フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

やって来た花粉症/三津五郎の死と歌舞伎

2015-02-27 18:52:32 | 日記

   今年も花粉症の季節がやって来た。私の花粉症はいつも春一番の風に乗ってやって来る。先日報じられた春一番の便りは東京地方も該当したのかどうか知らないけれど、神代植物園を歩いたら目と鼻にテキメンである。毎年律儀なものだ。その神代植物園でもどんどん春がやって来ている。

   
梅園のウメが咲き揃って来た  異種のツバキの枝が交錯か フクジュソウの撮影スタイル

 

   歌舞伎の坂東三津五郎さんが亡くなった。歌舞伎の殿堂である歌舞伎座の建て替えが成って一昨年の4月にやっとこけら落としがあったばかりなのに、中村勘三郎や市川団十郎などとともにその舞台を飾るべき名優が相次いで逝ってしまった。私は歌舞伎に詳しくないのだが、三津五郎はキッチリした端正な芸風や踊りの名手として人気が高かったのだそうだ。その告別式があった25日、私はたまたま歌舞伎座の「二月大歌舞伎」の公演を見に出かけた。いつもの知人のお誘いである。翌日のネットニュースで知ったのだが、喪主であった長男の巳之助はこの日の舞台を休まずに出演した。それは別にして今回は招待側が解説のイヤホンを付けてくれたので、大変分かり易かった。よく劇場で有料のイヤホンを見かけるが、外国人でなくともこれは便利だと思った次第。

          
             来場客で賑わう歌舞伎座正面    出演者と演目の掲示

  

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#28-キャンパス周辺

   経貿学院のキャンパス内の紹介に続いてキャンパスの周辺の姿を少々。
   ①は正門の内側から外を見た所。青いバスが止まっているが、2つのバス路線が正門前を終点・始発としていて外出には足の便がよかった。その奥には新築のマンションが建ち並んでいる。  ②はマンションと並んで、市街地には見られない別荘のような戸建て住居が続々できていた。バブルを思わせる建物だ。  ③正門前の道には学生相手の露店が並ぶ。小吃(シャオチー)と呼ばれる立ち食いするような食べ物が主で雑貨なども売っていた。いつも縁日みたいだ。  ④中国茶の問屋が集まっている茶市場。濰坊市は中国茶の集積地になっていて、100軒近くの茶問屋があった。中国は日本より飲茶が盛んで、茶葉の産地や製茶方法によって種類は何百とある。私も日本への土産にここでお茶を買った。  ⑤市の中心を流れる「白浪河」は学校のすぐ近くで堰き止められ「鳶都胡」という湖になっていて、学生や一般市民の憩いの場にもなっている。長さ150mくらいの堰には中国的な建物が建ち、レストランもできていた。  ⑥白浪河沿いには遊歩道が整備されており、よく鳶都胡畔から散歩したり、歩いて買い物にも出かけた。 ⑦学園の市街方面には広大な開発地が広がっていた。レンガ造りの古い家並みが取り壊され茶市場の拡張とマンション建設が行われるようだ。  ⑧その完成の姿の図が現場に掲示してあったが、私が3年後に学校を訪ねた時には見事に変容していた。

 

  
             ①               ②              ③                ④

  
       ⑤                ⑥              ⑦               ⑧

 

 

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首相のヤジ/中国人旅行客の爆買い 

2015-02-24 12:10:50 | 日記

   安倍首相の衆議院予算委員会でのヤジが話題になっている。NHKやネットで生中継されていた国会でのことで、私は見ていなかったのだが新聞によると民主党の議員から西川農水大臣の違法献金疑惑を追及されている時に安倍総理が自分の席から「日教組!」「日教組どうする!」などとヤジを飛ばしたというのである。しまいには予算委員長から静粛にするようたしなめられたという。まあ痛いところを突かれて逆上したのだろうが、それにしても一国の総理とあろう者が見苦しいことだ。”ヤジは議会の華”と言われるそうだが、先には都議会で独身女性議員に複数の議員からはしたないセクハラ野次がひんしゅくを買ったばかりで、総理も彼らの同類項ということなのだろうか。(西川大臣はその後辞任) 

