フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

プロ野球が終る/研修旅行と韮山反射炉

2015-10-31 22:18:58 | 日記

   今年のプロ野球が終った。結果で言うと、パリーグのソフトバンクがレギュラー・シーズンもクライマックス・シリーズも日本シリーズも全く他を寄せ付けず独走・圧勝であった。最近何度も書いている通り、今のプロ野球には余り興味がなく、テレビ中継も見ない。正確に言うと、家内が観ているのが見えたりはするのだが・・・。新聞でもスポーツ欄をざっと見て、大きな話題(快記録とか惜しまれる引退とか)と日ハム大谷投手の記事に目を通すくらいである。 それでもソフトバンクの強さは断トツであったことくらいは分かっているし、賞賛をしたいと思う。前年優勝の秋山監督から工藤監督にバトンタッチしてからも横綱相撲を取り切った。記録は確認していないが優勝監督が変わっても続けて優勝したチームってこれまで無いんじゃないだろうか。

   ここに来て不本意にも風邪を引いてしまった。そんな時に一昨日から昨日にかけて、民生委員会の宿泊研修旅行にぶつかった。民生委員としての見聞を広める研修と委員同士の親睦を兼ねて毎年一回行われ行事で、早くからスケジュールは決まっていた。前夜早目に床に入ったものの症状の好転はせず、出発の朝はノドと口の中そして頭の芯が痛かった。それでも市役所前に待っている8時出発のバスに乗り込んだ。視察研修先は静岡県沼津市にある障害者支援施設で入所・通所による授産や社会復帰の為の就労支援、グループホームなどを運営する大規模な施設であった。入所者のための診療所や理髪所などが備わっていたのも感心した。
その晩の宿泊は修善寺温泉のホテル。総勢60名の懇親宴会の後、私は二次会を辞して部屋で床に伏した。翌日帰りの視察に「韮山反射炉」が入っていた。歴史の教科書で必ず習う日本の近代化技術の象徴の一つで、先般世界文化遺産にも登録されたものだ。それまで何度も耳目にした韮山反射炉だが見るのは初めて。実は私は”反射炉”の意味を知らなかった。、「国産の大砲を造るために建造された铁を溶かす溶炉」くらいな歴史知識であったが、今回「石炭を焚いた炎の熱が炉内の天井で反射して原料の鉄に熱が集中するように設計された溶炉」であることを知った。太陽光でも反射光を集中させるすごい高熱に達するのと似た原理なのだという。いやあ、この歳になって初めて知った次第で、体調は思わしくなかったが目からウロコの気分であった。 

        
   歴史で習うお馴染みの姿  桂川の流れに沿う修善寺温泉   朝、修善寺を参拝
  

[日本語教師の帰国後編]#8-佐野の2人に四季の行事を伝える

   前号で栃木県の佐野には20回ほど通ったと書いたが、よく行ったものである。ケイ・ショウロとトウ・セイの2人の休みが合うと大概出かけて行ったような気がする。せっかくの日本滞在である。日本語をブラッシュアップしてもらいたいことと併せて日本の四季や風習を体験して欲しかった。そして帰国後にその”良さ”を中国人の間に伝えてもらいたかった。元々ケイさんは経貿学院時代に最もよく私の宿舎に遊びに来てくれた学生だったので、その延長線上にいるような感覚もあった。てなこともあり2人には極力日本の四季の行事に触れさせた。

【写真説明】 ①初詣では人気のある佐野厄よけ大師にお参り。但し三が日という訳にはいかず、1週間ほど遅れになった ②佐野市郊外の梅林公園にて春の訪れを感じる  ③日本のサクラと花見は中国でもよく知られているが、これは上野公園での花見  ④小さな七夕飾りを作って部屋に飾った。因みに中国では現在7月7日を「情人節(恋人の日)」と呼んでいる。年に一度恋人に会える日だから  ⑤佐野市郊外の唐沢山で紅葉狩り。戦国時代の城の石垣が残る古跡である ⑥クリスマス・イブのコスプレ ⑦キャンドル・ナイトにワインで乾杯
私はしてあげられなかったが正月は2人揃って会社の同僚(日本人)宅に招かれ、年越しと元旦のご馳走や紅白歌合戦を体験したとのことで嬉しかった。 

