フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

どこがワクチン担当相?堀内氏退任/メディアには取り上げられなかった?反戦デモ

2022-03-30 09:07:02 | 日記

    堀内詔子ワクチン担当相が明日(3月31日)に退任するという。”名ばかり大臣”の事実上の解任である。後任は松野内閣官房長官が兼務するのだそうだ。
    冗談じゃない、官房長官なんて首相と同じくらい、あるいはそれ以上に忙しいポストである。一方、ワクチン担当相は現在の火急の役職である。それを軽々しく兼務だとは・・・。
 菅内閣では河野担当相がこれでもかと思うくらい連日メディアに顔を出していた。突っ込み過ぎの部分はあったにせよ役目は果たしていた。それが内閣が変わるや堀内氏になるとメディアの前に出ることはほとんど無くなったし、記者会見でも国会答弁でも目が泳いでいるような自信のない表情で、弱々しく答弁原稿を読むだけであった。
    岸田内閣の船出に当たって”期待の”清新初入閣であったはずだが、どうもそうではないらしい。堀内氏の義父は岸田首相の派閥の重鎮だった堀内光男氏であると知った。何だ縁故入閣だったんだ。道理で・・・。それはともかく、第6波が収束方向に向かっているかと思いきや、直近の東京の感染者がまた増加の兆しを見せているが、何の役目を負っていたのやら・・・

 

   もう旧聞の話、先週の日曜日に渋谷でバスを待っていたらデモ隊の隊列に出くわした。通行する車の波に見え隠れして何のデモか分かりにくかったが、その内「戦争反対」とか「ロシア~」などというプラカードが見え、ロシアのウクライナ侵攻に対する抗議デモだと分かった。間もなくバスが来て乗車すると運転手のアナウンスがあった。途中デモ隊の行進があり、バスの運行が遅れる見込みであるとのことだ。渋谷駅を出ると、丁度バス路線に逆行する形で隊列が続いていた。代々木公園での決起集会の後の行進のようだ。相当な動員数であり、プラカードやゼッケンを見ると参加団体も多種多様であった。ただ、主催者がどこなのか分からない。家に帰って夜のテレビニュースを視ても報道がなかった。翌日の新聞(朝日)にもかけらほどの記事も無かった。一体何の団体だったのだろうか。

【本稿は出張先でスマホでの投稿のため、文字列の乱調をお許し願いたい】

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堀江謙一さんに敬服・感銘!! /フィギュア世界選手権に思う/親の世話を看ていた弟に感謝

2022-03-28 15:11:02 | 日記

   「海洋冒険家」という肩書で称される堀江謙一さんが、米国サンフランシスコから日本に向けて単独無寄港太平洋横断の航海に出航した。「太平洋ひとりぼっち」で知られている堀江さん、御年83歳という。      1962年というから60年前、無名の23歳の日本人青年が小型ヨットで突然サンフランシスコ湾に現れ、日本中を仰天させた。兵庫県の西宮港からたった一人で3ケ月かけての無寄港航海で、パスポートも持っていなかった堀江さんを米国は暖かく上陸を許可した。私が高校生の時で、大げさに言えば湯川秀樹さんのノーベル賞受賞に匹敵するくらいの戦後日本人の快挙であった。
   その後も単独無寄港世界一周など小型ヨット航海の数々の冒険をして来た。堀江さんが生まれたのは「人生60年」と言われた時代。それが83歳になってもまだとてつもない冒険に挑むのである。勇気も行動力も(お金も)ない私は、ただただ敬服し感銘に浸るのである。


