フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

どこまで続く悪事・不正の露呈=ビッグモーター社

2023-07-31 10:51:22 | 日記

いやあ、凄い! 連日報じられているビッグモーター社の悪事・不正。
世界的には一定のコンプライアンスが誇れると思っていた日本だが、これほどの悪辣な企業が大手を振っていたとは・・・。
中古車販売・買取り、板金塗装、車検業務、自動車リース、自動車保険・・・会社が誇るところの「車に関するワンストップ起業」で、全国300店舗、従業員6000人を擁する大企業である。
その企業が①適切な車検を行わない②損保会社へ不正請求をする③(①②にも関係するが)ゴルフボールやドライバー等で客から預かった車体に傷をつけて修繕費をアップする④中古車買い取り後、難癖をつけて買取金を返却させる⑤従業員に1件当たりの修理・車検価格にノルマを与えて不正を促す⑥従業員の残業代未払い⑦店長・従業員への激しいパワハラ⑧短期間の間に50名以上にも上る工場長更迭⑨店舗前の街路樹に除草剤を撒いて枯れさせ抜去する⑩社内連絡に使用していたLINEのアカウントを携帯電話から削除するよう全社員に通知・・・どうなんだろう、まだまだ出そうである。

これに対して責任を取って辞職するという社長は記者会見ではまるで他人事で、「全く知りませんでした」と悪びれた様子は微塵もない。百歩譲って社長からの指示でないとしても、これだけの不正事の1件も耳に入らないなんて言う会社のコンプライアンス体制は驚き以外の何ものでもない。特に社長の息子が副社長を務めておりその役割がまだ闇の中にあるが、今後国交省によるヒアリングや店舗立入り検査などで明らかになって行くものなのだろうか。

 

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懐かしい?隅田川花火大会

2023-07-30 15:06:31 | 日記

昨日(7月29日)は4年ぶりという墨田川花火大会の模様をテレビで見た。
墨田川花火と言えば大学時代からの親友が花火打ち上げ場にほど近い浅草のマンションに住んでいて(現在は北区に転居しているが)、花火の晩はいつも招待をいただいた。彼も彼の奥方も気安く友人関係が広いので沢山の人が招かれ、準備していただいたご馳走にそれぞれが持ち寄った食べ物、飲み物が並んで、打ち上げの始まる前からもう賑やかなパーティーが始まるのであった。
ほどよく飲食が進み盛り上がった頃に花火の打ち上げ音が聞こえ出し、7階(だったか)の窓から花火が見えるようになる。
そこでパーティーを一旦中断して屋上に移動。そこでは眼下から打ち上がる火の玉が見えるし、空中で爆裂してパアーッと広がる花火が目の前に見える。実に爽快である。また風向きによっては硝煙が漂ってきてその臭いもかぐことが出来た。
夜空にはテレビ放送中継のヘリコプターが舞い、他の報道機関の取材機も二三、円を描いて回っているのが見える。
また近隣のビルの屋上では敷物をし、テーブルを並べて宴会を始めている光景も見えた。
私はその後地方に転勤になり、その楽しみがなくなってしまった。その友人とは2日前に赤坂で飲んだばかりだったが、テレビの花火中継を見て電話をかけた。


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暑い暑いい・・・ほぼ熱中症に

2023-07-30 09:47:02 | 日記

本当に暑い日が続いている。30℃越えなんていうのは「暑い」内に入らない。日本の多くの都府県で35℃越え、都市単位で言えば38℃越え、39℃越えというのが毎日報じられている。この現象は日本だけでもなさそうだ。完全な地球温暖化現象と言えるのであろう。

私は8月生まれで、そのせいなのかこれまで人が言うほど「暑い」と口に出す方ではなかった。しかし、今夏はさすがに暑い。
1週間ほど前には生まれて初めてと言っていいような『熱中症』状態になった。
22日の土曜に地元小学校の「親子夏祭り」という定例行事があり、その主催者側の写真記録担当として4時間以上休む間もなく写真を撮って回った。
翌朝体が重かったが知人との約束で都心にて食事をし、その後「皇居東御苑を案内したい」というのに従った。東御苑は以前入ったことがあるが、これほど広いとはと思うほど広大で、帰宅してスマホの歩数計を見たら1万2千歩を越えていた。