      
         
 ①                 ②                  ③

   
   
   ④                ⑤                ⑥                 ⑦

 

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傾きマンション続き/南シナ海の緊迫/型破りな歌舞伎

2015-10-28 13:09:10 | 日記

   前号で工事データ偽装の結果傾いたマンションをマスコミでは「傾斜マンション」と呼んでいることに対して、ニュアンスが違う、「傾きマンション」だろうと書いたところ、その後「傾きマンション」の字を目にするようになった。それにしても、この工事監督者が関わったマンション建設が41棟あるので詳しく検査をし直すとか、横浜の当該マンションについては同時に建てた他の3棟も含めて買い取りや建て直しのための諸費用を全て売り主側が負担するなどの申し出を入居者にしているようだ。1人の不心得者による被害や影響は膨大なものになりそうだ。 

   中国が主張する南シナ海の領海権を巡って、これをよしとしないアメリカが強行な艦船航行に打って出た。南シナ海の南沙諸島は元々中国のほかベトナム、フィリピンなどが実効支配している島が多く、それぞれが領海権を主張している海域であるが、最近中国が満潮時には海面下に沈む暗礁を埋め立てて建物や滑走路などを建造し、その周囲12カイリに領海権を主張している。国際法的には領海権が認められないとして、米国は中国の覇権主義を批判して来たが、いよいよ第7艦隊の艦船派遣を強行したものだ。目覚ましい経済成長で世界の大国にのし上がって来た中国の目に余る覇権主義の鼻をくじくのか、米中一触即発の緊張関係に発展するのか。新安保体制により、日本が米軍のために軍事出動する事態がないとも限らない。

   昨日は国立劇場の歌舞伎の観劇に出かけた。お嬢さんが国立劇場にお勤めの知人からのいつもながらお招きである。今回は少し余分にチケットをいただき、日頃コミュニティー活動を共にする知人とそのご家族にご案内した。
   演目は「伊勢音頭恋寝刃」の通し狂言で、中村梅玉や中村雁治郎などの出演であったが、これまでにない趣向で笑わせた。「追駆け」の場面では役者が客席に飛び入っての追っ駆け劇となり、ある時は役者が舞台から前の方の客につぶやいたりする型破り。200年以上も前の作なので当時からそういう演出があったとは考えられず、今様の観客サービスなのだろうと思う。伝統芸能と言えども時代に合わすところもあるのかなと思った次第である。

[日本語教師の帰国後編]#7-栃木県佐野を訪ねる

   6月上旬に栃木県佐野市の食品工場に赴任したケイ・ショウロとトウ・セイの2人。電話で無事着任の連絡を受けると、次の2人の休みの日に早速出かけた。後に自分の給料でパソコンを買うようになったが、この時点では携帯やパソコンを持たない2人との連絡方法は手紙か公衆電話しかなかった。
   仕事はセブンイレブン向けの弁当・惣菜や調理パンなどの製造で、365日操業。連休などの繁忙期にはシフト変えなどもあるが、各人は原則曜日指定の週休2日は恵まれた待遇と言える。中でケイさんが日・月の休み、トウさんが日・火の休みなので2人が休みの日曜に行くことが多かった。宿舎の寮は2階建て8部屋のアパートで、部屋は2ベッドの1K、トイレ・風呂は付いていた。ほかにも同じようなアパートがあるらしいが、このアパートでは全員山東省出身の中国人である。工場までは2キロほどだがマイクロバスで送迎してくれる由。
   私の自宅からは車で東北道経由1時間半くらい、電車では中央線-湘南快速-東武線乗換えで2時間強、徒歩を加えると2時間半以上かかる。おまけに車だと佐野周辺を乗って回るのに便利なのだが、昼の食事にビールが飲めないのと帰りに1人で運転していると眠くなるのが難点であった。結局2人が翌年の4月に帰国するまでの間に20回ほど佐野に通った。それとは別に東京に出て来てもらって何度か東京案内をした。それはまら後日紹介することにする。

【写真】 ①広大な敷地にブランド店が並ぶ佐野プレミアム・アウトレット  ②初詣で知られている佐野厄よけ大師に参拝  ③トウさん(奥)は料理が上手い  ④3人でよく食卓を囲んだ  ⑤町のシンボルの城山公園で  ⑥日本百名水の出流原弁天池  ⑦日本のトランプゲームを教える  ⑧市内のカラオケ店にて 

    
       ①                ②               ③                ④

    
       ⑤                ⑥               ⑦                ⑧

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傾きマンション/途中リタイア

2015-10-24 17:07:23 | 日記

   昨今のニュースはさながら不正マンション工事一色である。新聞のテレビ欄で報道番組のところを見ると軒並み「傾斜マンション」の字が躍っている。新聞記事は購読紙(朝日)以外は読んでいないが似たり寄ったりなのであろうと思う。責任は杭打ち工事を行った業者とその親会社旭化成のトップ、およびマンション販売をした業者とその親会社三井不動産のトップにまで及び、それぞれ謝罪会見や住民説明に追われている姿が報じられている。今、当該建物は「傾斜マンション」ろ呼ばれているのだが、どうもしっくりしない。私なら「傾きマンション」と呼ぶ。傾斜して造ったのではない。傾いちゃったのである。ニュアンスの違いがあると思う。  

   一昨日、新宿で毎月行われる飲み会に自宅(三鷹)から歩いて行ってみようと考えた。ネットの地図でルートを調べると距離は15キロほどである。関西淡路大地震があった時に「帰宅困難者」問題が惹起され、会社から自宅まで徒歩帰宅の体験のため、休日に自宅から日本橋まで約22キロを歩いたことがあるので自信があったのだが、あと4キロくらいでリタイアしてしまった。疲労というより足の付け根が痛み出したからだが、アスファルトないしはコンクリートの上を歩き続けたので足への衝撃がダメージとなって出たのである。年齢も71、無理はやめて最寄りの停留所からバスに乗ったのだが、バスってこんなに快適だとは思わなかった。いずれウォーキングに合った靴で東京駅まで歩きたいと思うのだが・・・。
 
【途中のスナップ写真】
  上段左は何の変哲もない自動車置き場。通りがかりにチラッと見たら、「88」のナンバー車が6台並んでいた。中・右の写真は左の3台と右の2台をそれぞれクローズアップしたもの。どうして6台も並んでいるのか分からないが、察するに「馬場(88)」社長のオーナー企業が所有する車なのではないか。
   下段左は玉川上水に架かっていたレンガ造りの風情のあるアーチ型橋。三鷹市と杉並区を結ぶ橋である。 同右は交通量の激しい国道20号(甲州街道)の道端に生えていたセイタカアワダチソウ。都心のこんな所にも生える生命力に驚く

     

          

 [日本語教師の帰国後編]#6-宇都宮へ

   日本研修生との交流で唯一教え子でない例外がいる。濰坊で知り合いのハク・シュウインさんから姪が宇都宮で研修中であることを聞いていた。ケイ・コウエンがその人で、ハクさんの仲立ちでメール交換が始まり、私の帰国後会うようになった。2011年3月、初めて宇都宮に行った時は難儀をした。ケイさんは研修生の規定で携帯を持っておらず、PCメールで私の乗る列車の到着時間を知らせて改札口で待ち合わすことにしたのだが、列車が遅れることになった。しかしこちらからは連絡のしようがない。やきもきしながら20分くらい遅れて宇都宮に着いたが、今度は私のSUICAが見つからない。どこを探してもないので改札の駅員に言って料金の精算とSUICA(5千円ほどの残額)の使用停止の手続きをした。やっとのこと、30分くらい遅れて改札を出たところで、お互いに初対面ながらそれと察して歩み寄った。ケイさんは2年前からカメラのレンズ組立工場で研修をしていて、残り1年の任期であった。その後は東京見物や花見などに案内をし、再度宇都宮を訪ねたのは帰国の直前になってからであった。ちょうど私の教え子たちと年恰好が一緒で、気立てもやさしく、帰国後も教え子同様の交流が続いている。 

       初めての対面           帰国を前に最後の食事を  

      
     ケイさん(左)と同僚のオウさん  やはり同僚のチョウさん(中)とウーさん(右)
   

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相次ぐ企業不正の発覚/公約と膏薬の張り替え

2015-10-21 09:59:10 | 日記

   VW、東洋ゴム、大手のマンション建設など、業界を代表する企業によるデータをごまかす不正が相次いで発覚している。いずれも「どうせバレやしない」という気持ちで行われている悪質な不正である。不正に「悪質」も「良質」もないもんだが、影響の及ぶ範囲がとてつもなく大きいことで共通している。
   VWはフォルクスワーゲン、世界トップクラスの自動車メーカーであるが米国の環境基準をクリアーできないエンジンを、検査する時だけそれをすり抜けるプログラムを仕組んでいたという。それにより基準に合格しない自動車1千万台以上が世界で走っているのだそうだ。
   東洋ゴムは、高層ビルなどの土台に使って地震の揺れを緩和する免震ゴムという装置のデータを捏造して製品を送り出していたという。検査通りにしていれば不合格品、つまり売れない不良品が大量に発生するので不合格品の検査値を偽ったことが発覚した後、今度は鉄道車両や船の振動を小さくする防振ゴムにも同様の検査値不正が明るみに出た。後者は前者の不正が発覚した後も続けられていたというのだ。
   今一番熱い話題になっているのが、販売が元三井不動産レジデンシャル、基礎工事施工業者が旭化成工業になる大型マンションの杭打ちのデータが偽装されていたこと。横浜市のマンションで隣りの棟と高さのズレが発生したことが住民からクレームが起きて発覚した。同時に建設した3棟を検査した結果、杭70本で83件のデータ偽装が明らかになった。旭化成工業が基礎工事を施工したマンションは全国に約3000棟あるという。今後どれだけの不正が判明するのか、また同社だけでなくこんな不正は他社でもあり得るのではないか疑心は募る。
   VWは明らかにトップも関与した不正、東洋ゴムは製造や品質管理部門で隠蔽、マンションの方は工事監督者のごまかしと思う。 話がちょっと遡るが東芝の不正経理も売上高や利益額という”データ”のごまかしであり、これは経済団体の要職に就きたい経営トップの欲望の成せるわざであった、と私は思っている。 いずれも消費者や世論の不信を買い、経営に大きな影を落とすことは間違いない。

   購読紙(朝日)の昨日、経済気象台という小さなコラム記事が面白かった。ともすれば見落としがちなコラムで、見出しは『「公約」と「膏薬」は』とあった。「GDP600兆円」などアベノミクス第ステージの「新しい3本の矢」についての論考で、では最初の3本の矢は一体どうなったのだと問う。そして言う。『「公約と膏薬は張り替えるほど効く」とはよく言ったものだ。以前の公約がきちんと実行されたのか見極める前に次に景気のいい公約を打ち出す。これが政治家が選挙に勝ち続ける秘訣、つまりボロが出る前に次の政策を打ち出して目先を変えることを続けて行くのだ』
   私もそう思った。先の「3本の矢」の総括もせず、早く安保法制議論から逃れるための”目くらましの3本の矢”と。
 

 [日本語教師の帰国後編]#5-3人娘(その2)

