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フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#56-学生たちに紋付の着付け

2025-03-31 18:47:51 | 日記

    前号では紋付き・羽織・袴の正装で教壇に立ち、日本の着物姿を披露したことを紹介したが、学生たちに人気となった着物をその後宿舎に訪ねて来る多くの学生に着付けをしてあげた。着物は私のものだから当然男物。宿舎にやって来るのは圧倒的に女子学生が多いが、その辺はどうでもよかった。それと和服のいいところで、たいていの体型に合わすことができ、それなりの格好になった。また、女の子を下着姿にする訳にはいかないので、ジーンズとTシャツの上から襦袢を着せて着物を着けたが、下は隠れて見えないので何とかごまかしが効いた。とにかく学生たちは着物を着て大喜びでそれぞれ写真に納まっていた。(注:袴の柄は太い縦縞なのだが、下の写真ではそれが再現できない)
   この時点では日本から送ってあったのは紋付き・袴だけであったが、契約の期間延長が決まって夏休みに帰国した時に浴衣とアンサンブルを送り、次の新学期には浴衣を着てもらうことにした。浴衣は大した値段ではないので新調して女物も送ればよかったのだがと後悔したが、勿体ないので私の浴衣だけ送った。浴衣の着付け編はまた後日取り上げたい。 

      
キョク・ウンリュウ君/サイ・ブンセイ/リー・ギョクキョウら/ケイ・ショウロ  

                
       ウー・ヘイとそのルームメイト  /  仲間のカメラにポーズのヨウ・リン

       
 ホウ・テンマイら/ヨウ・ハイジエ/タケシ君と/ラン・ホウカら 

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[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#55-紋付の正装で教壇に立つ

2025-03-28 18:08:19 | 日記



 
  5月のある日、日本から送った紋付き・羽織・袴で正装して教壇に立った。学生には何も知らせていなかったので、それはサプライズになったようだ。家族を教室に招き入れて紹介した時のように学生たちは歓声を上げて総立ちとなり、携帯で写真を撮ろうとした。写真は後で休憩の時間に撮ることとしてまずは授業を始めた。休み時間に教室の外に出て講義棟入口の階段に整列して集合写真を撮った後、てんでんに私とのツーショットやらスリーショットの写真を撮り合っていた。写真は後日焼き増しして学生たちに配った。
   授業を終えて宿舎に戻ると2年生のイー・カカ、ウー・ヘイらのグループが訪ねて来たのでそのままの格好で記念写真を撮った。その後この「日本の伝統の礼服」は学生たちの話題となり、しばらくは宿舎を訪れた学生たちに着せてみせて喜ばれた。

       
  紋付・羽織・袴の正装にて授業   休み時間にクラスの集合写真   授業後宿舎に来た2年生と
     下は個々の学生とのツーショット、スリーショットに納まる 
  

 

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[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#54―引き留めのラブコール

2025-03-26 18:22:31 | 日記

   5月上旬に家族が来華した時の話の中で、日本語科教師との歓迎の食事会で『家内の隣りに座った主任教師のバオ先生がしきりに私を引き留めて契約の延長を望む話をしたようである』と書いた。バオ先生はかねてより私の学生からの評判を口にしておられたのだが、任期の残りが実質2か月しかない5月になると「残って欲しい」というニュアンスを含むようになった。その内同僚のチョウ先生からも「先生、帰るのですか?」と暗に引き留めのラブコールとも受け取れる質問をされるようになった。せっかくの有難いお気持ちではあったが、その時点では契約満了で帰国するつもりであった。
   というのも、妻子が一緒に濰坊へ遊びに来た時皆さんにはすごく円満な家庭に映ったと思うのだが、実は家にあって長男はいろいろ問題があって親には心痛の種であったのだ。そのため、私が長期に家を空けて北京や山東省に滞在することは家内にとって極めて気が重いことであった。会社リタイア後の私の生き方に水を差したくないので送り出してくれた家内の心情を考えると期間を延長する訳にはいかなかった。
   ただ、一方では授業は軌道に乗っており、授業を離れても学生たちとの交流が盛んで楽しいし、経貿学院の処遇や濰坊・山東省での生活にも満足していたので、もっと続けたい気持ちもあった。
   そうしているところへ外語学部のソン事務主任から続けてもらいたい旨の学校としての打診があり、家内にも了解を取って結局3カ月の延長ということで理解を得た。その際私は3年生(08年級=現在の2年生)に『日本の伝統と文化』を教えたいことを伝えたら、授業は全て任せるとの即答であった。
   後から考えたことだが、次の1年生(10年級)と2年生(09年級)はそれぞれ1クラスしかなく、3年生は2クラスだが前年の例からみると授業は有名無実で日本人教師はモリキさん1人で間に合うはずである。学校というか中国人教師たちとしては今の盛り上がりを維持したいとの気持ちがあったようなのだ。そう考えてみれば外国人教師は全て教職員マンションの同じ階段の上階に居住しているが、1階に居る私には他の教師の部屋に学生が頻繁に出入りしている声や物音は聞こえなかった。日本語科は授業外での盛り上がりが教室の授業にも波及していて、私の続投が望まれたのだと気付かされたのである。

