テキスト作りに追われた夏休みであったが、8月30日の月曜から経貿学院の新学期(=新学年)が始まり、私は次の週からの授業というつもりで9月3日の金曜に日本を発った。成田空港では、行先の青島の天候が悪く成田に引き返す可能性があるとアナウンスが流れていたが、40分遅れ程度で青島に無事着陸した。
空港には私の指名で新3年生のダイ・フェイフェイとキョウ・エイノウの2人が迎えに出ていた。この2人はこれからの3ケ月のクラス運営のキーパーソン(盛り上げ役)となってもらうべく指名したものである。
青島からはこれに急遽相棒のモリキさんも同乗することになった。前々日に着くはずの船が欠航したため同じ日に青島に着くことになったのだ。広島出身の彼は下関からの船の方が便利なのである。青島の国際港は道が分かりにくいらしく青島市内に余り詳しくない運転手が手間取っていたが、無事合流して2ケ月ぶりに濰坊に戻った。本来なら出迎えの2人にはモリキさんと慰労の食事をしてあげるべきところだったが、ケイ・ショウロから悩み事があるので濰坊に着いたら相談に乗ってほしいとのメールをもらっていたので、宿舎に着くとすぐケイさんに来てもらい、進路その他の悩み相談を受けた。
その日はそれで終わり、 翌日は朝から新3年のイ・カカ、ウ・ヘイらの4人グループが来て部屋の大掃除をしてくれた。夏休みの帰国前に約束をしていたのである。きれいに掃除をしたところでキッチンで食事をつくってもらい一緒に昼食をした。その後日本語科主任のバオ先生らに濰坊に戻った挨拶の電話をしたところ、私の授業はその次の週からとの話であった。さらには(この時に聞いたのかどうか忘れたが)これまで人数的に2班に分けていた新3年生は本科班と名無しの班の2つに分けると言う。本科というのは4年制大学のことで、4年制への進学志望者が本科班。そうでない(つまり就職や研修生志望の)学生のグループには特に班の名前がないので私は勝手に「普通班」と名づけた。
その後、このどちらでもない3年生がいることが分かった。既に日本へ研修生として行っていたり研修生になるための訓練機関に入っている者、市内のデパートなどで実習生として職業訓練を受けている者などで、後の授業単位は免除されて来年卒業になるらしい。授業が始まってようやく分かったのが、本科班20人、普通班16人であり、残る17人が”その他”で授業には出て来ない学生数であった。
ところで新学年から女性のホウ先生が日本語科教師陣に加わった。ホウ先生は4年制大学で日本語を専攻したが新人で日本滞在等の経験もなく、日本語の発音に不安があるということで、途中から新2年生の会話の授業のアシストを頼まれた。こうして3年生本科班1コマ、同普通班2コマ、助っ人で2年生の1コマ、計1週4コマで私の第三ステージが始まった。


空港に出迎えのキョウさん(左)とダイさん(右)/ 2ケ月間留守にしていた宿舎の大掃除をしてもらう












