フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

孫娘の吹奏楽コンテストを”観戦”/防災訓練に参加

2016-10-31 11:10:08 | 日記

   千葉に住む孫娘が中学の吹奏楽部の一員として健闘していることをこれまでに2度も取り上げた。千葉県は吹奏楽のレベルでは全国でも有数だそうで、孫娘の通う中学もそんな中で鍛えられているようだ。今年度の吹奏楽コンクールでは県予選から勝ち抜いて東日本大会に進み、各県代表中学の金賞9校の中に選ばれたが、一昨日は「日本管楽合奏コンテスト」に出場して最優秀賞(実はその上に文科大臣賞と最優秀グランプリ賞がある)に選出された。会場の文京シビックホールに家内と出かけて”観戦”したが、中学といえど各校とも演奏レベルが高いのには感嘆した。また、文京シビックは区役所が入る複合ビルで、25階のラウンジからの眺めが素晴らしく、コンテスト後は展望レストランで食事をして帰った。

写真左=コンクールの演奏風景(本当は撮影禁止。ゴメンナサイ!) 中=25階のラウンジから見下ろした東京ドームの屋根(左端)や小石川後楽園など 右=遥か北東方向に筑波山が見渡せる(雲がなければ反対側に富士山も望めるが) 
  

  
   昨日は居住地区の防災訓練に参加した。市の総合訓練の一環なのだが、地区の訓練としては大がかりなものだ。朝9時の地震発生を想定して地区内の班(町会単位)別に一時集合場所に集結、その後避難場所(=訓練会場の小学校校庭)へ避難して訓練開始となる。訓練や体験などは消防署の指導・協力のもとで、どこでもよくやるようなことだが消火器による初期消火、負傷者への包帯手当、AEDや心臓マッサージなどの心肺蘇生、担架搬送、車椅子介助、煙ハウス、仮設トイレ、炊き出しなどなどをスタンプラリーで行った。私は初めて車椅子に座らせてもらったが、坂や段差など見た目より不安とか怖さを感じる。これから車椅子を押す側になった時の参考になった。一列50~60人(×4列)によるバケツリレー消火の訓練もあったが、これは緊急の場ではとてもできそうにない消火方法だと思う。最後は”華やかに”消防車の一斉放水があり、参加者の拍手を浴びていた。
写真は順に①頭部負傷の包帯手当 ②AEDによる心肺蘇生 ③負傷者の担架搬送 ④車椅子介助 ⑤中は煙が充満している煙ハウス ⑥一斉放水
     
    

 

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三笠宮さま崩御/ウソに慣れる/寒い寒い

2016-10-28 19:58:17 | 日記

 昭和天皇の弟君であられる三笠宮殿下が亡くなられた。享年100歳の長命であられた。新聞やテレビなどの追悼報道によれば、戦時支那派遣軍の参謀として前線の南京に赴かれた時、軍紀の乱れや軍人の暴虐ぶりを目の当たりにして「これは(昭和天皇を御旗とする)聖戦とは違う」ことを知り、以後皇族としては異例の言動をとられたようだ。終戦後は庶民派・学者として活躍される一方、歴史観に基づいて天皇制などに言及されて来られた稀有な生涯だと評されるお方であった。(合掌)

 新聞の科学欄の「ウソはつくほど慣れる」という小さな見出しに目が行って読んでみた。不正直な行動を繰り返すうちにその度合いが次第に大きくなることを、ロンドン大学の研究チームが脳科学的に調べたというのである。臭いをかぎ続けると慣れてきて感じなくなるのと同じような仕組みによるものだそうだが、我々が小さい時によく言われた「嘘つきは泥棒の始まり」が科学的に立証されたことになる。ウソや不正は小さな芽のうちに摘み取らないと感覚がマヒして大きな犯罪を犯すことに結びつくことを改めて心すべきことと思う。

   今日はひどく寒い日だ。今年は夏も不安定な陽気だったし、この秋も晴れが続いたこともあったが概して不順な天候である。昼からは小学校の見守り当番だったので冬支度にて出かけたが、それでも外に立っていると凍えるようで帰りが待ち遠しい思いをした。体を温めようとスクワットをしていたら、それを見かけた児童から「何をしているんですか?」と声を掛けられた。また、登校時に雨が降っていなかったため傘を持たない児童が多く見受けられ、雨を突いて下校する姿が痛々しかった。

