フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

ツバキ(椿)づくし

2011-03-29 09:15:32 | 季節の便り

  ツバキ(椿)の花の咲く時期は長い。2月から咲き始め、4月上旬くらいまで咲き残る。
 ウメ(梅)の咲いている時期からサクラ(桜:染井吉野)の時期まで咲いている。
 
 花を一輪一輪見ると、ウメやサクラよりずっと艶やかで美しい。しかし前にも書いたが、常緑の大きな葉の間に花が咲いて、見栄えの点でウメやサクラに遅れをとり損をしているように思う。
 ウメもサクラも葉が出る前に一勢に花開く。葉に隠れることもなく、葉の色と混じりあうこともなくい。実に鮮やかな咲きっぷりである。
 そこが春の喜びを代表する花として、誰にも親しまれ、愛されるのだと思う。

 冒頭にツバキの花の時期を2月から4月上旬と書いてしまったが、ツバキの季語は何であろうか。私は初め「冬」と思ったのだが、モノの本によると「三春」とあった。
 つまり「初春・仲春・晩春」を通しての時季という意味のようだ。それだけツバキの時期は長い、ということであろう。
 因みにウメの季語は初春、サクラは晩春だそうだ。

   
   五弁のヤブツバキ        ベニアラジシ(紅荒獅子)     アカシガタ(明石潟)

 ツバキの蘊蓄はともかくとして、いつもの井の頭公園の私の散歩コースは今がツバキのピークである。 結構いろいろな種類のツバキの樹が植わっていて、見る目も楽しい。
 上の写真左はツバキの原種とも言うべきヤブツバキ。小節「五弁の椿」でも知られるツバキの代表である。
  中央はベニアラジシ。ちょっと荒々しい名前だが、真紅の派手なツバキである。
 右はアカシガタ。この写真では分かりにくいのだが、極大輪の花である。

  
   シラギク(白菊)               同左              ヌキフデ(抜筆)?

 上左と中央はシラギクであるが、花弁の数がこのように違うものがある。図鑑によると花弁の数は「20~30個ある」と幅広い。左のものは菊のように花弁が並んで一層美しい。
 右はヌキフデと思われるが、はっきりは分からない。

 写真下の
左はキョウカラコである。中央はよく分からない。

  
  キョウカラコ(京唐子)            ???

 左と上右はオトメツバキ(乙女椿)

 ツバキの中で私が最も好きなのがオトメツバキである。色は上品な薄紅色、バラのような美しい八重咲きのツバキである。バシッと写真を極めたかったのだが、コンパクトカメラというより、画像取り込みの処理で面白くない画像になってしまい、魅力が伝えられず残念である。

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大震災(5) 地震後の買い物記

2011-03-26 20:37:27 | 大震災

 今日、家内の買い物に付き合った。
 家内は行きつけのスーパーに平日は一人で行くのだが、駐車場が込み合う土・日はいつも私が運転して一緒に行くのである。
 今日で地震後半月が経ち、買い物にも落ち着きを取り戻していた。

 大地震後、生活必需品などが一部の人たちによって買い占め、買い貯めが行われて、スーパーなどからそれらの商品が消えた話を前に書いた。
 こんな時期に自分さえよければそれでいい、という浅ましい姿を嘆いた。新聞などでも大いに批判を浴びている。

 今回は私が経験した地震後の買い物事情を書いてみたい。
 3月11日の地震の翌々日の日曜、例によって家内とスーパーに行った。
 すると客が店の外に列を成して入店を待っていた。初めて見る光景である。
 店内は大変な混雑で、家内は買い物もそこそこに出て来て言った。「米やレトルト食品やトイレットペーパーは一つも品物がなかった」と。
 車に戻って駐車場を出たところで、スーパーのカート2台に飲料水やティッシュ、トイレットペーパーなどをいっぱい積み込んだ主婦が目の前を横切った。
 この人はスーパーのすぐ隣にあるマンションの住民とすぐ分かる。買い置きなどをする必要は全くないのである。
 こういう人たちが買占め、買い貯めをしているのか、とすぐに直感した。

