北京で3ケ月の日本語教師生活を終えて帰国し、2日ほどはのんびりする間もなく不在中の郵便物に目を通し、取り急ぎその返信をしたり必要な処理で時間が過ぎた。その後久しぶりに井の頭公園や神代植物園を歩き、日本に帰ったことを実感した。
主だった知人や関係先には北京から随時メール等で便りをしていたが、帰国後は歓迎会というか報告会というか飲み会や集まりが待っていた。やがて間もなく年賀状書きの時期となり、年末の日本の生活に戻って行った。
最後に北京滞在記を簡単に振り返ってみたい。
きっかけは会社時代の知人I.ヒロノブさんからのお誘いであった。ちょうど私が会社をリタイアしたタイミングで、北京(経済技術開発区実験学校)でボランティアの日本語教師を探しているのだがどうか、と言うのである。リタイア後に海外ロングステイをしてみたいと考えていたこともあり、北京の行楽シーズンである秋の3ケ月の任期で北京行きを決めた。日本語指導などの経験はなく、中国語は全く分からず、中国に知り合いが一人もいないという「ないない尽くし」の軽挙妄動であったが、中学・高校時代は国語が得意でもあったので「何とかなるさ」の気分で赴任した。
中学を卒業後日本の高校に留学するまでの半年の日本語指導コース(日本留学班)の生徒は3人だけの家族的クラス。授業はいつしか主任教師のリュウ先生よりボランティアのはずの私の方が中心になって行った。ということは私の指導法はよかったのだと思うし、私も手応えを感じた。なせば何とかなったのだ。私の帰国後、3人はめでたく一緒に青森山田高校に留学できた。青森には会いに行く機会がなかったが、現在東京の大学に進学しているリー君とは交流しているところである。
一方歴史遺産の宝庫である北京の観光の方は、日本語ガイド受験勉強中のハンさん(実験学校教師であった)の案内つき観光というこれ以上ない幸運に恵まれた。一人歩きも快適で、リュウ先生家族との旅行も含めて滞在中の北京(郊外を含む)観光は22日に及んだ。後で数えてみたら乗り降りした地下鉄の駅も22あった。市内地図1枚あれば日本人を北京の観光案内ができるほどである。
食事は”中華料理”オンリーであったが、特に不自由することも飽き飽きすることもなかったし、お気に入りの料理にもありついたのでほぼ満足をしている。また北京オリンピック開催のお蔭で空がきれいだったし、地下鉄が整備され、都心部がきれいになっており、おまけに帰国後聞いた話ではその年は冬の訪れが遅く、それらの幸運が重なって滞在中は快適に過ごすことができた。多分現在なら、日中関係は悪化しており、PM2.5などの大気汚染が深刻化しているなどのこともあって今回のような満足感は得られないだろうと思うのである。
【想い出の写真-未掲載分】
①は日本の国会議事堂にあたる人民大会堂。天安門広場の西にあり全国人民代表大会などの議場になる ②孔子を祀る孔廟。屋根は皇帝用にしか使えない瑠璃瓦で葺いてあり、孔子の権威のほどが偲ばれる。 ③天安門にほど近い前門大街。近代的な商店街に大改装されていた。 ④頤和園の石の船。清朝末期の西大后がここで贅を尽くして清朝滅亡の因を成したという象徴的建造物 ⑤精華大学正門。北京大学と並ぶ中国の名門大学で、私が歩いた北京大学のすぐ近くにあったが、歩き疲れていて中には入らなかった。 ⑥市内の骨董市については紹介しているが、これは最大の骨董市に並べられた無数の骨董品の一例。値段はほとんど交渉次第で、日本人などは掘り出し物を買ったとすぐ騙される。

北京の人民大会堂① 孔廟② 前門大街③

頤和園の石の船④ 精華大学正門⑤ 山と積まれた骨董品⑥
今回を以て[中国で日本語教師]北京編を終え、少し時間をもらって次は2009年8月末から2010年12月までの間の山東省濰坊市での教師生活などを中心に濰坊編を連載する。