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歌舞伎仮名手本忠臣蔵/秋晴れの神代植物園で

2016-10-25 23:40:01 | 日記

   今日は国立劇場の歌舞伎公演の招待があったので観に出かけた。3か月ぶりの国立である。出し物は「仮名手本忠臣蔵」。最も人気があり、知らない人がいない演目であろう。今回は国立劇場開場50周年記念として、10月~12月の3か月での完全通し上演となっているその第一部であった。「通し」というのは全幕(全段)を通して上演するもので、特定の幕(段)を抜き出して幾つかの演目を上演するのは「ミドリ」と言うのだそうだ。能書きはともかくとして、10月公演は序幕から四段目まで、11、12月で十一段目まで上演される。赤穂浪士の討ち入り事件を題材にしたこの出し物で、今回は主君塩冶判官が刃傷に至る伏線と切腹そしてお家断絶、城代家老大星由良之助の苦衷と慟哭を主柱に、早野勘平とおかるの悲劇の始まりを絡めて義太夫の語りに乗って段が進んで行く。白内障手術後まだメガネの調製をしていないので、オペラグラスを持ち込んでの観劇であった。

   秋晴れに恵まれた日曜日、神代植物園の秋のバラフェスタに出かけ「バラ園コンサート」を聴いた。毎年「新春」「さくら」など時季のミニコンサートが開かれているが、今回はサックスのデュオとピアノとのアンサンブルの演奏であった。
   それに先がけてダリア園を覗いた。ダリアは夏だけでなく秋にもシーズンがあり、今はその真っ最中といったところ。バラに劣らずたくさんの来園客が訪れていたが、私はダリアの花に集まる昆虫に目が行った。ハチ・アブの仲間や小型の蝶らしい虫である。バラの花に取り付く昆虫はほとんど見かけないが、よく見るとダリアには実によく寄り付いている。何故なのか知りたいところである。
写真上段はバラ園コンサートと咲き誇るバラの花
中・下段は華やかなダリアに集まった昆虫たち

    

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小池知事の振り上げたこぶしは?/コミュニティまつり/続いた訃報

2016-10-23 16:39:19 | 日記

   小池都知事が豊洲市場や東京五輪の会場の問題で矢継ぎ早に旧弊を叩いて、都民のみならず国民の喝采を浴び、メディアからも「小池劇場」ともてはやされている。私も拍手を送っている口なのだが、両問題ともいつまでも”問題”にしてはいられない。時間がないのだ。特に五輪の競技会場は世界との約束の重大問題である。早急に混迷から脱して解決策を出さなくてはならない。
   そこで登場したのがこのほど来日したバッハIOC会長。精力的に関係者と接触して回り、大人の物腰で釘を刺したりアイデアを提案したり「さすが」と思わせた。小池知事が計りかねていた振り上げたこぶしの下し処を上手くリードしたような気がする。即ち、宮城県など東北の被災地で野球・ソフトの一次リーグを行って「復興五輪」の目的を果たし、ボート競技の会場は原計画の「海の森水上競技場」とする、但し他の会場も含めて建設費の見直しを進める・・・というところではないだろうか。
   豊洲の方は? マスコミも否定的に言い立てるだけではなく、安全についての科学的な判断をすべきであろう。それでも現在の「築地で仕入れた」とか「築地直送」というようなブランドは間違いなく断たれ、業界には大ダメージとなるだろう。 

   秋空の土・日、我が地域の「コミュニティまつり」が開催された。市内に7か所あるコミセン(コミュニティ・センター)の中の一つの恒例となっている行事で、今年は32回目の開催である。
   このコミセンを活動の場とする趣味の会等のグループの発表、域内の各種住民団体やボランティア活動の展示・PR、この地区の園児・小中学生の作品展、姉妹都市からの物産即売などに加えて、音楽やパフォーマンスのステージや警察暑・消防暑によるPR、お決まりの模擬店・喫茶室など実に盛りだくさんのイベントである。お祭り好きの私は毎年見に行っているのだが、現在は民生委員になっているため多くの活動仲間がこの祭りの運営に携わっており、身が縮まる思いで参観した。
   ただ、会場の入口近くの駄菓子販売コーナーでは私が見守り当番をしている小学校の児童たちが”売り子”をしていて、私の姿を見つけて何人もが笑顔を投げかけてくれたことは嬉しかった。私も食べたことのない駄菓子をたくさん買って笑顔に応えた。
写真は左から①小学児童によるソーラン踊りのパフォーマンス ②地域団体等の活動展示コーナーで、右のパネルには私が撮った記録写真が多く使われている ③小学生たちの作品展には力作やユニークなものが多く、感心しきりだった ④盛況な屋外の模擬店