 その翌日、我が家の地区が停電になるというので、懐中電灯用の電池を買いに出た。すると、いつも利用する百円均一ショップは閉店、隣のスーパーでは品切れ、少し離れた家電量販店に行くと品切れ商品リストに書き込まれていた。
 諦めずにようやく見つけた店で手に入れ、レジに並ぶと、前の客が何と同じ電池を8パックも買っていた。そんな量は1年やそこらで使いきれるものではない。
 なんで今そんなに買う必要があるの? 本当にあきれ返った。

 次の日曜日、開店前にいつものスーパーに行ったら、200人から300人くらいの客が開店を待って並んでいた。もうびっくり。
 それでも何とか必要なものを買うことができた。

 そしてこの時点までの間、目にする街のガソリンスタンドは車が長い列をつくっているか、売り切れて休店しているかのどちらかであった。
 しかし地震から半月、ようやく買占め、買い急ぎが一段落して、スーパーもガソリンスタンドもパニック状態を脱したようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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春本番間近

2011-03-21 21:35:19 | 季節の便り

 現在、日本は大地震とそれに続く巨大津波による未曽有の大災害に打ちのめされながら、復旧・復興に立ち上がっているところである。それに追い打ちをかけた原発の核飛散の問題についても、日本中が祈る気持ちで専門家達による対策に釘付けになっている。
 
 しかし、そんな中でも季節は着実に前に進み、いよいよ春も本番間近になって来た。
 今日は生憎雨であったが、昨日・一昨日の連休を外歩きして、春の空気を吸いながら、花々に目を奪われた。

   
      モモ(桃)           ミツマタ(三椏/三叉)         アセビ(馬酔木)

 上は神代植物園のモモ、ミツマタ、アセビである。
 ウメ(梅)が盛りを過ぎてモモ(桃)の出番となった。まだピークはこれからであるが、サクラ(桜)と見間違うほど華やかになる。
 ミツマタは1月中頃から蕾が少しずつ膨らんで来て、今が満開となった。
 アセビはまだ咲きかかりであり、これから息長くゴールデンウィークまでは咲くはずである。

  
    ラッパズイセン          オオイヌノフグリ             菜の花

 1月から咲いているニホンズイセン(日本水仙)が色褪せて来たのに代わって、ラッパズイセンが鮮やかな黄色い花を咲かせている。
 目を草むらにに転ずると、1センチほどの小さな薄紫色の花が点々と見える。オオイヌノフグリである。スミレなどと並んで道端や野原で春を告げる花の代表格の一つであろう。
 そして、春の野原の象徴とも言うべき菜の花が最盛期を迎えた。

  
  カンヒザクラ(寒緋桜)      陽気に誘われて公園散歩       コブシ(辛夷)

 井の公園のジブリ美術館の裏の広場には、カワヅザクラ(河津桜)、カンヒザクラ、オオカンザクラ(大寒桜)という早咲きの桜が植えられている。
 カワヅザクラは既に紹介をしたが、今はカンヒザクラが満開となっており、追ってオオカンザクラが見頃を迎える。
 折からの連休とも重なり、暖かい陽気に誘われて大勢の散歩客が井の頭公園に押しかけた。井の頭池のボートも年が明けて一番の賑わいを見せていたが、池の端では開花し出したコブシが一気に満開状態に達した。
 地震後ふさぎ勝ちな気持ちもやわらぐ外歩きになったに違いない。

 そして間もなく春の主役、桜(ソメイヨシノ)の登場を迎える。

 

 

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大震災(4) メディアのスタンス

2011-03-20 21:57:03 | 大震災

 

 上は昨日発売の週刊誌の新聞広告である。
 日本の大手の週刊誌である両誌は発売日が同じで、私の購読新聞には毎週見開きページの両面に並べて広告が掲載される。
 私はこれを買って読むことはないのだが、両誌がどんな記事をどんなスタンスで載せているのか、興味をもって見比べている。

 日頃は両誌とも政治や経済、社会あるいはスポーツ、芸能界などの広い分野において、暴露記事や有名人のスキャンダル、揚げ足取りや批判記事などを得意にしている。
 確かに大新聞やテレビで報道されない裏面を取り上げたり、大衆の知らない事実を白日にさらすこともある。
 しかし、批判や攻撃的な記事を書きっ放しにして、留飲を下げる類のものが少なくない。
 まあ、大平楽なご時世ならそれもいいであろう。食傷気味のご馳走に振るスパイスの役を果たしているかもしれない。
 しかし、である。今は、東北地方を中心に地震と津波による未曽有の大災害を受け、被災地は言うに及ばず日本中がこの痛手から立ち上がろうとしている時である。
 さらには原発の核飛散という深刻な問題に直面している。
 多くの人々の悲嘆と苦難、そして不安・・。こうした暗たんたる状況の中で、人々は気持ちを奮い立たせて復旧・復興に立ち向かっているところである。

