フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

知床半島の観光船事故/スマホのソフト設定の手伝いに上京した中国での教え子

2022-04-26 15:35:24 | 日記

   23日午後に救助要請を発した後行方不明になっている北海道知床半島の観光船。それから3日経った現在も陸・海双方からの懸命な捜索にも拘わらず、依然として船は消息不明のままである。その間連日、朝・夕の新聞の一面トップで報じられ、各テレビ局もこぞって時間を割いての報道が続いており、毎日あれほど報道されている「ウクライナ情勢」は『一時休戦状況』の趣となっている。
   乗員2名、乗客24人の内、今日現在時点では11人の死者が確認され、なお15人の消息が不明となっているが、生存の可能性は極めて低いと思われる。

   今回の事故は、陸路での観察が出来ない知床半島の自然を船上から観察するものだが、半島の地形や厳しい気象条件などで運航には操船技術や気象判断などで相当の経験を要するといわれており、地元漁師や同業の観光船関係者から見た今回の運航には大きな疑問があるようだ。 事故を起こした観光船会社についての評判も、同社を買い取って就任した社長の経験や知識の浅さ、ベテラン従業員の解雇、安全運航より利益重視の方針など ・・・報道されている限りでは、同業の観光業者や地元漁師などからは事故前から厳しい視線が向けられていたようである。乗船客の関係者集会に於ける運航会社の説明には全く誠意が見られないとも報道されていて、何ともやりきれない事故である。


   私はひと月前に買い替えたスマホのアプリケーションの設定や移行に、現在まだうろたえている。前回家電量販店で機種変更した時はほとんど量販店で、一部をドコモシップョでアプリ設定をしてもらったのだが、今回はキャンペーンで端末を安く手に入れたため、そうしたサービスは一切なく、先ずはドコモショップで有料にて初期設定や必要なアプリのデータ移行をしてもらった。しかし、自分がやらなくてはならない設定やデータ移行がいっぱいあり、おまけに現在最も利用しているアプリであるLINEのチャットのデータが全て消失するというショップ側の手落ちがあってショックを受けた。こうしたスキルに全く疎い私は重たい荷物をしょったまま鬱陶しいことこの上ないのだ。
   何としてでも再設定したいものでLINEの中国版に当たるWeChatというアプリがあるのだが、これは日本の業者ではやってくれない。一人で苦戦しているところへ、現在日本の会社で仕事をしている中国の教え子が助太刀してくれることになったのだが、「かゆい所に手が届かない」というのかLINEや電話での指示では難しいところがあり、何と彼がそのためにわざわざ東京に出て来てくれた。最後の一部を残して一応基本的な設定ができたのだが、それがまた遠隔で指図を受けながらの作業を残していて戸惑っているところである。




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胸躍る大谷選手の投打二刀流/2試合連続完全試合の大偉業を見送った監督の英断=2年前の未投稿記事から

2022-04-22 15:49:05 | 日記

   投打二刀流の大リーグ大谷翔平選手。今シーズン序盤は投打ともまだ満足のいく数字を残していないが、昨日(日本時間21日)のアストロズ戦では目を見張る二刀流の活躍をしてファンを安心させた。
   1回表の先頭打者としてフォアボールで出塁、そのイニングに2回目の打席が回って左翼フェンス直撃の2塁打で走者2人を還した。先発投手が登板前に2回も打席に立つというのは草野球でしか見られない光景であろう。
   いよいよマウンドに上がるや、5回までパーフェクト・ピッチング。6回に1安打1四球を許して、7回から交代をしたが6イニングで12三振とこれだけでも凄い。
   ところで6回の登板の時、大谷投手はセットポジションで息を整える表情をしていた。その直前の打席でバントヒットを狙い1塁に全力で駆け込み(結果は安打)、それが疲労蓄積の一つになったと私は感じたが、監督も予定投球数より少な目で交代をさせた。
   しかし、投手として完璧、打者としても長打で2打点、そして走ってバントヒット・・・もう「投打の二刀流」だけの大谷選手ではない。出塁すると果敢に盗塁も試みるし「投走打の三刀流」というべき大谷選手ではなかろうか。
    

   さて、佐々木朗希投手の「あわや2試合連続の完全試合か」という試合で、パーフェクトのまま9回に交代をさせた監督の采配についての賛否分かれる中、その少し前の購読紙(朝日)にこう載っていた、と私は書いた。「佐々木選手の母校大船渡高校が甲子園出場がかかる岩手大会の決勝戦に、監督はそれまでに疲労が蓄積している佐々木選手を登板させずに花巻東に敗退した。それは自校の甲子園出場のために野球界の逸材となる選手をここで故障させてはならないという監督の判断だった」
   だがそれは私の勘違いで、2年も前の記事だと分かり、しかもそれをブログに書いたものを「投稿」ではなく「下書き」として処理してしまったことが今日分かった。