   

   
   女性で世界初のエベレスト登頂に成功した田部井淳子さんが亡くなられた。エベレスト後も女性初の7大陸最高峰制覇を達成するなど、世界的なスーパーレディーであるが、全くそれらの偉業を鼻にかけない控えめでざっくばらんなお人柄で多くの人を惹きつけた。私も「徹子の部屋」などの番組を観て、飾らないありのままの姿や前向き志向の信念に心を打たれ、私より5歳だけ上で、私にもそんな信念が持てたらと思うところがあった。
   そのちょっと前に「ラグビーの申し子」平尾誠二氏の訃報が流れ、ラグビー界に留まらず広く大きな惜別の念と喪失感をもたらしたばかりの後の悲報であった。
  

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白内障手術終って/「土人」発言/有毒なヨウシュヤマゴボウ

2016-10-21 14:40:59 | 日記

   ”待望”の白内障の手術が終わった。一昨日が右眼、昨日は左眼を手術し、それぞれ術後丸一日ずつ眼帯をしていたが、今日初めて手術後の両眼で物を見た。白内障による視界の曇りやにじみがスッキリしただけではなく、人工レンズを挿入したことにより、メガネなしの裸眼ではっきり見えるようになった。手術後の視力を検査したら両眼とも0.7とのこと。因みに術前は0.05くらいであったのだ。中学の時に視力検査で0.2に落ちて以来メガネは外せなくなったが、こんなにクリアーな視界はおよそ60年ぶりになる計算である。但しその分手元の小さな字が見にくくなったし、乱視も残っているので少し目慣らしをした後改めてメガネを作り直すことにしている。
   手術の方は何人もの経験者から聞いていた通り簡単なものであった。手術室に入って出るまで15分くらい、手術そのものは10分程度で終わった。ただ角膜を切開するためその傷口などから細菌感染したら一大事なので、手術前から術後数日間にわたって抗菌剤や化膿止め、抗炎症剤などの点眼が細かく指示され、術後の日常生活でも洗顔、洗髪、入浴をはじめ仕事や運動などについて医師の指示を守らなくてはならない のでその点は煩わしい。
   また、しばらくはメガネなしで生活できるが、周囲の人は私のメガネなしの顔を見たことがない。それで度のないレンズの”伊達眼鏡”をかけることにして、今日メガネストアに行って作ってもらったところである。

   沖縄県の米軍ヘリパッド建設現場で、機動隊員が反対派の住民に向けて「ぼけっ! 土人が」と怒鳴ったことが差別発言として問題化している。現場の詳しい経緯は分からないけれど、今どき「土人」なんていう言葉が生きていたとは驚きだ。そしてこんな言葉を使うなんて何と品性のない御仁なんだろう。しかし「親や上官の顔が見たい」などと言うのは見当違いなのかしらん。

  過日、夕方のテレビ報道番組で「毒性外来植物が住宅地周りに!」というような驚きを込めたトーンで報じていた。植物はヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)と呼ばれる、私にとってはごくありふれた”雑草”であるが、物知りみたいな人が「食べたら死に至るようなこんな恐ろしい植物がこんな身近にある」とヨウシュヤマゴボウを見つけながら、カメラがそれを映していた。私は強い毒性があることは知らなかったが、知らずに食べて死んだ事故もあるとのこと。改めてネットで検索してみたら根にも葉にも実にもアルカロイド系の有毒成分があるとあった。しかし改めて驚く存在ではない。どこにも生えている植物なので何で今さらというのがテレビを見て思ったわけなのである。
写真左はヨウシュヤマゴボウの熟す前の白い実、右は濃紫色に熟した実

      

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