フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

【投稿漏れ記事の再投稿#35】別府大分マラソン声援、沿道の臨場感/別府で会えた孫たち(2023.02.07)

2024-05-11 10:38:45 | 日記

2月5日の日曜日、4年ぶりに開かれた別府大分マラソンを沿道で観戦した。
実は孫(大学4年)が初出場するというので、その応援方々現在仕事で別府に住む三男家族を訪ねる計画をし、往復の飛行機を予約した。ところが肝心の孫が本番間近になって練習中に膝を痛めて出場を断念することになってしまった。それでも孫は出場する友人を応援するのと、福岡で友達に会う計画をしていたので予定通り別府に行くことにし、我々夫婦もこの3年間コロナ禍で上京出来なかった三男家族に会うために行くことにした。
そしてマラソン当日、三男のマンションから歩いて10分足らずの別大国道のコースへ。好天に恵まれて沿道には多くの観戦者が陣取っていた。
やがて先導車の少し後から続々選手が現れた。そこはまだスタートから6kmほどの地点で、選手団が目の前を勢いよく走り過ぎて行き、沿道からは切れ間なく声援が飛ぶ。最後にパトカーと救護車が通りランナーが通り終えたことを伝える。
今度は陸橋を渡って復路の応援に備える。やがて選手団が続々やって来たが、往路とは空気が違う。
選手の息は荒くなっており、多くは顔がゆがみ始めているのだ。沿道の・拍手・声援にも力がこもっている。私も「がんばれ~」と声援し、拍手を送った。その臨場感がテレビ観戦では得られない、大きく違う点である。
因みに優勝者はジブチのイブラハヒ・ハッサン選手で2時間6分43秒の大会新記録だったそうだ。


別府と言えば「温泉」と「地獄」。マラソン応援後は2人の孫娘がいる三男家族と地獄巡りをし、温泉にもゆったり浸かった。
6歳と2歳だった孫娘は小学4年と幼稚園の年長組になっていて、嫁さんの薫陶よく育っている様子である。
マラソンを断念した孫の方は千葉に住む二男の長子。スポーツ競技では弱小の大学チームの所属だが、箱根駅伝の予選会では4年間皆勤出場であった。私には全くない根性をしていると思うところである。


一団となった選手に声援を送る/久しぶりに揃っての会食

 

 

 

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【投稿漏れ記事の再投稿#34】「反省すべきは反省したい」≒「反省する気はない」/回転ずしのおぞましい迷惑行為(2023.02.01)

2024-05-09 09:55:55 | 日記

何日か前の朝日新聞に次のような記事が載っていた。
『2010年に民主党政権が所得制限のないの「子ども手当」を導入した際、自民党の丸川元五輪担当大臣が「愚か者めが。このくだらん選択をしたばか者どもを絶対に忘れん」などと国会で野次を飛ばし話題となった。その丸川氏は(1月)31日、児童手当の所得制限撤廃の議論について「過去の決定がどのようなものでも今の状況にふさわしい政策を選んでいくべきだ」との考えを示し、その上で、自らの野次について「反省すべきは反省したい」と述べた。これに関して岸田総理大臣は衆議院の予算委員会で野党から認識を問われ「節度と相手への敬意を忘れてはならない。反省すべきものは反省しなければならない」と答えた。』
・・・というものだが、この事例に限らず最近「反省すべきは反省したい」という答弁が如何に多く使われていることか。岸田内閣の閣僚が相次いで辞任に追い込まれた時には首相がこの言葉を連発していたことは記憶に新しいところだが、タイトルに書いたように「反省すべきは反省したい」というのはほとんど嘘。本音は「反省する気はない」のである。政治家や官僚が不祥事を問われた時の常套句に過ぎない、と国民はそう理解していることだろう。


スシローを始めとする大手回転ずしチェーンでのいたずらというのか迷惑行為が大変な反響を呼んでいる。
私もその光景を初めてテレビで見た時にはびっくりした。いや、おぞましい所業であった。モザイクのかかった未成年らしき人物がしょう油差しの注ぎ口を舐めまわした後、平然と元に戻したのである。その後湯飲みを同様に舐めまわして元の場所に戻すとか、回転するレーン上のすしに唾を着けるとか、レーン上で2貫あるすしの1つを取って回す・・・とかもう見るに堪えない。これらの所業はSNSに乗って拡散されたり、海外ではモザイクなしで報道されたと聞く。
本人及び家族が関係先に謝罪をしたと言われるが、被害会社の方は怒り収まらず「毅然と対処する」とコメントしている由である。スシローでは株価が一時下落したと言われるし、これから先類似の行為対策の経費が莫大なものになるだろうと見られている。

 

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【投稿漏れ記事の再投稿#33】コースを外れた我が「バックカントリー・スキー」の恐怖(2023.02.01)

2024-05-07 20:09:26 | 日記

    昨日は長野県小谷村の名前を思い出して、大学1年の時に同村でスキー合宿したことを私のスキー体験として書いたが、今日はスキーの遭難に関する体験談である。
スキー合宿の9ケ月前のことになろうか、大学の入学が決まった3月のこと。大学合格の報告方々谷川岳の麓の温泉町に住む祖父母の家に行って、受験でブランクになっていたスキーを楽しんだ。
主戦場は谷川岳天神平スキー場。祖父の家の斜め前の停留場からバスに乗って30分、そこから全長2.4kmのロープウェイでゲレンデへ。ゲレンデの最高点標高は1500mで上越沿線のスキー場としては標高、積雪量、雪質ともに最高なのだ。
おまけに大叔父がロープウェイ会社に勤めているので、私が訪ねて行くと事務所を通って搭乗客が並んでいるのを尻目に先頭で無料搭乗、ゲレンデに着けばもう一人の大叔父がスキー場のパトロール隊員で、リフトの回数券1枚を買うとその裏に「この人をよろしく」と書いてくれて、一日中リフトに乗れたのである。(因みに当時一日券というのはなかった)
話の前触れが長くなったが、天気が余り良くなかった2日目だったか3日目のこと。いつものように最高高度へのリフトに乗って滑り降り始めたのだが、吹雪に近い雪模様となって足元も見えないホワイトアウト(雪で視界が真っ白となり何も見えなくなる)状態となり、馬の背のようになっている尾根の分かれ道を見誤ってしまった。少し雪が小降りになって気付くと見たこともない光景が・・・深い新雪で人が通った形跡は全くない。まさに「バックカントリー」(人の手の入っていない天然のコース)である。
   やばい!と思ったが引き返すにはとてもそこまで体力が持ちそうもない。このままでは完全に方向が違う。胸の中では「疲労の果て凍死、やっと大学に合格したのに、ここでおしまいか」という気持ちが湧いて来た。
そんな時、何ともう一人迷って下りて来た人がいた。40歳近い女性だったが、ホッとした半面お互いに不安に突き落とされていた。そこで二手に分かれ、女性は引き返し、私は真横にトラバーユすることとし、どちらかがゲレンデに出たら相方の捜索を願うこととした。私はそれから10分か20分くらいでリフトの滑車の音が聞こえるようになり「助かった!!」と思い、さらにしばらくして滑降している人影がぼんやり見え出した。
かくして双方助かったのだが、その後社会人となって九州に赴任するまでの間、懲りずに毎年ここを中心にスキーを楽しんだ。

(写真はゲレンデの最高点附近で、今回の話しのスタート地点はこの近く。これはその翌年くらいの写真で、背後の頂上が谷川岳である)
   



 

 

 

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