この2日でもうバテバテとなっていたところ、我が家のプリンターが故障したのでそれを持ってパソコン周辺機器の販売・修理をしている店舗に持ち込んで点検してもらったり、家電量販店に相談して買い替えたりして炎天下を走り回った。
かくして「これが熱中症というのかな?」という症状を味わうことになったのであったが、その後2日ほど家でおとなしくしていたら元に復した。

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間近な所での爆発事故(新橋)/天気予報のウオッチに疲れる/プールで無駄なお付き合い

2023-07-04 22:44:11 | 日記

昨日(3日)の午後3時過ぎ、新橋のビル街で爆発事故があったという。8階建ての2階で「ガス臭いと思いつつタバコを吸うのにライターを点けたところ爆発した」と、現場となる店の店長の証言だが、一夜明けた今日の時点で原因がまだ分かっていないようだ。夕方、外出先から帰ったらテレビの放送で生々しい爆発の瞬間の光景が何度も映し出された。
そして今朝の新聞で現場の位置図を見たら、実はその日その時間に私は現場から7~800mの日比谷にいたのであった。ビルの中で打ち合わせをしていたので、消防車のサイレンなどに気が付かなかった。思わぬ間近な場所のニュースである。


今、NHKの朝ドラの人気の主人公牧野富太郎。彼の東京での研究の舞台になる小石川植物園に連れて行って、とあるグループ・メンバーからの希望があった。市民講師養成講座の有志による自主グループで私以外はみんな女性。そんなことだから私が会長に祀り上げられ、何かにつけ「会長さん、どこか行きましょうよ」となる。今回も皆さんの都合日を募って行くこととなったのだが、屋外行事であり天気が凄く気になり、数日前から天気予報に気が休まらなかった。前日になっても時間の経過に連れて予報がクルクル変わるような不安定な空模様で、最終的に催行の可否は当日朝8時に決することにした。そして前の晩から深夜、早朝と天気予報に釘付けになり、朝7時に中止の連絡をした。結果的に集合予定の時間は雨が降っていて「中止して正解だった」と思ったものの、その後は雨が本降りになるはずが晴れないまでも小康状態の空模様となった。皆さんにはすっきりしなかったのではと思う反面、どれだけ天気の予測に神経をくだいたかは分かってもらえないだろうとスッキリしないものが残った。
これからまたリベンジ計画を立てなくてはならない。


今日の話で、市民プールでのこと。平日の午後とあってプールはすいていた。空いているレーンがあって一人でゆったり泳いでいたところ、もう一人が入って来てコースのライン上(真ん中)を泳ぎ始めた。コースは右側を泳いで往復するものですが・・・と注意をした。私と同年齢の女性は言う、「すみません、ラインが見えなかったもので」???。次のターンの時に女性が話しかけて来た。「よく泳いでいるのですか?」
「いや、心臓の治療後の運動不足でちょっと・・・」と言うと、「私の主人は心臓が・・・」「親友(女性)が心筋梗塞に・・・」「2年間の海外生活から帰国したら・・・」等々、話が止まらない。私は「すみません、また少し泳ぎましょう」と言って話を切った。気がつくとコースにいない。その後ジャグジーで一休みしようと入ったら、そこで同年配の女性とお喋りをしていた。私がジャグジーを出た時には子供用プールの外国人親子と遊んでいた。何しに来ているのかその人の勝手だが、大した時間ではなかったものの、そんなのに付き合わされてはなあ、とちょっと気分が悪くなった。

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初めての北海道(1966年)の追憶④津別町から帰京の旅

2023-07-02 16:11:41 | 日記

7月10日に東京を発って、途中北海道旅行をしながら研修先の丸高木産工業がある網走郡津別町に15日到着。翌16日から始まった研修が8月14日に無事終了した。
15日には予ての打合せ通り、行きの旅行で旭川まで同行し林業研究所で研修していた上山と杉浦、それに旭川より少し北の天白川木材で研修していた中畑が津別町で合流し、遅れて丸高木産での研修に入った元木を含めて総勢5人で東京までの寄り道旅行を始めた。
なお、天白川木材で中畑と一緒に研修していた川桐というのが一人帰京したが、モテモテの彼は彼女から急いで帰ってと言われたんだろう・・・とされた。

