今日、上野公園で満開のサクラを観て歩いた。この5月に中国人の知り合いが結婚したばかりのご主人のいるニュヨークに行くというので、食事をすることになっていたが、食事の後花見に誘ったのだ。丁度前日の新聞夕刊に上野公園のサクラの記事が出ていて、満開は”保証済み”であったのだが、その人出の多さは例年のことながら凄かった。 ”サクラ銀座”に行き交う人の波、指定の花見ゾーンに敷き詰められたブルーシートの上での花見の宴・・・いつもながらのお馴染みの光景であった。中国人の彼女も会社の職場で花見に誘われるようだが、職場の女性は嫌がって「ノーサンキュー」なのだそうだ。夕方には雨が降る予報だったので別れを惜しんで少し早目に家路についた。
サクラ銀座に人・人・人の波 お馴染み、花見のブルーシート 米国に発つウーさんと
昨日は神代植物園恒例の「さくらコンサート」を聴きに行った。春を通り越して初夏のような陽気で、途中私はジャンバーを脱いだ上に長袖のシャツをたくし上げたりしたが、ソメイヨシノの方はほとんど蕾が開いたばかりのところであった。園内には多くの種類のサクラが植えられており、名物のジンダイアケボノ(神代曙)などが見頃を迎えていた。この日のコンサートはウクライナの民族楽器バンドゥーラの弾き歌いであった。ちょっと琵琶に似た形で63弦の楽器の繊細な響きと大そう美人の奏者に大勢の聴衆もうっとりとしていた。このコンサートは今朝の朝日新聞にも写真入りで紹介されていた。
満開のジンダイアケボノ ウクライナ美人の弾き歌い コンサートには大勢の聴衆が
[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#37-中国での正月
12月28日から30日まで、3日間かけて2年生2クラスの期末試験を終え、気持ちがすっきりしたところで正月を迎えた。しかし承知の通り、中国では春節(日本の旧正月)が正月で、以前にも書いたが日本の正月とは比較にならないほど盛大に祝う。ところが(それが当然か?)1月1日の元旦やその前後は気が抜けるくらい何もなかった。祝日でもないので、学校では1日の元旦だけが”臨時休校”という寂しさであった。
日本の大晦日の31日には日本語科のトウ先生の結婚式があり、これに出席した。出席する学校関係者は学校からバス2台に分乗して式場に向かった。(中国の結婚式にはこれを含めて滞在中に3回出席する機会があったので、後日それらをまとめて紹介したい) 結婚式から帰って、夕方近くにケイ・ショウロとヨウ・ハイジエのコンビがやって来た。私はせめて正月らしく初日の出を拝みたいと思っていたので、学校からほど近い富坤大酒店というホテル(写真②)の高層階に部屋を予約するため2人に同行を頼み、その後年取りの食事を付き合ってもらうことにした。中国では初日の出を拝むという習慣はなく、「初日」そのものの概念がなかった。ホテルには目的を説明して18階の東向きの部屋を予約した。市内でも2番目くらいに高い建物なので、この階なら視界を遮るものはない。料金も閑散期の平日と一緒で2千円くらいだったと思う。 予約を終えてジャスコまで歩き、フードコートに入ったところで2年1班のリー・ギョクキョウとオウ・ショウヒの2人に出遭った。リーさんとオウさんは宿舎によく訪ねてくる4人組の中のメンバーで、2班のケイさん、ヨウさんとはお互いに顔見知りではなかったが一緒に食事することにした。それぞれがお好みの食べ物を取り、それをみんなで分け合って食べた。大晦日の食事としては簡素過ぎるが、でもまあお蔭で賑やかな年取りにはなった。その後4人は元の2組に分かれてネットカフェで夜を明かすことになり、私はホテルに戻った。
翌元旦はモーニングコールで起きて、ホテルの窓から中国の初日を拝んだ。太陽は既に目覚めた街の朝もやの中で辺りを赤く染めながら昇って来た。(写真①) やはり一年の始まりの気持ち新たまるシーンである。
朝食を済ませ、ホテルの目の前にある人民公園をちょっと歩いてみた。まだ時間が早く散歩する人はいない。池には分厚い氷が張っていて、上を歩いてみたがびくともしなかった。(写真③) ゆっくり目のチェックアウトをしてホテルを出ると、一瞬にして日常の光景に戻った。そこは、1月1日とは思えない普通の金曜日の街の姿である。(写真④) これが私の中国での2010年の年明けであった。
① ② ③ ④