左からユウスゲ・ハス・オオバギボウシ
 

下段は木の実:左からツバキ・ワビスケ・ナツメ
 

   昨日、想像を絶する規模の中国の洪水被害についての記事をアップしたが、中国の教え子たち20人ほどには洪水に関する安否を尋ねる便りを送った。日本のLINEに相当するWeChatというコミュニケーション・ツールで、先には新型コロナウィルス感染下に於ける生活の様子などを尋ねてやはり一斉にメッセージを送ったのと同じである。
   広い国土の中で教え子達の住む所は洪水被災地域から外れていることは概ね分かっており、近況伺いという意味合いが大きい。次々に舞い込む返信ではやはり心配は無用ということであり、逆にコロナについて私の身を案ずる言葉が多かった。  その内の一人から、昨日の中国のSNSにWeChatでの私とのやりとりが投稿されていた。(下載)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4連休、新型コロナ感染再拡大の中で「GoGoトラベル」号が発車!/中国の洪水のメガスケール

2020-07-25 10:32:29 | 日記

   昨日(24日)から4連休に入り、政府肝いりの「GoGoトラベル」キャンペーンがスタートした。東京の新規コロナ感染者が毎日200人、300人と発生し、大阪でも新規感染者3桁に及んでいる中、また東京の在住者や東京発着の旅行はキャンペーンの補助金に対象外とする、ということで経済波及効果は半減と目されているが、とにかく政府が華々しく打ち上げたからには引っ込みがつかない。私も仕事上ながらこのところ毎月信越、東海などの地方に出かけているのでおこぼれに与かりたいところだが、残念ながらこの補助金にはありつけそうにない。


   中国では5月以降の大雨続きで、凄い規模の洪水被害が発生している。中国の中央部を流れる長江(揚子江)と北部を流れる黄河の流域で洪水による家屋の流失、倒壊が起きているという。特に長江流域での被害が大きく、2,3日前のニュースでは倒壊家屋は3万5千棟、4550万人が被災し、死者・行方不明者は142人と報じられている。
   中国は国土がとてつもなく広いし、流れている川も長大である。その中の長江は6300kmで世界3位、黄河は5460kmで同6位の大河なのだ。日本は国土が狭い上に陸地の中央部は山の背になっていて、川はその背中からすぐ海に注いでいる。
   先般洪水の大被害を出した熊本県の球磨川は長さ115kmである。普段中国では大河が悠々と流れているが、広い流域で大雨が降れば水かさが増して、今回のような広大な範囲が被災することになる。それにしても被災者が4550万人とはもの凄い。日本なら本州の半分以上の人が洪水被害に遭ったことになるのだから。


  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池江璃花子さんの姿に感動/コロナ感染の再拡大必至の状況とGoToキャンペーン/人間の叡智がウィルスに完敗?

2020-07-24 15:20:28 | 日記

今朝(24日)の新聞に載った池江璃花子さんの写真にうっとりし、また感動も覚えた。正に明日(7月25日)開会式を迎えるはずだった東京五輪・パラピック大会の開会式会場である国立競技場に立つ池江さんの姿である。
オリンピックの聖火は毎大会ギリシャの古代オリンピック遺跡で採火するのが恒例となっているが、その時の女性のコスチュームを思わせるような白い衣装の池江さんがそこで世界にメッセージを発信したという。来年の開会式の一年前になる昨23日のセレモニーなのだそうだ。すらっとした長身で、色白の顔だち・・その姿が美しい。
日本国民の”希望の星”であった池江さんは本来の大会の目前で白血病になり絶望の淵に突き落とされたが、そこから立ち上がろうとする姿にまた多くの国民が感動し惜しみない拍手を送っている。昨日のセレモニーを私は今朝の新聞で知ったのだが、家内は昨日テレビを観て痛く感動したと言っていた。