   もう一つの話題の中国人旅行者の「爆買い」。春節の大型連休を利用して日本に買い物ツアーが大挙押しかけ、日本製品をまとめ買いして行くのだそうだ。円安を背景に韓国人観光客も大幅増になっているようだが、一人あたりの買い物額はケタが違うという。銀座ではツアーのバスの列ができ、大型量販店には家電やカメラのコーナーに品定めの客が殺到しているという。よく買われる定番品がカメラ・ビデオカメラ・時計など。家電では炊飯器や電子レンジなど持ち帰ることのできる製品が人気の的だそうだ。「日本製品は有名だし、品質がよく信頼できる。おまけに中国で買うよりも安い」という。テレビには炊飯器などを両手に抱えて歩く中国人旅行客の姿がよく映し出される。大都市ではコメのご飯がよく食べられるようになり、それには機能性の高い日本の炊飯器が一番なのだそうで、知り合いの分まで買って行くとのこと。またトイレの文化が遅れている中国では温水洗浄便座が高所得層のステータスになるそうで、日本では考えられない人気になっているとか。
   ドラッグストアの店内は薬や化粧品などでいっぱいになった買い物かごを両手にした旅行者らがごった返しているとの記事では、1年以上前、会社の出張で東京に来た中国の教え子を化粧品売り場に案内した時、買い物かご2つに次々品物を放り込んでいた姿を思い出した。

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#27-经贸学院のキャンパス風景

  
経貿学院のキャンパスについてはこれまでにも取り上げて来たが、まだ多くを紹介するには至っていないので、以下写真でキャンパス風景を紹介する。

①正門を入ってすぐのところにある”弓形門”と呼ばれるアーチ型のバルーン。市中でもイベントなどの広告塔として見受けられるが、学内では新入生歓迎など節目の時に掲げられる。高さは10メートルほどあり、写真は9月の「教師節」の時のもので、「祝日おめでとう 敬愛なる先生たち」とある。  ②総合図書館。入館するには登録してある磁気カードが必要。日本関係の図書のコーナーもあった。  ③前に一度登場した学生寮エリア。建物は男女別になっている。  ④女子寮の一つ。女子寮には舎監(監督者)がいて門眼や夜間の在室をチェックしている。そのため私の宿舎を訪ねて来る学生も門限近くになると飛んで帰って行った。  ⑤正門に続くメインストリート。他にも小さな門はあるが学校への出入りは普通ここを通る。  ⑥大勢の学生が行き交うキャンパス中心部。後方の建物は「教学楼」と呼ばれる講義棟。  ⑦スズカケの並木道。あまり学生が通らない所だ。  ⑧芝生や蓮池、藤棚などのある公園。 学生たちの憩いの場である。  ⑨中国人が珍重する奇岩(北京の有名な庭園でよく見かけた)のモニュメント。よく見ると岩峰の光景に見立てた細工がしてある。  ⑩人工芝のグランド。外周のトラックとサッカーもできるフィールドなどがあるが、サッカーは盛んではなかった。写真は女子の体育の授業。  

   
           ①               ②               ③                ④

   
         ⑤                   ⑥                   ⑦

     
         ⑧                   ⑨                   ⑩

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小学校で餅つき会/もうすぐカワヅザクラが

2015-02-21 18:50:45 | 日記

   土曜の今日、最寄りの小学校で卒業する6年生を送る餅つき会があった。学校、PTAおよび我々地域の青少年の健全育成に向けて活動する団体との共催で、恒例の行事になっているのだが私は初参加であった。
   前日より準備をして体育館で朝から餅をつき始める。大きな蒸し器に4段重ねのセイロでもち米を蒸し、始めは餅つき器でついたもので紅白の丸餅をつくった。生徒や先生方約200人分の量だ。体育館のステージで地元お囃子社中の奏上披露があった後、6年生全員に餅つき体験をしてもらった。まずお父さんたちにより模範の実演を見せた。そしてお父さん方に教えてもらいながら、6年生が代わる代わる”初めての”餅つきを経験した。生徒は戸惑いながらも終ると嬉しそうな顔をしていたが、保護者の方は夢中で息子娘の姿を写真に納めていた。こうしてつき上がった餅をきな粉餅やホウレンソウのお浸し和えにし、紅白餅に添えて生徒や先生方に贈った。
 
【下写真】 ①もち米蒸しはお父さんたちの仕事。蒸し器上のセイロからは白い蒸気が吹き上がる。 ②ついた餅を丸めるのはお母さんたちの仕事。まだ熱々の餅を手早く丸めて行く。 ③お父さんによる餅つきの模範実演。太い杵での1人づきと細い杵の3人づきを披露した。 ④いよいよ6年生の登場。用意した子供用の杵での2人づきだ。貴重な経験が思い出に残ることだろう。

    
       ①              ②                ④                ⑤

   餅つき会の後帰宅してから、井の頭公園のサクラ(桜)の様子を見に行ってみた。サクラと言ってもカワヅザクラ(河津桜)カンヒザクラ(寒緋桜)などの早咲き種であるが、カワズザクラ(写真左)はもう開花寸前、あと数日で花が見られそうだ。カンヒザクラ(写真右)やオオカンザクラ(大寒桜)はまだ蕾の状態であった。

        


[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#26-まだ残っていた古い街の顔

   前号に紹介された濰坊市の光景は近代化された街の顔と言ってよい。急速な経済発展に伴う市街区の変貌は著しいが、ちょっと町外れに行けばまだ古い街の顔がそこ・ここに残っていた。下の写真は経貿学院から歩いて行けるような範囲で見られた姿である。ただこうした光景はどんどん変わってもいる。たちまちマンション群ができたり、道路が通ったりしているのだ。前号にも書いたが、そういう建設スピードは日本では考えられない速さである。何しろ土地の私有ができないお国だ。土地の買収に手間がかかるなんていうことはない。それと安全思想が遅れているからとにかく建物も道路も猛スピードで出来上がる。この写真から5,6年経った今、光景はかなり変わっているものと思われる。 

      
    ①タイムスリップしたような町外れ  ②レンガ造りの家並み   ③住居の門に来福の「対聯」  

    
 ④昔ながらの個人商店      ⑤三輪車はまだまだ活躍中だ ⑥馬でコンクリ製の電柱を引く光景

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春節=中国の正月/初めて文楽を観る

2015-02-19 23:28:37 | 日記

   今日2月19日は中国の正月にあたる「春節」である。日本では”旧正月”に当りまだ新年の祝いをする地方も残っているが、もう死語に近くなっている(と東京育ちの私には思えるのだが・・・)。 春節は中国で一年最大の祭日にしてその賑やかさは、どちらかというと静かに過ごす日本の正月とは比ぶべくもない。学校もこの時期は前期・後期の間の冬休みなので、経貿学院で教鞭を執っていた時は日本に一時帰国をしていて、私は残念ながら春節を経験したことがない。昨夜は教え子を主に約40人に年賀のメールを送ったところ、一日で8割から返礼の祝賀メールが返って来て楽しかった。

