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フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

[中国で日本語教師] 再投稿・北京編#25―日本でビジネスプラン・コンテストに入賞

2024-10-29 13:30:37 | 日記

    話題が中国からそれるが、北京に来る時私は日本でやりかけのことがあった。それは地元三鷹市で行われていた「ビジネスプラン・コンテスト」に応募して出て来たのである。毎年行われているこのコンテストは市民の創業・起業を促す狙いがあった。
   実は私は前年11月から翌2月までの三鷹ネットワーク大学の「SOHOベンチャーカレッジ」という全15回の講座の受講者で、その講座のマエダ塾長からビジネスコンテストに応募するよう声掛けがあったのだ。その少し前にベンチャーカレッジ同期生で「星のソムリエ(星空案内人)」のキタザキさんと組んで、豪華クルーズ船「飛鳥Ⅱ」の船内イベントを提案し、受注に成功していたのである。クルーズ船に乗ったことがある私のアイデアなのだが、キタザキさんが女性にして極めてプレゼンが上手な星のソムリエだったので、私が提案書を作成して彼女を売り込んだ訳である。題して『星のソムリエが案内する 満天星空観察教室』。プロジェクターなどを使って船内で講義の後、すぐ甲板に上がって大海原から夜の星空を案内するもので、この企画は即決で採用された。そして1ケ月半後には彼女は早速飛鳥Ⅱに乗り込んだのである。このことはソムリエ仲間からセンセーションを呼んだという。
   私はキタザキさんを誘ってそれを元にした「星のソムリエの事業化」の提案書を作った。そしてまさに「枯れ木も山の賑わい」のつもりでコンテストに応募し、あとの審査はキタザキさんに託して日本を発ったのである。その後はメールと電話で連絡を取り合っていたが、書類審査が通り、面接審査が通り、そして一般市民が聴講する最終プレゼンの結果、何と「コミュニティー・ビジネス賞」というのをもらったと連絡が入った。最優秀賞に次ぐもので賞金20万円を獲得、私の帰国後2人で山分けることになった。

【写真】

①「ビジネスプランコンテスト」の募集要項の表紙  ②審査の結果「コミュニティー・ビジネス賞」に輝く  ③ビジネスプランの元になった「飛鳥Ⅱ」の船内イベントの企画書 

  
     ①         ②          ③

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[中国で日本語教師] 再投稿・北京編#24―天津へ

2024-10-26 10:05:00 | 日記

   私を北京での日本語のボランティア教師に誘ってくれたI.ヒロノブさんが来た。ヒロノブさんは当時天津での仕事を持っていた関係で日本語教師募集の相談を受けて私に声を掛けてくれたのだ。天津には再々足を運んでいるが、今回は北京にも用があって私を天津に誘ってくれた。10月末の土曜の午後、北京のホテルで待ち合わせをして天津に向かった。その日ヒロノブさんは天津で雇っている秘書帯同で、私のチケットも用意してくれていた。天津には高鉄(中国版新幹線)で行った。北京五輪に合わせて開通したばかりの高鉄であったが、定刻に発車、時速280キロ、所要時間30分でキッチリと天津に着く。乗り心地も快適であった。
   出張や旅行を含めて初めての天津は、政府直轄市で当時の人口950万人、歴史もあるし発展著しい港湾・工業都市であった。着いたその日は早目の食事とし、秘書のダンさんが日本料理店に案内をしてくれた。「柚子(ゆず)」という名の店は店長以下数人の日本人店員がいて、小料理屋や居酒屋などのメニューが豊富で味も間違いなく本物だった。値段はよく覚えていないが、”食べ放題”で6、7百円くらいだったような気がする。日本なら店にもよるが4千円くらいだろうか。
   翌日曜日、車をチャーターしてまずヒロノブさんがプラント建設をしている工場に行った。天津に進出している日本の大手自動車会社のタイヤに使われるカーボンの工場である。途中の沿岸部は塩が堆積した陸地に工業団地が何か所も建設されていて、工業都市化が進んでいる様子が窺えた。
   あとは旧市街地の見所を案内してもらった。伝統的な町並みが残っている「鼓楼商業街」、昔の繁華街を再現した「古文化街」、信仰を受けている海の女神を祀った廟「天后宮」、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀が北京を追われて移り住んだ「張園」「静園」などである。
   帰りは一人だ。また高鉄に乗って帰ったが行きと同様見事に定刻運転であった。発着の北京南駅はメチャクチャ大きく、行きは秘書のダンさんの後ろにくっついているだけだったが、帰りはバスへの乗り換えに迷いそう、リュウ先生に携帯で聞きながら実験学校に帰るバス停にたどり着いた。