東京のコロナ感染再拡大が止まらない。20代などの若年層や”夜の世界”の一時的な気の緩みとかPCR検査数が多くなったから、という理由だけでは当てはまらないようだ。東京だけでなく他の都市部でも不気味な感染状況になって来た。「感染爆発を何とか凌いできた医療体制にゆとりが出来たから今までのように数字をそんなに心配する必要はない」などと平静を装おうとしている勢力があるが、医療界からは危機感を募らす表明がなされている。確かにヒト・モノ・カネが動かなくなり経済がマヒしたら社会は破壊する。しかし、GoToキャンペーンによる経済の賦活策は時期を見誤った感があり、またこのところ政府と首都東京の歩調が合わない。
海外に目を転ずればアメリカ、ブラジルなど相変わらずの感染野放し拡大で地球に火の粉が舞っている。人間の叡智がウィルスの本性に完敗する日が到来するのか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯檜曽温泉という所

2020-07-22 10:59:08 | 日記

   20・21日両日新潟で開催の講習会出張に当たり、19日は寄り道をして新潟入りした。寄った先は湯檜曽温泉。群馬県の水上温泉鄕の一つで、谷川岳を源流とする湯檜曽川(利根川上流に注ぐ)に沿った山あいの閑静な温泉町である。祖父母の家がそこにあって、2人が存命中で私が10台から社会人になるまでの夏休みは避暑に、冬休みはスキーにと毎年そこで過ごした。つまり私の青春真っ盛りの思い出が詰まっている所である。
   
   私は祖父母にとって10人の孫の中の長子、つまり初孫であり可愛がられた。その時分湯檜曽温泉は旅館・ホテルが大小6軒ほどと会社の保養寮などがあり、避暑やスキー、谷川岳登山などの客でそれ相応に賑わいがあった。
   叔母(父の末妹)が成人すると温泉客相手の土産物店を開き、しばらく後に小さな製麺所を始めて、町の飲食店や個人の食卓に供した。私も遊びの合間に時には土産物の包装の手伝いやうどんの配達をしたりもしたが、隣の酒屋の主人(祖父の甥に当たる)からは「ちったあ爺さんの手伝いをせんか」と怒られていた。

   毎年行っているので遊び仲間も出来て、よく遊び、よくいたずらをした。川遊びの時は畑からジャガイモやトウモロコシを失敬して河原で茹でて食べたり、禁止されている水中銃(潜って魚を突く道具)を作ったり、町を見下ろす鉄橋の上から花火をしたり、それを町の役員に告げ口をしたにっくきおばさんの家の前でスイカの半玉を叩きつけてぐちゃぐちゃにしたり・・「湯檜曽三悪」のアダ名が付けられた。それでもまあ、おおらかな時代だった。
 
   さて、前ぶれが長くなったが今回はその時分の遊び仲間を訪ねてみようと思い立っての寄り道であった。もう半世紀以上も会っていない。当時のイタズラ仲間の1人は東京赤坂で小料理屋を開いて何度か店を利用したことがあるが、その他は全く消息はない。
   19日の寄り道の結果は2人が既に亡くなっており、1人が婿養子に出て町にはいなかった。それも驚きだが、温泉町はさびれ切ってゴーストタウンと化していた。祖父母の家は両方が亡くなって直ぐに、家を継いだ叔母が県内の都市部の方に転居しもう30年以上も経つ。
   その間、関越自動車道が通り、上越新幹線が開通するや、湯檜曽温泉は首都圏からの客が遠のいて行った。温泉客が外歩きをして、食事や土産物を買うというスタイルは無くなり、さらに高速交通網が整って取り残されてしまったのだ。昔懐かしい店はことごとく無くなり、人通りも絶えていた。湯檜曽川の清流と町を囲む山の緑、そして鉄道マニア必見のループトンネルだけが健在であった。

   JR湯檜曽駅は町の外れにあって、相当以前から無人駅になっている。ホームは上り線が地上、下り線がトンネルの中になっており、改札がなく出入り自由である。トンネル内ホームが珍しくて見物に訪れる人もいる。上り線の地上ホームからはループトンネルに入る列車が見え、その数分後にトンネルから出て来て停車する光景が見られる。
   空振りに終わったが旧友を訪ねた後新潟に向けて下り列車に乗ったが、トンネルのホーム内は寒いほど。地上の上りホームと10度以上の温度差がある。同じ駅で7月と3月の気温が同時に味わえる極めてまれな場所ではある。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする