昨日は少しヒンヤリ、爽やかな空模様になった。昼過ぎまでの水泳練習を終え、遅い昼食後一服して神代植物園に出かけた。しかしうっかりして年間パスの入場券を忘れてしまったので、すぐ近くの深大寺の門前界隈をぶらついた。
深大寺は天平年間の733年の開設と伝えられる天台宗別格本山で、東京では「観音様」で知られる浅草寺に次ぐ古刹とのことだ。参拝者がいつでも見ることができる釈迦如来像は国の重要文化財に指定されている。
これは今年の正月、初詣で賑わう深大寺の本堂
山門は300年以前、江戸元禄時代の普請とか
深大寺の周辺は緑が豊かで、湧水は今でも豊富である。かつてこの地域では豊富な水量を利用して水車による精米や製粉が盛んに行われたそうだ。現在そうした地域の伝統や文化を継承しようとする活動が行われているが、写真左下はつい先日復元建造した水車である。今や水車を作れる匠は日本ではもう一人か二人で、この水車はその匠により建造された、と新聞で紹介された。
また、右上の写真は今では蕎麦茶屋の「動く看板」になっている水車で、そば粉を挽く現役は退いたが、水苔をびっしり身にまとって回る姿はこの地区の歴史を語るモニュメントになっている。
この辺りを歩くと、あちこちでせせらぎの水音が聞こえてくるが、とても心地よい響きである。湧水が流れる水路は目の保養となり、憩いの場所を提供してくれる。
水路に生えるハナショウブ(花菖蒲) 水路脇の床几で寛ぎのひと時を過ごす
さて、深大寺と言えば、寺院そのものより「深大寺そば」を思い浮かべるのではないだろうか。
この地の蕎麦は江戸時代に始まったといわれるが、当時はまだ蕎麦は庶民には縁遠い食べ物だったそうだ。一説によると、江戸後期の文化人・太田蜀山人が深大寺そばを食べて宣伝したため文人・墨客に愛されるようになり、「江戸名所図会」にも紹介されて知られるようになったらしい。
ただ、現在のように門前の名物として広まったのは神代植物園が開園(昭和36年)してからのことだそうで、今門前界隈のマップで見ると20を越える蕎麦屋を数えることができる。
石畳の参道に溶け込むように蕎麦屋が並ぶ 中庭の池を眺め、落ち着いた雰囲気で食事を
風情満点の蕎麦処、私の気に入りだが値段はお高い
さて、最後はそばの花。
深大寺では今でもそばを栽培して、そば粉をつくり蕎麦を打つ伝統の行事がある。このことは時折、新聞やテレビで紹介されることがあるが、この地区では「蕎麦の町」にふさわしいようにと、そば畑を作ってそばを栽培していることは余り知られていない。もちろん、界隈の蕎麦屋の需要を賄うような量はできない。一種の「町起し」であろう。
図鑑によると、そばはタデ科ソバ属の一年草とある。春播きの夏そばと夏播きの秋そばがあって、昨日はたまたま夏そばの花盛りにめぐり会うことができた。
写真は、左がそば畑の看板。深大寺そば組合が深大寺城址で栽培しているものである。一方中の写真は深大寺小学校の児童が環境美化運動の一環として栽培しているそばの花、右はそのクローズアップである。花は直径5ミリ程度だが、よく見ると可憐な花である。そばの花は何度も見たが、こうしてクローズアップして見たのは初めてのことだ。