   今日、国立劇場(の小劇場)の文楽を観に行った。いわゆる人形浄瑠璃である。よく歌舞伎に誘ってくれる知人の招待というか、文化庁職員で現在国立劇場に勤めておられるお嬢さんからのチケットなのだが、文楽は生涯で初めての経験であった。このところ毎年歌舞伎と能・狂言の舞台を観させてもらっているが、正直言ってセリフが聞き取れずにストーリーが十分に理解し切れない。ところがこの文楽では舞台両サイドに字幕が出るので実によく分かった。これは古典芸能の新しい試みなのだろうか、いいことだと思う。
   初めて観た者が知ったようなことを言えないが、文楽は歌舞伎、能・狂言と同様男だけで演じられる。語りをする太夫、三味線そして人形遣いによる三位一体の演芸で、一体の人形を3人が操り、首と左手を操る1人以外は黒衣姿をしている。スター役者のいる歌舞伎と違って若い観客は皆無であった。

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#25-濰坊の街の点景 

   既に紹介しているように、山東省は日本の国土の4割の広さに人口は日本の75%の9,580万人、その中の濰坊市は岩手県ほどの広さで、人口は東京都の7割の910万人とある。「市」とは言っても濰坊市の中に区(4つ)と県(2つ)と県級市(6つ)があり、日本の市とは概念が違う。私が滞在していたのは、濰坊市の中心になる区部であり、以下写真に沿って紹介するのはその限られた範囲に過ぎない。

①は濰坊市全体の表玄関である濰坊駅。学校までは歩いて15分くらいで、新幹線の開通・停車に合わせても瀟洒な建物に生まれ変わった。  ②は都心部で、左側の高層の建物(濰坊国際金融ビル)が当市のランドマークになっている。 ③発展著しい市内には新しい商業施設が次々と出来ていた。その一つでデパートを始めとするショッピング街で、上海の一角を思わせる雰囲気があった所。 ④繁華街は夜もネオンが明るく賑わいを見せている。 ⑤中世時代の市街地の建造物「十忽園」。当時の繁栄や建築様式が偲ばれる。(3年生のリー君にガイドをしてもらって見物) ⑥幹線道路(これは経貿学院に繋がる道)は日本でいうドロヤナギの街路樹が整備されていた。 ⑦「人民公園」という市街地の公園で、東京の日比谷公園より広く、池や木々の緑が市民の憩いの場となっている。学校からも20分くらいで学生たちともよく散歩をした。 ⑧「白浪河」という大きな川が市の中心部を貫いている。流れは緩やかでボート乗り場が幾つかあった。 ⑨中国の経済発展を反映して市内ではマンションや大型商業施設が建設ラッシュ、というか加熱気味であった。しかも工事スピードが速い。日本のような安全重視の思想がないようだった。  

    
   ①濰坊市の玄関 潍坊駅      ②濰坊の都心部          ③新しい商業地区

           
      ④夜も賑やかな繁華街   ⑤中世時代の古跡が残る  ⑥街路樹も美しい幹線道路

       
    ⑦市民憩いの場人民公園  ⑧街の中央を流れる白浪河 ⑨マンションの建設ラッシュ中

 

 

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時間はやってくるもの/房総勝浦に

2015-02-16 18:59:42 | 日記

   朝日新聞の土曜版で映画「時をかける少女」が取り上げられた。 32年前のヒット作なのだが、その中で次のようなセリフが紹介されている。
   (主役の原田知世演ずる)和子が(高柳良一演ずる)深町に言う。 「どうして時間は過ぎていくの?」。すると深町は答える。 「いや、時間はやってくるものなんだ」
   そうか、時間はやって来るものなのか。私もふと考えた。私の一生でもう70年が過ぎ去った。これはもう取り返しようがない。しかしこれからやって来る時間(5年なのか10年なのか知らないが)は私自身が作るものだと。このセリフは一時の警句ではなく、ずっと心に留めて置きたい。いいことを教えてもらった。

