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フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

[中国で日本語教師] 再投稿・北京編#37-エピローグ

2024-11-30 10:19:38 | 日記

   北京で3ケ月の日本語教師生活を終えて帰国し、2日ほどはのんびりする間もなく不在中の郵便物に目を通し、取り急ぎその返信をしたり必要な処理で時間が過ぎた。その後久しぶりに井の頭公園や神代植物園を歩き、日本に帰ったことを実感した。
   主だった知人や関係先には北京から随時メール等で便りをしていたが、帰国後は歓迎会というか報告会というか飲み会や集まりが待っていた。やがて間もなく年賀状書きの時期となり、年末の日本の生活に戻って行った。

   最後に北京滞在記を簡単に振り返ってみたい。
   きっかけは会社時代の知人I.ヒロノブさんからのお誘いであった。ちょうど私が会社をリタイアしたタイミングで、北京(経済技術開発区実験学校)でボランティアの日本語教師を探しているのだがどうか、と言うのである。リタイア後に海外ロングステイをしてみたいと考えていたこともあり、北京の行楽シーズンである秋の3ケ月の任期で北京行きを決めた。日本語指導などの経験はなく、中国語は全く分からず、中国に知り合いが一人もいないという「ないない尽くし」の軽挙妄動であったが、中学・高校時代は国語が得意でもあったので「何とかなるさ」の気分で赴任した。
   中学を卒業後日本の高校に留学するまでの半年の日本語指導コース(日本留学班)の生徒は3人だけの家族的クラス。授業はいつしか主任教師のリュウ先生よりボランティアのはずの私の方が中心になって行った。ということは私の指導法はよかったのだと思うし、私も手応えを感じた。なせば何とかなったのだ。私の帰国後、3人はめでたく一緒に青森山田高校に留学できた。青森には会いに行く機会がなかったが、現在東京の大学に進学しているリー君とは交流しているところである。
   一方歴史遺産の宝庫である北京の観光の方は、日本語ガイド受験勉強中のハンさん(実験学校教師であった)の案内つき観光というこれ以上ない幸運に恵まれた。一人歩きも快適で、リュウ先生家族との旅行も含めて滞在中の北京(郊外を含む)観光は22日に及んだ。後で数えてみたら乗り降りした地下鉄の駅も22あった。市内地図1枚あれば日本人を北京の観光案内ができるほどである。
   食事は”中華料理”オンリーであったが、特に不自由することも飽き飽きすることもなかったし、お気に入りの料理にもありついたのでほぼ満足をしている。また北京オリンピック開催のお蔭で空がきれいだったし、地下鉄が整備され、都心部がきれいになっており、おまけに帰国後聞いた話ではその年は冬の訪れが遅く、それらの幸運が重なって滞在中は快適に過ごすことができた。多分現在なら、日中関係は悪化しており、PM2.5などの大気汚染が深刻化しているなどのこともあって今回のような満足感は得られないだろうと思うのである。

【想い出の写真-未掲載分】

①は日本の国会議事堂にあたる人民大会堂。天安門広場の西にあり全国人民代表大会などの議場になる ②孔子を祀る孔廟。屋根は皇帝用にしか使えない瑠璃瓦で葺いてあり、孔子の権威のほどが偲ばれる。 ③天安門にほど近い前門大街。近代的な商店街に大改装されていた。 ④頤和園の石の船。清朝末期の西大后がここで贅を尽くして清朝滅亡の因を成したという象徴的建造物 ⑤精華大学正門。北京大学と並ぶ中国の名門大学で、私が歩いた北京大学のすぐ近くにあったが、歩き疲れていて中には入らなかった。 ⑥市内の骨董市については紹介しているが、これは最大の骨董市に並べられた無数の骨董品の一例。値段はほとんど交渉次第で、日本人などは掘り出し物を買ったとすぐ騙される。

  
  北京の人民大会堂①         孔廟②         前門大街③

  
 頤和園の石の船④    精華大学正門⑤    山と積まれた骨董品⑥

今回を以て[中国で日本語教師]北京編を終え、少し時間をもらって次は2009年8月末から2010年12月までの間の山東省濰坊市での教師生活などを中心に濰坊編を連載する。 
     

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[中国で日本語教師] 再投稿・北京編#36-ついに北京を去る日が来た

2024-11-27 12:35:32 | 日記

   11月末、3ケ月の任期で北京の実験学校に来てからいよいよ日本帰国を迎えることになった。帰国の朝は手荷物の最後のパッキングを終え、部屋を掃除して教室に向かった。教室では生徒たちがそれぞれ惜別の言葉、感謝を表すメッセージを黒板に書いてくれて記念写真を撮った。生徒たちの申し出でその日は授業を休みにして空港まで見送ってくれることになった。近くのホテルでリュウ先生夫妻による最後の昼食をいただき、ご主人の車で空港に送っていただいた。生徒たちはリー君の父親が車で空港に送ってくれた。こうして名残を惜しみながら空港でみんなと別れを告げ、15時30分発のJAL機に乗り込んだ。実験学校での3ケ月の日本語授業や北京観光などの数々の思い出を胸に、日本時間19時30分に成田空港に降り立った。