   フランスで行われたフィギュアスケートの世界選手権で、男子は宇野昌磨選手、女子は坂本香織選手と男女とも日本選手が優勝した。先には北京で冬季五輪があったばかりで、両者とも銅メダルを獲得したが、今大会では男子のメイサン・チェンや羽生結弦、女子ではロシアの選手たちは出場していなかった。
   それは割り引くとしても宇野選手はショート・プログラム(SP)100点越え、フリー200点越えで合計312点は歴代3位の堂々たる優勝であった。いいとこの坊ちゃん、という愛らしい風貌の宇野選手だが、長いこと日本の男子フィギュアを引っ張って来た羽生選手の跡を立派に継ぐ選手に育った。
   それにしてもフィギュアの得点は目覚ましくアップして来ている。嘗て男子はSP90点台+フリー180点台が一流の証しであったが、今や100点台+200点台だ。女子もSPで60点台→80~90点台、フリーでは90点台→120~130点台を出さないと国際大会では通用しなくなって来た。
   他の採点競技の体操もそうだし、タイムを競う競技も年々記録がアップし続けている。競技の記録の進歩というのは限界点がないのであろうか。


   102歳になる母の老健施設入居先がようやく決まった。5、6年前までは同居家族(私の弟一家)の炊事役をしていたのだが、今や家では寝たきりで、デーサービスやショートステイ頼りになっていた。そしてようやく老健施設への入居が決まり、弟一家は重荷から解放されることになった。
    私は社会人になってからは転勤続きで会社の独身寮を皮切りに社宅住まい、と実家に住んだことが一度もない。弟家族が現在まで実家で親と同居し、引き続き親の老後を看ていたのであるが、若い時から働き者の弟が実によく親の世話をしてくれていた。ありがたいことであり、少し楽になって欲しいと切に願っている。

 

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春の花に囲まれて小学校の卒業式

2022-03-25 21:51:23 | 日記

    今日(25日)は全国で卒業式を迎えた学校が多いのではなかろうか。私が安全推進員を勤める小学校でも今日が卒業式で、私が当番に就いた。いつもは決まりである8時からの登校時間より早く登校する児童が多いのだが、今日は決まり通りでいつもより遅い時間に登校して来た。卒業生はみんな晴れがましい服装に身を包み、普段の姿と違ってなかなかいいものである。一家庭2人までとされた保護者はそれより後の時間に入場、式典は体育館内で行われた。
   私も民生委員時代は来賓として6回の卒業式に同席したが、今日は校庭で見守った。式典後は出席者全員が校庭に出て、在校生が作ったアーチをくぐって卒業生が保護者の元に行き、三々五々の解散となった。
   校門の内側に立って、卒業生には「卒業おめでとう!」と声を掛け、保護者には「今日はおめでとうございました」と送り出したが、「ありがとうございました」と礼を返す保護者が多くいた半面、一顧だにせず無視して通る保護者もいた。こちらを見下してのものだろうけど、我が子の徳育にどんなものだろうかと思った。

   今日は上空に雲がほとんどなく、穏やかな陽春の卒業式日和だったが、以下のように校庭の花々も祝っているようであった。

 
 桜の老木も一気に開花    華やかなモクレンの花

   
雪をかぶったようなユキヤナギ    今にも開きそうなハナカイドウの蕾

  
  長咲きのオトメツバキ (左)とスノーフレーク(右)

  
   ラッパズイセン(左)とハナニラ(右)


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狂気の独裁者? ウクライナ侵攻の激化に思う/テレビドラマ「相棒」の相棒役交代

2022-03-24 12:03:26 | 日記

   毎日々々のロシアによるウクライナ侵攻の報道で、正直気が滅入る。
   我々は西側の一員である日本で見聞きするニュース・報道に依っているが、真相はどうなっているのだろうと思ったりする。ロシアの国民はそれと真逆の報道の中にいるのだと思うが、彼らの大半はそれが真実だと思っているのだろう。第二次世界大戦中の日本国民のように、「鬼畜米英」に対し敵を粉砕し、領土を奪い、「赫確(かくかく)たる戦果」を上げて「バンザイ! バンザイ!」を叫んでいた、あの日本人がいた。今の日本人は「ロシア国民は完全に事実を隠蔽され、独裁者の手のひらの上で踊らされている」と思っているだろう。私もほとんどそうに違いないと思っている。そして”戦況報道”から、その独裁者は狂気の度を増して来ているように感じる。
   これから化学兵器使用ー核兵器攻撃ーそして・・・そんな恐ろしい光景を想像しないですむプーチン氏であることが望めるのだろうか。


