2年生(08級:2クラス)の受け持ちで新学期をスタートしたところだが、9月第4週から急に3年生(07級:2クラス)の授業も入って来た。最終学年である3年生は日本語の口語(会話など)は必修ではなく、試験も単位もない自由授業であった。モリキさんは始めから1年生(09級:1クラス)のほかに3年生を受け持ったが、3年生の出席は極めて悪いと聞いていた。私は急な決定に「何それ?」とは思ったものの、2年生だけでは時間が有り余っているので歓迎であった。市内の大きな書店で見つけてあった日本語のテキストをプリントして教材として授業に臨んだ。
最初の授業で教室に行ったら1人も学生がいなかった。中国人が時間にルーズなのを考えてしばらく待ったが誰も現れないので、主任のバオ先生に携帯で聞いたら私の待っている教室が違うと言う。教室を含めて時間割表をくれたのは学校の方だろう。何が「違う」だ!! それはともかく教えられた教室に駆けつけると10人ほどの学生が待っていた。そしてさらに驚くことに、学生たちが「先生、先週も待っていたけど来なかった」と言うのだ。「何い! 学校からは今週からの授業と言われているのに」。そもそも何で始めから3年生も受け持ちにしなかったのかと、学校の場当たり的な决定に頭に来た。その後何回か続けた授業では4,5人くらいの出席しかなかった。2年生のクラスは必修だから当然かもしれないが出席率が常に8割から9割であるのに比べて明らかにもう出席意欲がなくなっている。結局2クラスとも2ケ月足らずで授業が消滅してしまった。私が教えた2年生が翌年3年生になった時には、自由授業とはいえども7,8割の出席があったことを考えると、前任教師の影響が大きいと思われた。
後に学生などから聞いた話を合わせると、前任者は北海道の出身で大学卒業後間もない女性だった。大学で中国史を学んだらしい。背が低い上に声が小さく、後ろの方の席では声が聞こえないという。授業は教科書を読むだけ。彼女と会話をしたり、宿舎に訪ねることを嫌がったようで、学生とのコミニュケーションがほとんどなかったらしい。同僚の中国人教師とも馴染めず、要は何をしに日本から来たのか分からないという芳しくない話であった、それで学生の意欲が削がれてしまったようなのだ。本人は中国に残りたかったようだが、学校は1年限りで契約を打ち切った。その後彼女は大連に行って不法滞在で捕まり、濰坊市の日本語学校の関係者が身柄を引き取ったがさらにトラブルを引き起こし・・・と後にその関係者から聞いた。同じ日本人として恥ずかしい限りの前任者であった。
3年生(07級)の教室で唯一の写真




















