正月元日に発生した能登半島地震の記事が連日報じられているところであるが、地震の被害の大きさに加え気候的にも最も厳しい時期にあって、未だ安否の確認がとれなかったり、救助の手が及ばなかったり、生活に必要なインフラの復旧の見通しが立たなかったり、被災者たちの過酷な様相が日々伝って来る。

そんな中、2、3日前の新聞(朝日)に次のような記事が載っていた。
『八代亜紀さんが東日本大震災の1カ月半後、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市の小学校に設けられた避難所を訪問した。そして、避難所で厳しい生活をおくっていた被災者のためにと、自身の故郷である熊本・八代市の特産品である畳を贈った。畳の数は千枚を超える』と、彼女の人柄を偲ばせるものであった。

そして彼女は「畳製造者の皆さんの愛が詰まっていますから、ゆっくり休んでください」と被災者を労わり、体育館で寝ていた人たちは寝心地が一気に変わったと伝えられている。
八代さんが贈った畳は、今も石巻市役所の市長室に大切に飾られているそうだ。

私は八代亜紀さんが年末に亡くなったという新聞(1月9日付け)の記事を読んだ時、自分が彼女の生地である八代市に勤務したことがあり、そこで聞いた彼女のことは余り芳しい話ではなかった・・・とブログに書いたのだが、未だ成人もしていない時と同一視してはいけないと悟った次第である。
蛇足ではあるが、「畳が八代市の特産品」ということではなく「八代は畳表に使われるイ草の名産地」と言うのが適切かと思う。