   前号の「3人娘」がやって来て、すぐ福岡での1ケ月の集中教育に入った。パソコンや携帯は日本に持ち込みが禁止されているので、この間は全く外界と隔絶され音信が遮断される。やっと日本に来てくれたもののしばらくはお互いに連絡は取れないのだ。そのことは予め分かっていたので、3人には中国を発つ前に私の住所と電話番号を教え、日本に着いたら手紙か公衆電話で連絡を寄こすように伝えておいた。そして最初の手紙が来た。彼女らは青島-下関航路で日本に入ったのだが、「遠くに日本の陸地が見えた時には、これが日本だ、先生のいる国だと感激した」とあった。嬉しい便りだ。その内に電話があり肉声も聞けた。教育中は手紙も禁じられているようなのだが、ダメもとで80円切手やテレホンカードを送ったところ彼女らのもとに届けられたという。こうして約6週間の間に何通かの手紙と電話のやり取りができた。日本の景色や食事が好きになった様子も伝わって来て安心した。そして6月上旬、ケイ・ショウロとトウ・セイの2人が栃木県佐野市に、ヨウ・ハイジエが1人で静岡市清水に赴任をした。
  
            清水の寮にて             佐野の寮にて

       
         ヨウ・ハイジエ(中)と同僚たち   ケイ・ショウロ(中)およびトウ・セイ(右)と 
      

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行事の秋

2015-10-18 17:35:08 | 日記

    秋たけなわ、行事真っ盛りのこの頃である。 
    昨日(土曜)正午からは勤めた会社のOB会。昨年も紹介したところであるが首都圏在住の退職者がメンバーの会で、現在私がその会長を勤めている。今年は首都圏のみならず北陸、関西、四国、九州からも出席があった。会員の高齢化が進んで出席者が減少傾向にある中で嬉しいことであった。
   いつもながらお元気な顔を見せてくれる80歳台の並みいる大先輩たち。かつてはずっと上の存在であったが今では懐かしく話が交わせるのは同じ会社で汗をかいたOB会のよいところ。会長の職は気が重いが和やかな裡に終わってほっとしている。

   それが終ってすぐ母校T大のホームカミングデーに駆けつけた。3年続けての連チャンである。お目当ては落語研究会による寄席。いつも最後の3,4席しか聴けないが芸達者が多く、皆実に上手い。今回も常連の出演者だが、本職の噺家としても十二分通じる実力者たちだった。

  今日は午前中、神代植物園恒例の秋のバラフェスタのコンサートを聴きに出かけた。女性奏者によるフルートとギターのコラボで、会場となるテラスはいっぱいの観客であったが、正直あまり上手いとは思えなかった。肝心のバラの花は春のバラフェスタ(5月)の方がずっと見応えがあるが、目に付く所に初めて見る品種が植えられていた。色のグラデーションが何とも言えず、隣りで見ていたご夫婦も歓声をあげていた。名札が付ついていたが品種名は覚えていない。そのすぐ近くには「これぞバラ」というような花が咲いていた。

   深大寺そばで昼食の後、最寄りのコミュニティー・センターのイベント「コミセン祭り」に出かけた。私も携っている地域活動グループの発表のほか、このセンターを利用しているいろいろな文化・スポーツサークルの発表や模擬店などが昨日から催されていた。天気にも恵まれて大勢の人出で賑わっていた。活動仲間が何人も運営に関わっている中、今年も私は参観するだけであった。

   帰宅すると、すぐ近くの幼稚園が運動会の最中。覗いてみたらこれから最後の競技の年中・年長組全員による紅白リレーが始まるところだったので最後のゴールまで観戦をした。幼稚園児の中にも駆けっこの速い子がいて、参観の保護者席が湧いていた。 

 

    
        芸達者揃いの落語研究会の皆さん         フルートとギターによるバラ・コンサート 

         
  色が魅惑的だった新種のバラ      幼稚園児の力走    コミセン祭りでのタップダンス・チーム  

 

       [日本語教師の帰国後編]は休みます

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