 
(左)黒板に書かれた感謝と惜別の辞 (中)車は一路北京首都空港へ   (右)私の帰国を歓迎するかのように富士山が

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[中国で日本語教師] 再投稿・北京編#35-日本帰国の支度

2024-11-25 14:20:51 | 日記

   11月も半ばになると北京の街には乾いた冷たい風が吹くようになった。そして街路樹の落ち葉がカサカサッという音をたてて風に舞い、行楽シーズンの終わりを告げているようであった。
   私の北京滞在も残り少なくなり、帰り支度を始めた。と言ってもお土産を少々買い足すことと、換え衣類など手荷物で持ちきれない物を小荷物に出すくらいなものである。
   お土産は観光巡りの中で買った記念品のほか、リュウ先生に案内されて買った中国茶、私の孫や帰国後のボランティア活動に使うおもちゃなど30~40点。小荷物は日本の宅急便のようなシステムはないようで郵便局から送ったのだが、これが大変な目に遭った。
   荷造りに格好の段ボール箱が学校にあったので、コワレものを衣類などの柔らかいものでくるみ、隙間ができないように詰め物をするなど丁寧に荷造りをし、助手のツォン君に手伝ってもらって郵便局に持って行った。そしたら段ボールは官製のものを買わなくてならず、おまけに荷造りしたものを全部職員が無造作に引っ張り出し、くるんでいるものは広げて「これは何か」と一つ一つ聞くのである。密輸防止の為とは思うが、それをまた官製の箱に一から詰め直さなくてはならず涙の出る思いをした。荷物はSAL便(航空便より数日遅くなるが安い)で日本へ送り出した。
   後任の先生も内定したし、これで私の帰国の準備が整った。

【下は本文とは関係がないが、ちょっと残したい写真】

上左:ビジネス街の夕日。北京のビジネスの中心は天安門にほど近い  上中:緑化された歩道。オリンピックに向けた都市整備だろうか、随所に花が咲いていた  上右:ボート遊びで憩う市内の湖。市内には「海」と呼ばれる湖が多くある  下左:これは頤和園の中に築造された江南地方の光景。時の皇帝が江南地方の風情に憧れて造ったのだとか  下右:日中友好条約の調印に訪れた田中角栄首相と周恩来首相の写真が郭沫若旧居に展示されていた

   

    

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[中国で日本語教師] 再投稿・北京編#33-ハンさんとの最後の北京観光

2024-11-20 10:23:02 | 日記

   北京の秋も深まって来た11月も半ば、ハンさんの案内で観光巡りをするのもこれが最後となった。ハンさんには週末に6回にわたって案内をしてもらったほか、実験学校にも再々訪ねてくれ、また一緒に食事をしたりした。私の北京生活が楽しく充実したものになった最大の恩人である。
   日本語の観光ガイドの試験勉強中だったハンさんにはテキスト片手にガイドをしていただき、私は日本人旅行客の立場で気付いたことを助言したりした。私の帰国後無事資格試験に合格したのだが、その後米国外資系の会社に就職している。

   写真上段左は見事なイチョウの黄葉が深まった北京の秋を象徴している。その右は落ち着いた雰囲気の『南銅鑼巷商店街』の佇まい。700年の歴史があると言い、近年はおしゃれな街に変容していてぶらぶらショッピングが楽しい。    

    

   下の3カットは『雍和宮』。清朝時代に開かれた北京最大のチベット仏教寺院で、チベット、満州、モンゴルなどの多様な文化が入り混じっている。右は信徒の敬虔なる祈りの姿で、こうした祈りの光景はあちこちの寺院で見ることができた。                    

  

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[中国で日本語教師] 再投稿・北京編#32-作文と模擬面接そして後任

2024-11-17 13:56:24 | 日記

      日本留学班の開講から2ケ月、11月に入ると教科書だけでなく実践的な日本語の授業も試みた。それが作文と模擬面接である。
   まず2ケ月の成果を測るため作文を書かせてみた。題は「私の一日」とし、数日の時間を与えて黒板に書いて発表することにした。一応こんなことを書いてみたらとヒントは与えたが、私はその出来栄えに感心した。生徒3人は3様の内容であり習熟度の違いはあったが、(多少日本語の心得のあったリー君を除き)中学卒業後日本語を全く初めて学ぶ生徒としては上々の日本語であった。日本の大学生が中国語を2ケ月受講しただけでこれほど書けるだろうかと思ったものだ。中でリー君は「小林先生の授業は楽しい」とも書いてあって教師冥利に尽きる思いであった。
   模擬面接は日本の高校の面接試験の模試である。私は想定問答を作成し、さらに日・中の考えや習慣の違いがあるので日本の流儀を伝えるようにした。これも生徒たちの聞く力、話す力は予想以上であった。

   ところでこの時点では生徒たちは私が3ケ月の任期だということを知らなかった。「日本留学班」の募集パンフレットには「日本人の専門の教師による指導」と謳ってあり、短期の教師であることを隠してあったのである。私も口止めをさせられていた。11月も半ば近くになって、私に事情ができて帰国することになったと生徒には伝えられた。後任には北海道在住のワタナベさんという中高年の女性が赴任することになり、私は後任が戸惑わないようメールを通して引き継ぎを行った。

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