昨日(9月29日)は中秋の名月にして満月なのだそうだ。中秋の名月が必ずしも満月になるのではないと、昨日初めて知った。この3年は中秋日が満月であったが、次にそうなるのは7年後なのだそうで、月の軌道が完全な円を描いてはいないことからそうなるのだという。
そんな報道があり、午後7時ごろに出かける用事があったので、その”名月”を写真(と言ってもスマホだけど)に納めようと外に出た。丁度その時に雲が切れていて「超満月」が東方向に見えた。がしかし、そんな所ではせっかくの”名月”が台無しなので、井の頭公園まで自転車で走った。同じ考えの人も多いようで公園では多くの人影があったが、肝心の月は雲間に隠れてしまった。
場所を少し移動させながら月が雲間から出るのを待ち、まあ今回はこれで辛抱しようというところでスマホに納めた。
中秋節というと中国を思い出す。日本語教師として中国に滞在中に中秋節に出遭った。
中秋節は国定の祝日で会社や学校は休みである。最初に赴任した2008年、私の赴任先の学校の教員を退職して日本語のガイドの資格勉強中のH女史が終日北京観光の案内をしてくれた。夕刻になって彼女の元教師仲間の一人を呼び出して3人で北京の夜の見所を歩き、食事をした。日本人観光客が夜歩き回るような場所ではなかった。
その翌年は山東省の大学の教師になっていたが、私の担当ではない学年のパーティーに招かれ、唄え踊れの大賑わいとなった。私もゴーゴーのダンスの輪に入り、また日本から持って来た尺八で飛び入りの演奏をして大うけした。
中秋節には学校からお祝いとして教職員に月餅が配られた。そのほか学生が思い思いにお祝いの月餅を持って来てくれた。とてもではないが一人では食べ切れないので、少しずつ学生の方におすそ分けして捌いた。
中国の月餅は本家だけあって餡の種類がもの凄く多い。だから20個入りくらいの箱詰めが多い。そして日本のクリスマス・ケーキと同じようにお菓子屋さんだけでなく、スーパーなどあらゆる食品売り場で山積みになって売られていた。
中国人は凄く家族の絆が堅く、祝祭日は故郷の家族と過ごすという強い習慣が残っている。日本の旧正月に当たる春節での帰省の「民族の大移動」」は日本でもよく知られているところだが、中秋節もやはり故郷の家族と過ごすものだということを知った。