     写真は左からバオ先生、チョウ先生、ソン主任
           
  

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[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#53-折り紙キューブ(その2)

2025-03-24 18:24:31 | 日記

折り紙キューブは、それから2年生の間ではちょっとした人気アイテムになった。自分たちで作りそれを持ち帰ったウー・ヘイ、イー・カカのグループから学科内の学生に伝わり興味と人気を呼んだようなのだ。食事会や日本の遊びに加えて、今様に言えば「折り紙キューブのワークショップ」である。
以下写真に沿って話を進める。
①いつも宿舎にやって来る2年生のケイ・ショウロとヨウ・ハイジエの2人はすぐ作り方を覚えてくれた。特にケイさんの呑み込みが早く、もう一方のヨウさんをリードしながら覚えて行った。 
②1年生の授業で折り紙キューブを紹介した後、ソン・ソバイとオウ・サンの2人組がすぐ作り方を教わりにやって来た。この時にはケイさん、ヨウさん(右2人)に教官役になってもらい、私は見守るだけでよかった。
③そしてソンさん、オウさんは見事に作り上げ、作品を手に満足した表情であった。
 ④特定の友人を持たない2年生のトウ・セイは一人で教わりに来た。この学生も覚えがよかった。
ここまで登場の6人の内オウ・サンを除く5人が日本研修に来てくれて、何度も寮を訪ねたり東京見物を案内したり日本での再会を楽しんだ。
 ⑤チョー・テンシンのグループが来た時にもみんなで力を合わせて1組を作ってみたが、一人一人が作る機会まではなかった。
⑥これは前号で取り上げたグループの1人、キョウ・カン。出来た作品を両手と頭にしてご機嫌なところ。彼女は私の帰国前に日本研修に来ており、私が帰国後2度ほど職場を訪ねている。
⑦はオウ・サンが6つのキューブから作ってくれた壁飾りである。こんな応用の仕方もあったのだ。 



①        ②           ③         ④

    
     ⑤         ⑥            ⑦

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[日本語教師の中国滞在記]再投稿:山東省編#52-折り紙キューブ

2025-03-22 18:33:59 | 日記

   日本のゴールデンウィークに合わせて黄金周の時の話題とその関連を先に投稿したのですることになってしまったが、話はまた4月に戻る。
   ケン玉やダルマ落しなどの日本の遊びを教える一環で前期の2年生のフリー授業で折り紙教室を開いたが、中国にも折り紙の伝統はあり、出席した学生は折り鶴などはお手のものであった。逆に財布などに入れておくお守りとしてハートの折り紙を何人かからもらったほどである。
   それが冬休みの帰国時に珍しい折り紙に出遭ってマスターしたので、それを教えてみようと考えた。 正式の名前はよく分からないが、「折り紙キューブ」とか呼ばれるようだ。まず3色の色紙(いろがみ)を2枚ずつ計6枚でサイコロ状の立方体(キューブ)を作る。それを8つ作って写真①のように繋ぎ合わせるのだが、キューブのつくり方や繋ぎ方が実に巧妙で、この8連体が自在にとは言わないまでもいろいろ形を変えることができる。写真②③は色調が違って見えるが①から形を変えたものの例である。初めてみる人は目を見張ること間違いなしなのだ。私の帰国中、ミニコミ通信でチャリティー・バザーの出品制作のボランティア募集があったのに応じたのがこれであった。一人で作れるようになるまで半日以上かかった。それでも48枚の色紙を使って1組作り上げるのに2~3時間を要した代物である。

   ① ② ③ (色は橙色、薄紫と黄緑の3色)

   4月半ばの土曜日、2年生1班のウー・ヘイ、イー・カカらのグループが昼食をつくりにやって来た。美味しく食事をいただいた後、日本から持って来た折り紙キューブを見せたところ予想した通り興味を示したので、早速作って見せることにした。私が作ったマニアルを見せて作り方を教えながら4時間くらいかかって1組を完成させた。そして次週の土曜日に一人づつ作ることにし、マニアルを貸しておいた。約束の次の土曜にみんなやって来た。同室の韓国語科のチョーさんも一緒に来て作ることになった。すると何と誰もがほとんど私の手を借りること無しにどんどん作って行く。そして3時間前後でみんな1組ずつ完成させた。私と変わらない時間である。しかもチョーさんもほぼ同じ時間で作り上げた。自分たちで色紙を買って寮で練習をしたらしい。しかしマニアルがあったとしてもチョーさんにそこまで教えていたというのは考えられないほどすごいことであった。私はこのグループのみんなに対して心の中で敬意と感謝の気持ちが湧いた。教師冥利に尽きることであった。

    
楽しく料理づくり       いただきまーす    キューブ作りの作品披露   

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