   昨日から今日にかけて家内と大手業者の会員制リゾートマンションの体験宿泊に出かけた。業者から招待を受けたもので、場所は千葉・房総半島の勝浦の高台に建つホテルに併設された施設であった。個人の別荘と違って会員制なので取得額はわずかで、固定資産税もかからないしメンテも不要。しかも会社が持つ全国のリゾート地の施設が利用できる、という利点が”売り”だ。今回の勝浦のマンションは偶然にも昨年11月に親しい知人との懇親旅行で利用した箱根の施設と同じ会社のもので、立地の良さやホテル並みのサービスと快適さなど満足度の高いものだった。確かに別荘を個人所有するよりずっと良い仕組みではある。ただ、会員権は30年有効というものの70歳になった私が実際に利用できる年数を考えると、ホテルを利用した方がコスト的には割安だし自由な計画もできると考え、入会の方はお断りした。 
   今日はポカポカ陽気の中、房総半島の南岸沿いをドライブしながら帰京した。

  
勝浦の街の遠景。右端が宿泊した所     海岸の夕映え       日本三大朝市の一つという勝浦朝市 

 

 

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#24-濰坊市の買い物

   前号では日常の食事材料など日本のスーパー、ジャスコでの買い物について紹介したが、その他の濰坊での買い物について書いてみたい。
   濰坊市内には大型スーパーやデパートが数多くあった。またパソコンや携帯、デジカメなどの電子機器や家具などの専門の大型ビルや個人商店、果ては道端の露店など実に様々で、買わなくても見て歩きが楽しかった。その中でジャスコに次いでよく買い物をしたのが「小商品城」というショッピングセンター。「小商品」とは日用雑貨のこと。地上4階地下1階の長い建物の中に、間口1~2間くらいの小さな商店がびっしり並んでいる【写真①】。  衣料品を始め日用雑貨、靴・鞄、時計、文具、化粧品など東京上野のアメヤ横丁を思わせる。ジャスコに比べると値段はずっと安い。スーパーやデパートなど会社組織の店は定価が明示してあって決して値引きはしないが、こういう所はほとんど値札がなくて交渉で値決めをする。買い手から「多少銭(いくら)?」と聞いたり、店の方から「幾らにしておくよ」と持ちかけたりして交渉。日本人の私など店の言い値を聞いただけで「安い」と思うのだが、はったりのつもりで6掛け(4割引き)くらいで吹っかけて、結果7~8掛けで買い、得した気分になった。だが後で学生に値段を話すと、「先生、それは高い。日本人だから騙してるよ」と言われる。小商品城では店の言い値の半額くらいにはなると言うのだ。まあ、私などは”いいカモ”だったかもしれないが、それでも安かった。
   デパートは「濰坊百貨店」【写真②】や「銀座商城」【写真③】など市街中心部だけでも5,6店あった。どこも中はきれいで、やはりスーパーとは品も違った。デパートでの買い物は品定めをしたらキャッシャーに行ってお金を払い、その領収書を持って品物を受け取るのである。
   大型スーパーは日本の「ジャスコ」やフランスの大手「カルフール」を含めてあちこちにあった。これらスーパーではバッグや袋物は店内に持ち込めず、入口でロッカーに入れなければならない。万引き防止のためだろう。買い物カゴに品物を入れ、レジで精算するのは日本と同じだ。日本と違うところは、野菜・果物や魚介類など量り売りする商品がかなりあって、これは計量所で値段票を付けてもらいレジで支払う。
   露天の多さは中国の風物詩だろうか。商店街の歩道や裏通りの路上は露天天国である。私有地がない国とはいえ、露天は違法のようであり、パトカーを見つけるやクモの子を散らすように露天商たちが逃げ去るのを見たことがある。私はそんな店で、日本で言えばお好み焼きや焼き鳥といった類のものを買い食いするのが楽しみでもあった。
   単身では自分で買い物をしなくてはならないが、家では主に家内が買い物をするので、こうした経験は新鮮だった。

 

     
①雑多なショッピングセンター「小商品城」 ②濰坊百貨店              ③銀座商城

     
  ④デパートの売り場光景       ⑤大型スーパーの前の駐輪場   ⑥至る所に出ている露天
 

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