 ところが片方の週刊誌はどうであろう。
 こんな状況においても、相も変わらずの報道スタンスで人心の不安を増幅し、一層の憂鬱感に追い込んでいる。
 もう一方は明らかに平時のスタンスとは異なる。こんな時でも日本国民は捨てたものではない、みんなで立ち上がろうではないかというメッセージを打ち出している。
 今メディアに求められるのはどちらのスタンスであろうか。
 人心を不安や絶望に落とし込むことか、はたまた鼓舞して復興に向かわせることか。
 私ははっきりと後者をとる。前者は報道のTPOを見失った。
 さて、読者はどのように反応するのであろうか、興味が持たれる。

 

 

 

 

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大震災(3) 日本人の行動

2011-03-18 20:32:05 | 大震災

 今日で地震から1週間が経った。
 地震・津波による災害の全容はまだまだつかみ切れない。
 死者は確認されただけでも既に5000人を超え、安否の確認ができない人は2万人近くがいる。 命は助かったものの、生活が破壊されて苦しい避難所生活を送っている人々も40万人にのぼると言う。
 全く連絡が取れず、家族の生死すら分らないという人々の声も痛ましい。
 家屋や自動車などの損壊・逸失や交通、通信の遮断、生産や物流の休停止などなど底知れない被害が広がっている。

 さらに現在日本中を震撼とさせているのが福島原発の事故である。
 原子炉設備の故障と爆発等で放射能物質が放出され、周辺住民のみならず日本中、あるいは世界の人々が恐怖に陥っている。
  核爆発という最悪の事態を防ぐため、国を挙げての必死の対応にみんなが固唾を飲んで見守っている。ギリギリに差し迫った状況となり、みんな手を合わせて危機状態からの脱却を祈っているところだ。

  一方被災地では生活物資が決定的に不足し、暖も取れない所に冬の寒波が押し寄せたりして、一層厳しい避難生活を余儀なくされている。
  震源から離れた首都圏でも、電車・地下鉄などの交通がマヒし、生活インフラの根幹ともいえる電気でさえ停電に追い込まれた。 

 こうした情況の中で、日本人の冷静で秩序ある行動が海外に紹介され、称賛を浴びているという。
 例えば、止まった電車の運転再開を待つ大勢の客が、通行する人のためにスペースを空けて駅の階段に整然と座り込んでいる写真が中国で紹介され、「中国ではこんなことはあり得ない」「GDPでは日本を抜いたけれど、中国は50年も日本に追いつけない」などの書き込みがネットに相次いだと言う。
 あるいは、地震の時日本語学校の教師は外国人の生徒を避難誘導し自分は最後に教室を出た、という記事がどこかの国で紹介され、日本人の冷静さや高い道徳感が共感を呼んでいるとも聞いた。

 確かに怒り狂った群衆の暴動もないし、混乱に乗じた略奪などの光景は皆無である。
 交通がマヒした時でも粛々と並んで、列を乱すことはなかった。
 日本の治安の良さが海外に再認識された、と言えるであろう。

 ところがところが・・・である。それに水差すことが起こっている。
  生活用品の買い貯め、買い占めである。既に報道されているように、米やカップラーメン、レトルト食品トイレットペーパーなどがスーパーの棚から消えた。
 これらが急に家庭での消費が増えて品切れになったわけではない。今必要ではないが、買い貯めしておこうというものだ。
 私も実際目の前でその買い漁りの現場を見ている。
 これらの品物は地震の被災者達にも避難生活で必要なもので、しかも手に入らないで困っている生活用品である。
 片や品物が手に入らなくて生活に困っている地震被災地の人達。片や品物が十分に出回っていて、今買わなくてもなんら生活に支障のない人達。
 
 「被災地の人は被災地の人。自分さえよければそれでいいのさ」という手合いがいることに、実に情けない気持ちになった。せめて、それらは自分達の生活用品ではなく、被災地の親族に送るための品物であった、と思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

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