    これを下書きのままボツにしてしまうのも惜しまれたので、2年前の投稿予定記事を敢えて投稿させていただく。但しちょっと長いので少々端折らせていただくこととした。

 『昨年(2019年のこと)100回の記念大会があった全国高校野球選手権。今年も現在地方大会が続いており、続々と甲子園出場校が名乗りを上げているところだが、今大会で最大の見どころとされていた佐々木朗希投手擁する大船渡高校が岩手県大会決勝戦で敗れて甲子園出場の夢が断たれた。
   大谷翔平や菊池雄星古くは松坂大輔らと比較される”令和の怪物”、最速163キロの剛球で高校野球ファンだけでなく野球専門家の間でも甲子園での活躍が期待されていたが、肩などの疲労を考慮して国保監督は最も大事な試合での登板を見送った。
   これについては「折角の甲子園行きを無にし、選手たちの夢を砕いた」という非難の声が上がったが、私はすごい英断だと思った。「佐々木投手は単なる大船渡高校のエースではない。日本の野球界の逸材であり、母校のために踏ん張って肩を壊し球界の損失にしてはならない」という意志がある。大した英断である。普通なら甲子園に出場して佐々木投手を中心にして甲子園を沸かし、故郷に錦を飾りたいであろう。そこをグッとこらえて、佐々木投手抜きでのチーム力で決勝に臨んだのだ。
   この英断の反例として私の脳裏に浮かんだのが、星稜高校の4番松井秀喜を5打席全敬遠とした明徳義塾の監督である。甲子園史に残る”愚策”だ。この大会の主役というかファンの関心事は松井選手であった。それが我がチームの勝利だけの策略として、松井選手に全く打つチャンスを与えず甲子園ファンの嘆息を買った。スタンドからグランドに物が投げらるという甲子園球場にはふさわしくない光景がまだ記憶に残る。高校野球史として長く残る二つの監督采配であろう。』

 

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「うぶな生娘を騙して牛丼中毒にする」凄い言葉だねえ/牛丼の思い出を語る

2022-04-20 10:44:58 | 日記

    今、頭書のセリフがメディアを賑わせている。牛丼チェーンの草分け「吉野家」のお偉いさんが「 田舎から出て来た右も左も分からない若い女の子を、うぶな生娘なうちに牛丼中毒にする」という作戦を『生娘シャブ漬け作戦』として披露した・・・と大きく報道され、お偉いさんが首になった。首になったのは「マーケティングのプロ」と称され、前の大きな会社でも専門家として腕を振るうなどその世界では名の通ったったお方らしい。因みにシャブとは麻薬等の薬物の隠語である。
   「マーケティングのプロ」がとんでもない饒舌で会社の品位を貶(おとし)めることになった。しかもその舞台は天下の早稲田大学で開かれていた社会人向けマーケテイング講座の初日だったそうで、講座そのものにも泥を塗った形である。「語るに落ちる」というのか「上手の手から水が漏れる」方なのか知らないが、それにしてもお下品な作戦でした。


    思わぬ形でスポットライトが当たって、「吉野家」に関する思い出が脳に浮かんで来た。今でこそ人通りの多い道で周囲を見回して牛丼チェーン店の見当たらない街はないが、私が30代の頃(というと40年も前)は牛丼チェーン店などほとんどなく、会社のあった新橋の駅前店が当時の吉野家の旗艦店であった。        待ち合わせ場所として有名な「SL広場」に面した、客席20くらいの店舗であった。毎日その前を通って通勤していたが、ほとんど入ることがなかった。ファーストフードとして昼飯を食べる時はすぐ近くのガード下にあった個人店に入った。カウンターを囲む10席くらいの店で、目の前で若い店長が体をリズミカルに動かして手際よくさっと牛丼が出て来る。その体の動きと手際が妙に楽しかった。吉野家の方は、退社後親友と待ち合わせの時に、牛皿でビールを1本ずつ飲んですぐ店替えをするといった利用くらいであった。
   その後の牛丼屋の展開ぶりは私が語るまでもない。というか、私は地方(九州)転勤が続いていて余り知らないと言った方がよい。九州勤務の時の強い思い出が一つある。勤務地の駅前の通りに「肉めし」屋さんがあった。牛丼は「牛めし」と呼ぶことはあるが「肉めし」ってちょっと違和感が湧く。まあ名前の通りなので、気取っていないところがいいのかも知れない。
   中国での話をちょっと。今や世界に広がった牛丼チェーンだが、日本語教師として14年前に北京に赴いた時は目につくほどの店舗は無かった。だが、ある時生徒(中学を卒業して日本の高校受験に備えている期間)を食事に誘って希望を聞いたら「吉野家の牛丼」と言うので早速出かけて行って、海外で初めて牛丼を食べた。日本円に換算すれ日本並みの値段だったが、中国元にするとかなり高かった。
   その後中国には再々出かけたが、大きな街に牛丼店は珍しくなくなった。「牛丼文化」とでも言えそうだ。
下の写真は北京南駅(新幹線発着の基点)の地下プロムナードにある吉野家の大店舗

   

   


   

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ジェットコースターの気温変化/大谷選手、やっとホームラン/経過観察続く糖尿病治療