   人気テレビドラマの「相棒」。私がテレビドラマの中では最も好きな番組だが、ドラマの主人公、警視庁特命係杉下右京の相棒として最も好きだった冠城亘こと反町隆史が、昨日(23日)の回で降板するとのこと。
 杉下右京の相棒役としては4代目である。因みに初代は亀山薫役の寺脇康文、2代目神戸尊役の及川光博、3代目が甲斐亨役の成宮寛貴であったが、長身で二枚目の超カッコいい反町隆がちょっとコケティッシュな表情で愛想豊かな役を演じていて、そのギャップがたまらなく面白かった。5代目に誰が登場するのか知らないが、今は残念で仕方がない。因みに相棒役4人の中で2番目に好きだったのは及川光博。スマートでかつ端正なハンサムさが魅力だった。
   ドラマとしては頻繁に再放送が流されるので、それも楽しみである。


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中国のコロナ対策に考える/懐かしい紙芝居の話題

2022-03-20 10:58:13 | 日記

    先日、中国深圳市でコロナ感染者が出たので都市封鎖をしたというニュースがあった。私が中国で日本語教師をした時の教え子が一人深圳に住んでいるのでそのことを尋ねた。因みに彼女は優秀な学生で、研修生として日本で1年生活しており、帰国後結婚して現在は3人の母になっている。
   その話は以下のようなことであった。
『深圳市では今、日に60人くらいの感染者が出ている。感染源は香港からの密航者でそれから拡散した。現在(日本で言う)都市封鎖されており、私達は家から出られない。学校はオンライン授業で、子供(小学生)は毎日家で授業を受けている。コロナの集団免疫のため3歳以上は全員ワクチン接種が義務付けられている。コロナのお蔭で生活様式がすっかり変わってしまった。』
   日本や欧米に比べて公表される中国の感染者数はベラボーに少ない。我々から見ると隠ぺいされた数値としか思えないほどだ。深圳市は人口1450万人で、東京都の感染者が1日1万人を切ったところでまん延防止解除だが、人口が1450万人で東京より多い深圳市は「60人」くらいで都市封鎖である。感染対策の徹底もここ日本とはケタ違いである。国家のメンツをかけて国民・市民に規制をかける方がよいのか、国民・市民への強制・犠牲は最小限にしてほどほどの規制がよいのか・・・問われるところである。


   今朝の購読紙(20日:朝日)に紙芝居の記事があった。「世界へ広がるKAMISHIBAI」と見出しがついていた。日本発祥の紙芝居が海外でもじわり広がっているのだそうだ。フランスのある図書館では子供達が「魔法の箱」と呼ぶと、紹介している。2001年には「紙芝居文化の会」という国際団体が創立されたのだそうだ。
   「紙芝居」といえば私が小学生の頃は子供たちの一番の娯楽だった。1950年代、まだ家庭にテレビが普及していない時代である。5円だか10円玉ひとつ持って水あめや駄菓子を買って、2編か3編の紙芝居を楽しむ。今で言うアニメ的なもの、童話、活劇物などの作品があったが、不朽の名作「黄金バット」の名を知らない人はいないほどだった。
   私の記憶に残る紙芝居屋は二人。一人は学校の帰り道で演じていた人で、下校時間に合わせてやって来る。最後にクイズがあり、正解すると褒美の駄菓子などが貰えるが、高学年時の私の目的はほぼそちらの方だった。紙芝居屋のおじさんは常連解答者として一目置いてくれた。
    もう一人は近所に住む紙芝居屋で、絵の作者兼演者であった。色々アイデアマンで、特に石油の一斗缶みたいなのを腹に抱えて、楽器のドラムをスティックで叩くように鳴らして子供たちを呼び集め、子供も親も「チンドン屋」と呼んでいた。但し演じる場所が、私がわざわざ行くような所ではなく観に行くことは少なかった。

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