絶体王者の地位確立の感がある。フィギュアスケートの羽生結弦選手のことだ。2014年の今年、2月のソチ五輪で金メダルに輝き、続く3月の世界選手権に2連覇。シーズンが変わって11月のGP中国杯で選手生命の危機も心配された激突事故を経て、12月のGPファイナルに断トツでの優勝、そして今回の全日本選手権で3連覇を遂げた。ソチ五輪優勝の時は何かまだ線の細さを感じたが、慢心することがなく苦悩やケガ・故障を乗り越えて堂々たる王者に成長して行った。 しかもまだ20歳である。これまで大黒柱として日本男子陣を引っ張り、先日引退を表明した高橋大輔選手も安心して後を託すことができるだろう。
・・・と書いたところで 羽生選手がアイスショーを欠場して腹痛の精密検査を受けることになったといい、羽生選手に迫る存在の町田樹選手が突然引退表明をしたというニュースに接した。いいことばかりとはいかないものである。
今年最後の水泳練習日に最年長の女性会員が退会の挨拶にみえた。御年91歳、毎週熱心に練習に参加していたがこの2ケ月ほど欠席が続いたので、会の役員をしている私は気になって電話で尋ねた。もう年齢的に限界とのことであった。確かに90歳台で水泳の現役だったのはすごいことである。会員の誰もが納得はできるが、この方は年齢だけでなく性格も振る舞いもみんなの手本であり、残念がっている。私も大変寂しい思いをしている。
因みにこの水泳の会は創設から30年、約40人の会員の内70歳の私より若い人は1人だけだ。平均が76歳くらいで80台がざらである。まあそれくらい高齢の水泳同好の集まりなのである。
今年も残り2日、この後特筆する大事(おおごと)がない限りこれが最後の投稿になる。丁度150回目と、きりもいい。みなさん、よいお年を。
[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#9-新入生が入学
私の滞在生活の準備が整う間に新入生が入学し、新学年度が始まった。
8月28日に私が濰坊市経貿学院に着任した翌日、新1年生の入学手続きが行われた。2009年の入学なので1年生というより09級生という。その手続きの様子を見学したらどうかと学校から案内があり、チョウ先生と07級生(3年生)2人が案内役で付き添ってくれた。後から分かったが2人はクラスの模範生であり、案内役として選ばれたのだ。私にとって初めての学生との出会いとなり、その後もなついてくれた。キャンパス内には学科ごとの手続きのテント・ブースが並び、さながらテント村を成していた。新入生は総勢で2千6、7百人である。
そして週明け月曜の31日から1週間、新入生の軍事訓練が始まった。キャンパス内では迷彩色の制服を着た新入生が隊列行進訓練などを繰り返しているのが目に付いた。中国は国民皆兵制ではないと思うが、団体生活の規律を教育するためのものなのだろうかついぞ聞くことがなかった。
日本語科の1年生は47人で1クラス。1年間教室と席が固定され、放課後も教室に入って自習などが自由にできた。前期、1年生の受け持ちはモリキさん(私は2年生2クラスの受け持ち)だが、モリキさんの呼びかけで夜みんなが集まっている1年生の教室に行き、2人で自己紹介をした。この時、日本語の実に達者な男子学生が話しかけて来た。リー・イー君だが、彼は7歳のころから日本語に興味を持ち勉強をしていたと言う。名前の字は「毅」と書き、自ら「タケシ」と名乗った。好青年で以後モリキさんはタケシ君を自分の授業の助手として位置付け、公私に亘って彼と行動を共にするようになった。
入学手続きの”テント村” 新入生の軍事訓練風景 既に日本語が達者なタケシ君(右)