2022-04-16 21:09:04 | 日記

   3日間夏日が続いたと思ったら、今度は冬に逆戻りを思わすような冷雨の2日となった。何なんだこの変わり様は?  よくアップダウンの激しいことを「ジェットコースターのような」と言うが、そんな空模様に戸惑う。夏日に学校安全見守り当番に就いた時の控室の温度計は30℃を指していたとブログの前号に書いたところだが、その2日後の冬戻りの日では14℃であった。何と16度の温度差である。外出時の着る物に戸惑った方も多かったものと思う。


   大リーグ野球の開幕後、大谷選手の投打の不振が心配になっていた。投の方では開幕戦及び2回目の登板でいずれも敗戦、打の方では7試合期待の快音が聞かれなかった。昨年の目を見張る活躍から、各チームとも徹底的に大谷対策を練ってはいることと思うが、日本時間の今日(16日)、8戦目にして先頭打者ホームラン、3打席目でも第2号を放って少し不安が解消したところである。日本から新規に大リーグ参戦した鈴木誠也選手が既に3本塁打と華々しくデビューしており、大リーグ・ファンもこれから二人の活躍が一層興味を高めることだろう。


   大谷選手の今シーズン1号ホームランのニュースは医院の待合室でスマホを見て知った。糖尿病診断の経過観察下にあることは先月ブログにアップした通り、市の高齢者健診で数年前から「糖尿病要医療」の診断を受けていたものを抵抗し続けて来たが、高血圧でかかりつけの医師の勧め(というより命令に近い)で昨年8月から専門医で診てもらっている。今日はその5回目の診断で来ていたのだ。その間こちらも成り行き任せではなくそれなりに投薬治療を免れるべく努めていて、今回も更に経過観察を続けることと相成った。

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新聞投書欄の「転勤」に思う/夏日の学校安全当番

2022-04-13 15:11:55 | 日記

   今朝(13日)の朝日新聞『声』の欄に「転勤」というテーマでの投書が載っていた。私も会社員生活40年の中で、初任地である大分県の工場への赴任を含めて7回の転勤と10回の転居を繰り返したので、色々なことが思い浮びつつ投書に見入った。
   
   投稿記事の中のAさんは、日本国内11回の転勤と15回の引っ越しをしたが単身赴任はほとんどせずに家族と共に転居した。大震災後の仙台では人々の様々な思いに触れて「転勤はいいことばかりではないが、仕事以外の多くのことを学んだ」と結んでいた。
   Bさんは部下と口げんかをしたことで山間部の街に”左遷”され、家族4人で赴任をしたが、そこでの3年間は人生でのオアシスのような時期だった。「転勤に功罪はあれど素晴らしい思い出をつくることが出来た」という。
   女性の投書者Cさんは父親が転勤族で小学校を4回転校し、長じて公務員となってから自身の転勤で7年間に4回の単身赴任をした。その経験からいうと「単身赴任の方が家族の負担が軽く、自分の新生活がスムーズに馴染むので(単身赴任で)家族のこれまでの生活を守ってほしい」と提言している。
 Dさんはキャリアー社員でもないのに単身生活が8年も続いている。配偶者は東京で自営業、子供も自宅通学しており、「子供との疎外感、二重生活の家計費、年老いた両親の世話や子供の面倒に奔走される配偶者の過重な負荷や自分の健康維持の限界」など、一刻も早く家族の元に戻りたいと深刻に訴えている。

   これらの例に限らず、転勤については色々なケースや受け止め方があるよう思う。私の場合は東京の生まれ育ちだったため社会人になるまでの友人は東京での知り合いがほとんどで、初任地の大分にはゆかりのある人は一人もいなかった。しかしまあ、旅行などで遠くに出かけるのが好きだったし、修学旅行を含めて北海道から四国や広島までは行ったことがあるものの九州には足を踏み入れたことがなかったので、大分に赴任が決まった時親兄弟は寂しく思ったらしいが、私自身は九州旅行の感覚でむしろ嬉しかったのだ。
   その後の転勤だが、3人の子供の学校の区切りのためと、進学受験を間近に控えて試験が終わるまでの期間、その2回家族の引っ越しを延ばした際に単身期間があったが、それ以外は家族帯同であった。
   東京本社から大分に転勤の際は京都・奈良・神戸を訪ねながら、逆に大分から東京に戻る時は宮崎・日向港~川崎港のフェリーに乗ってそれぞれ家族旅行方々赴任したことが懐かしい。単身赴任期間も特に不自由や苦労は感じなかった。
   

    今週週明けの月曜から今日水曜までの3日間は日中異常な暑さとなった。小学校の安全推進員メンバーの体調不良の代務と重なって昨日・今日の暑い中での当番になったが、控室内の温度計を見ると両日とも30℃を指していた。猛暑と言ってもいいくらいの大変な暑さに感じた。
   そうした中で校庭の八重桜が超満開となっており(写真左)、ツツジ(同中)やアセビなど開花が遅れ気味の花々がピッチを上げて咲き出した。また、とっくに花が散った梅の木には膨らんで来た実(写真右)が見える。これは目を凝らさないと気づきにくいが、可愛らしいものである。
   天気予報によると暑さの方は明日から逆戻りするようである。

 


  


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