【下の写真】 

①快適だった高鉄。ホームの先に天津中心部の高層ビルが見える  ②発展著しい天津市の街並み  ③ヒロノブさん、秘書のダンさんと日本料理店で食事を。おいしいし安いし感激!  ④歴史を感じさせる「鼓楼商業街」にて  ⑤「古文化街」をぶらついて日本への土産の民芸品などを買う  ⑥清朝最後の皇帝溥儀が移り住んだ「張園」

 

  
              ①         ②           ③

    
               ④          ⑤           ⑥

 

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[中国で日本語教師] 再投稿・北京編#23―学校での日常生活

2024-10-23 10:30:24 | 日記

    国慶節休暇の後半はひとり歩きによる観光と部屋の大掃除や買い物などをして過ごした。そして北京に来て早くも5週間が経った。ここで実験学校での日常生活を紹介してみたい。
   寮の私の部屋は6階建の3階。生徒3~4人部屋の一室だ。同じフロアーは教師が住んでいて静かな環境だった。平日は概ね7時半頃起床する。会社リタイア後は7時に起きて床の中で新聞を読み始めるのだが、ここでは新聞はない。やっと繋がったテレビも画面がザラザラだし言葉が分からないので、結局滞在中にテレビはほとんど見なかった。8時頃に教師用食堂で朝食を摂る。一旦寮の部屋に戻ってから教室の隣の教師事務室に入る。リュウ先生と分担しての授業は段々と私の方の比重が大きくなった。昼休みは2時間もあるので、部屋の掃除や洗濯はこの時に済ますことが多かった。寮の中庭が洗濯物干し場になっていて、そこに架ける。布団干しをする時は授業前に干して、昼休みに取り込む。スーパーの買い物や銀行などはリュウ先生の授業の間に外出させてもらった。夕食時には食堂でこっそりと晩酌をする。食堂は3食ともカフェテリア式だが最初に二十歳前後の女性職員が主菜だけよそってくれる。彼女らは私が日本人と知って、愛想よくしてくれた。時々日本語の挨拶などを教えたりした。食堂ではほとんどは一人での食事だが、数か月前まで実験学校にいたハンさんの紹介で数人の先生とは挨拶(英語で)するくらいにはなった。ハンさんと初めての観光の日、呼び出して一緒に夕食をしたフー先生はその後も3人で麻辣湯(日本のおでんのような串差しの鍋物)を食べに行くなどのこともあった。
   夜(と昼休み)は日本の家族や知人との通信に充てた。知人や所属会のメンバーなどおよそ20人くらいと頻繁にメールで連絡していたので、毎日のようにパソコンに向かっていたが、逆に夕食後はそれくらいしかやることがなかった。部屋に生徒を招くスペースもないし、テレビも見られないような状態だったから。その点学生たちが取っ換え引っ換え部屋に来て遊んだ1年後の大学の時とは全く違うのだが、こちらは北京の観光が満喫できるのだから、それはよしとせねばなるまい。
   学校にプールがあれば泳がせてもらうのだが、日本では学校にプールは当たり前なのに中国ではプールのある学校はほとんどないようだ。実験学校は小・中・高一貫のマンモス校で立派な体育館やグランド、テニスコートを備えていたが、プールはなかった。そこで、生活もある程度慣れてきたところで、運動にもなるインラインスケート(4つのローラーが縦に並んだスケート)を買ってみた。それまで経験はなかったのだが、アイススケートはやったことがあるので割とスムーズに滑れるようになった。夕食前の時間などに学校の構内で滑って遊んだが、結構これはいい思い付きではあった。

【下の写真】
  ①私が滞在した学校の寮。全6階建て4棟である ②教室に行く時に通る吹き抜けのエントランス。巨大な「考える人」の像の前のにて  ③ハンさん(中)、フー先生(右)と麻辣湯(中国式おでん)の鍋を囲む  ④滑って遊んだインラインスケート  ⑤スケートで遊んだ後、構内は秋の夕暮れ

  
          ①          ②          ③ 

      
                         ④           ⑤

 

 

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[中国で日本語教師]再投稿・北京編#22―国慶節休暇(リュウ先生家族との旅行)

2024-10-20 10:25:05 | 日記

   国慶節休暇の中盤はリュウ先生の家族との旅行に招かれた。北京郊外への1泊のドライブ旅行であった。
   高速道路から外れて山裾の林間を走っていると、やたらに「漁村」という看板が目に入る。「山村」とか「農村」なら分かるけれど、どうして山裾の林間なのに漁村なんだ。しばらくして答えが分かった。その辺り一帯はニジマスの養殖が盛んな地方なのだ。ニジマス料理を売りにするレストランや民宿が点在していた。(因みにニジマスの養殖は日本から導入されたのだそうだ) そしてまた驚く。今度は「農家」の字が目についた。なんだ、今度は農家? これは民宿であった。もともと農家だったのを改装して民宿にしたものなのだろう。さしずめ田舎の民宿という意味だろうか。その晩は結局「漁村の農家」に泊まったのだった。
   