帰りの旅程も予約なしのその時任せだったが、一日だけ予定があった。18日の晩は苫小牧市の木材加工大手山倉組のお世話になることになっていたのだが、これがまた余談を生むことになる。
研修先の大蔵社長に研修終了のお礼の挨拶に伺った際「盆の休みで込み合うかもしれない。これ、何かの足しに使いなさい」と、中堅社員の給料くらいの「寸志」を手渡された。それは私が預かり、共通の宿泊交通費に充てることにした。

【15日】
朝、丸高木産の門の前で全員集合。天気は快晴だが、東京とは違って秋の気配を感じた。
阿寒国立公園を巡るバスを利用して釧北峠~阿寒湖~摩周湖などを回りながら弟子屈温泉に宿を取る。途中阿寒湖までは寮母の娘さんで丸高の社員でもある加世さんが同行。バスの中で話を交わし、阿寒湖では一緒にボートに乗る中で、社内で仲良しの名前を挙げて「大事にしてあげてね」と小声で言った。忘れがたい言葉ではあった。
その日の摩周湖は濃霧で姿が全く見えなかった。前報に書いたが私はそれまでの2回、いずれも晴れて神秘的で美しい摩周湖を見ているのだが、今回同行の中畑は自他共に認める「雨男」であり、その神髄を発揮した感じであった。

【16日】
弟子屈温泉を発ち国鉄(当時)とバスを乗り継ぎ、根室に向かった。途中の車窓からは霧雨に煙る根釧原野や尾岱沼などの荒涼とした景色が見える。根室市に入り、バスで根室半島の先端納沙布岬まで行って戻り、根室市内に宿を取る。
夜遅く友と大浴場に入っていると、仕事が終わった仲居さん(50歳前後?)が入って来て、スッポンポンのまま「内地の学生さんかい?」と近づいて来たのにはドギマギした。

【17日】
根室~釧路~帯広と国鉄を乗り継ぎ、バスで襟裳岬に向かう。こちらも霧が深く、その為なのか頻りに岬の灯台から霧笛の音が聞こえた。
「襟裳観光ホテル」という名前は立派なところに泊まる。旅行客で賑わい、我々は大広間での宿泊となった。アルバムに「¥4000」という領収書が貼ってあった。一人ではない、5人分である。夕食は「イカの酢の物、イカ刺し、イカの煮つけ等々」とイカづくしであったことがメモってあった。

【18日】
この日は前書した様に、苫小牧市まで行って山倉組のお世話になる日であったが、台風が接近して来ていた。襟裳岬から様似というところでバスを乗り継いだ時点で国鉄は不通となり、国道も通行困難となった。山倉組に連絡するとその先の新冠(ニイカップと読む)まで行けば山倉組のハウスがあると言う。どうやって行ったか覚えていないが、とにかく新冠で宿泊した。この町や近くの静内は競走馬生産地で有名な場所であった。

【19日】
国鉄が復旧して一日遅れで苫小牧に辿り着き、山倉組のお世話になる。大学の先輩に案内されて夜の市内を歩いたが、丁度苫小牧港の港祭りが行われていた。

【20日】
元々ちゃんとした旅程があったわけでもないのだが、苫小牧からは支笏湖に行く予定だったので一日遅れで支笏湖を観光。それから長万部~函館~青函連絡船~青森~帰京という段取りにしたものの、青函連絡船も欠航だったりして(はっきりした記録も記憶もないのだが)シドロモドロで21日に帰京するということになった。締まりのない旅のフィナーレではある。

 


皆揃っていざ帰京の旅へ 根室半島・納沙布岬  霧笛が鳴っていた襟裳岬灯台


   
   襟裳岬の荒々しい岸壁      北海道旅行最後の観光となった  支笏湖  
   

 

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