昨日の「チリの思い出」の続きを。
昨日は訪問先チリでの思い出であったが、その前後にも思い出がたくさんある。今はどうか知らないが、我々がチリに行った32年前には日本からチリへの直行便はなく、往復ともに乗り継ぎしながらの”旅”だったのだ。
U常務と私、そしてM商社の随行者M部長の3人はまず成田からニューヨークに寄って市内案内を受けた。M商社の現地課長の車で日本の旅行者が余り立ち寄れない場所にも案内してくれた。「見て見ぬふりして外を覗いて下さい」とか「交差点で立ち止まると強盗に襲われる危険があるので信号を無視します」と突っ走ったり、スリリングなSightseeingであった。
チリ・サンチャゴ行きのフライトには食事会後に搭乗したため、離陸後間もなく出て来た機内食にはノーサンキューとした。怪訝な顔の客室乗務員には「今はお腹が破裂しそう」とお腹を膨らませて見せるとウィンクを返してくれた。
途中のマイアミ空港で客と乗務員の乗り換えがあり、客室乗務員は一気に美人(チリ人)揃いになった。
続いては帰路の話で。サンチャゴから米国マイアミ行きのフライトに乗ったが、航路は北ではなく東に向かっている。??と思っていると、やがてアンデス山脈が見え、その上空を横切った。雪に夕焼けが映えて、夢のような光景であった。全く思ってもいなかったアルゼンチンのブエノスアイレス経由のお土産である。ブエノスアイレスでは空港から外に出ることなくマイアミに向かった。
マイアミへの立ち寄りは社長の配慮だった。「チリから直行で帰るなんてきついよ。マイアミ・ビーチでゆっくりしてから帰れ」というものだ。因みにマイアミ・ビーチは米国北部の富豪達が冬を過ごす、米国でも有数のリゾート地である。街を歩いている女性の姿は、日本人には大変刺戟的であった。
そのマイアミには日本からのM部長の随行以外に、ニューヨークから案内役がやって来た。マイアミでの観光やショッピング、食事の案内とかゴルフのセッティング等の世話担当である。
ゴルフについてはドラル・オーシャン・カントリーという米国の公式競技が開かれる超一流のゴルフ場の予約を取ってくれた。それはM商社の出張マンたち憧れのコースでもあったのだが、18ホールが確か4コースあり、フラットで広大なコースにはそんなに人の影が見えなかった。貴重な経験はそれから1時間後くらいだったろうか。ビギナー並みの我々の後ろの組がドンドン追いついて来たので「お先に」をさせたが、何とそれは日本の製鉄会社の人がジョー・ディマジオと回っていたのだ。ディマジオと言えば大リーグ・ヤンキースの黄金期に活躍した大打者であり、あのマリリン・モンローと結婚したことでも有名な選手なのだが、その人のティーショットを目の前で見てまたびっくりした。何しろ地を這うように打ち出された球がもの凄い勢いで遥か上空に舞い上がったのだ。私はプロゴルファーのプレーをこの目で見たことがなかったが、プロもそんなものなのかもしれない。(因みに今回ネットで調べところら、ディマジオは当時73歳になっていた)
マイアミから大陸を横断して西海岸のロサンジェルスに向かう途中、機窓からの眼下には西部劇に出てくるような荒涼とした砂漠が広がり、その中に一筋の糸のようなものが見えた。じっと見ていると蟻を何分の一かにしたような物が動いている。砂漠の中の高速道路を車が疾走していたのである。
無事帰国してM常務は言った。「俺は今まで何回も海外出張には行っているがこんなに楽しかったことはないな。君のお蔭だよ」と。成田空港からタクシーでご自宅に送り届けた際、出迎えに出た奥様にも同様のことを言っておられた。
細かい話だが常務職と部長職の私では旅費規定がだいぶ違うのだが、常務は経理から支給された旅費を全部私に預け、出張中の経費は全て私と共有したのだ。結果かなりの額が残り、それを原資にして随行してくれたM商社の部長を誘い、チリワインの店を探して反省会を開いた。U常務とはそれ以前に仕事上の接点が全く無かったのだが、この出張が元で常務の退職後もよく食事の誘いがあり、当時を懐かしんだ。あれから32年が経ち、U常務は既に鬼籍に入っておられるが、アチラで再会したら間違いなくチリの話に花が咲くことだろう。