   さて観光の方だが、まず「红螺寺」という大きな山寺に参った。日本の観光客はまず行かない所だろうが、中国北方最大の寺院で古来より仏教の聖地とされているそうだ。境内は大変広く山中のこととあって歩き疲れた。昼は”漁村”の食事処でニジマスなどの料理をご馳走になり、午後は「慕田峪の長城」に向かった。北京で万里の長城と言えば八達嶺が有名で日本の観光客はほとんどそちらに行くが、慕田峪の長城もよく整備されロープウェイやリフトなども設置されていた。長城というとなだらかな傾斜を想像するが、かなりきつい所が多い。   
   その日の宿泊は予約してあるわけではなく、何軒か品定めをして投宿した。山里の宿で娯楽は何もないが、カラオケルームだけはあった。夕食後は宿の人も一緒になって歌ったが、中国の歌など知らない私には只々うるさいだけであった。
   翌日は郊外の見どころである「明の十三陵」を訪ねた。明の皇帝13人のそれぞれの墓陵があるのだが、余りにも膨大なのでごく一部を観ただけである。その中で、近年の大掛かりな発掘により全容が公開されるようになった定陵の壮大な地下墓陵には心底驚いた。地下にこれほどのスケールの建造物を造るなんて本当に信じられない。中国の皇帝の権力の強大さをまざまざ見せつけられた思いだった。
   その後市内に戻り、オリンピック公園を参観したのだがこれについては既に取り上げているので割愛する。


     
    仏教の聖地といわれる紅螺寺    慕田峪の万里の長城

     
  看板に書いてる「農家」は田舎の民宿のこと  明の十三陵の内の定陵

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【中国で日本語教師】再投稿・北京編#21―国慶節休暇(ハンさんとの観光)

2024-10-17 10:16:04 | 日記

   10月1日は中国(中華人民共和国)の建国の日「国慶節」である。学校や企業は振替え授業や出勤をして、国慶節に連休を取る。国慶節の連休は、「春節」(中国の正月、日本では旧正月)に次ぐ大型の休暇で、帰省客など国民的大移動が起こる。
   実験学校でも9月29日から10月5日まで7連休となった。気候は北京のベストシーズン、3ケ月滞在中の私にはこの上ないプレゼントである。

   連休始めの2日間はハンさんの案内で市内中心部の名所・スポットを巡りをした。天壇、前門大街、大柵欄、瑠璃廠、恭王府、老舎茶館などである。「天壇」というのは明、清の歴代皇帝が五穀豊穣を願って祭祀を行った神聖な場所で、現存する中国最大の祭祀建造物という。公園になっている敷地は90万坪強と広大で、世界遺産に登録されている。中国人の間では天安門や万里の長城より北京の顔は天壇なのだとハンさんに教わった。
   「前門大街」と「大柵欄」「瑠璃廠」はいずれも北京の歴史ある商店街である。私が訪ねた時、前門大街は広いモダンな街並みに改変中であった。大柵欄は北京で最も古い商店街といわれ、通りの両側に伝統的な大きな商店が並んでいて、何か歴史上の街にタイムスリップしたような雰囲気を感じさせる。瑠璃廠は書画骨董や文具(書道用品)の老舗が並んでいてこちらも歴史を散歩しているよう感覚になる。私も土産用に墨や工芸品を買った。
   「恭王府」は現存する王府(日本の大名屋敷に相当か)の中でも最大規模のもので、中国の南方・北方ならびに西洋の様式が融合し、恭王の権勢が偲ばれる屋敷である。
   「茶館」はお茶を楽しむ店のことで、「老舎茶館」は北京でも数少ないお茶を飲みながら演芸を楽しむ老舗のお店。「老舎」は中国でも有名な劇作家の名前である。テーブル付きの席で、注ぎ口が50~60センチもある急須から店員が注いでくれるお茶を飲みながら、歌や漫才や奇術、曲芸、ミニ京劇などの演芸を楽しむのである。お茶を楽しむというよりむしろ演芸場と言った方がよい。 
   2日目の昼食は北京でも定評のある「四川飯店」。日本でもありふれた中華料理店の名前で、繁華街ではなく閑静な場所にあったが、料理は本当に美味しかった。 

   
天壇の象徴である祈念殿とハンさん/天壇公園の中/右のように市民が集まっては楽しんでいる

    
     歴史を感じさせる大柵欄の商店街 /恭王府:恭王の権勢が偲ばれる屋敷跡

     ←老舎茶館での曲芸

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