フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

【投稿漏れ記事再投稿#10】懐かしいチリの思い出:番外編(2022.9.28)

2024-02-29 11:58:30 | 日記

昨日の「チリの思い出」の続きを。
昨日は訪問先チリでの思い出であったが、その前後にも思い出がたくさんある。今はどうか知らないが、我々がチリに行った32年前には日本からチリへの直行便はなく、往復ともに乗り継ぎしながらの”旅”だったのだ。

U常務と私、そしてM商社の随行者M部長の3人はまず成田からニューヨークに寄って市内案内を受けた。M商社の現地課長の車で日本の旅行者が余り立ち寄れない場所にも案内してくれた。「見て見ぬふりして外を覗いて下さい」とか「交差点で立ち止まると強盗に襲われる危険があるので信号を無視します」と突っ走ったり、スリリングなSightseeingであった。
チリ・サンチャゴ行きのフライトには食事会後に搭乗したため、離陸後間もなく出て来た機内食にはノーサンキューとした。怪訝な顔の客室乗務員には「今はお腹が破裂しそう」とお腹を膨らませて見せるとウィンクを返してくれた。
途中のマイアミ空港で客と乗務員の乗り換えがあり、客室乗務員は一気に美人(チリ人)揃いになった。

続いては帰路の話で。サンチャゴから米国マイアミ行きのフライトに乗ったが、航路は北ではなく東に向かっている。??と思っていると、やがてアンデス山脈が見え、その上空を横切った。雪に夕焼けが映えて、夢のような光景であった。全く思ってもいなかったアルゼンチンのブエノスアイレス経由のお土産である。ブエノスアイレスでは空港から外に出ることなくマイアミに向かった。

マイアミへの立ち寄りは社長の配慮だった。「チリから直行で帰るなんてきついよ。マイアミ・ビーチでゆっくりしてから帰れ」というものだ。因みにマイアミ・ビーチは米国北部の富豪達が冬を過ごす、米国でも有数のリゾート地である。街を歩いている女性の姿は、日本人には大変刺戟的であった。

そのマイアミには日本からのM部長の随行以外に、ニューヨークから案内役がやって来た。マイアミでの観光やショッピング、食事の案内とかゴルフのセッティング等の世話担当である。
ゴルフについてはドラル・オーシャン・カントリーという米国の公式競技が開かれる超一流のゴルフ場の予約を取ってくれた。それはM商社の出張マンたち憧れのコースでもあったのだが、18ホールが確か4コースあり、フラットで広大なコースにはそんなに人の影が見えなかった。貴重な経験はそれから1時間後くらいだったろうか。ビギナー並みの我々の後ろの組がドンドン追いついて来たので「お先に」をさせたが、何とそれは日本の製鉄会社の人がジョー・ディマジオと回っていたのだ。ディマジオと言えば大リーグ・ヤンキースの黄金期に活躍した大打者であり、あのマリリン・モンローと結婚したことでも有名な選手なのだが、その人のティーショットを目の前で見てまたびっくりした。何しろ地を這うように打ち出された球がもの凄い勢いで遥か上空に舞い上がったのだ。私はプロゴルファーのプレーをこの目で見たことがなかったが、プロもそんなものなのかもしれない。(因みに今回ネットで調べところら、ディマジオは当時73歳になっていた)

マイアミから大陸を横断して西海岸のロサンジェルスに向かう途中、機窓からの眼下には西部劇に出てくるような荒涼とした砂漠が広がり、その中に一筋の糸のようなものが見えた。じっと見ていると蟻を何分の一かにしたような物が動いている。砂漠の中の高速道路を車が疾走していたのである。

無事帰国してM常務は言った。「俺は今まで何回も海外出張には行っているがこんなに楽しかったことはないな。君のお蔭だよ」と。成田空港からタクシーでご自宅に送り届けた際、出迎えに出た奥様にも同様のことを言っておられた。
細かい話だが常務職と部長職の私では旅費規定がだいぶ違うのだが、常務は経理から支給された旅費を全部私に預け、出張中の経費は全て私と共有したのだ。結果かなりの額が残り、それを原資にして随行してくれたM商社の部長を誘い、チリワインの店を探して反省会を開いた。U常務とはそれ以前に仕事上の接点が全く無かったのだが、この出張が元で常務の退職後もよく食事の誘いがあり、当時を懐かしんだ。あれから32年が経ち、U常務は既に鬼籍に入っておられるが、アチラで再会したら間違いなくチリの話に花が咲くことだろう。

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【投稿漏れ記事再投稿#9】 懐かしいチリの思い出(2022.9.27)

2024-02-29 11:43:47 | 日記

昨日更新の記事で当地三鷹市国際交流フェスタの模様を紹介し、その中で懐かしい南米チリのブースを覗いたことを書いた。そこでは約30年前に行ったと記したが、家に帰って調べてみると32年前(1990年)の10月の社用(出張)のことであった。当時の出張記録等が残っていて懐かしさが溢れ出し、以下思い出としてここに書き残す気になった。

チリ出張は10月10日出発で21日の帰国、足掛け12日の日程であった。その計画は、筆頭株主のM商社から来ている社長がプロパーNo1であるU常務に「一度チリに視察に行ってみたらどうか」と勧めたことから始まった。
折しも私が着任しようとする部門が、チリで始めたたM商社の新規事業の重要なユーザーになっているというお礼を込めての視察のお誘いである。
季節が反対の南半球のチリということで、常務への配慮から日本との季節差が少ない10月が選ばれ、工場から私が着任するのを待ってM商社から日程表が届いた。

それによると、会社からはU常務と私、M商社からは部長待遇M氏がフル同行してお世話役、移動に時間がかかるせいもあるが主な視察・訪問先は4つほど。スケジュール表に乗っているレセプションみたいな会食もあるが、夜は大概歓迎会あるいはこちらからの答礼の食事である。そしてスケジュール表にない行間は観光とゴルフ等であった。

チリは誰でも知っている通り南北に非常に細長い国で、北はかなりの熱帯地で砂漠も多く、南端は世界で一番南極に近い。我々はその中間にある首都サンチャゴや南端にほど近いプエルトモントなどを訪ねた。改めて世界地図を広げてみるとプエルトモントは日本からはアフリカ大陸南端のケープタウンよりはだいぶ遠い距離にある。言わば地上で最も遠い所(南極は別にして)への出張である。

当時、チリは社会主義政権から政権転換があったが、元の政権を懐かしむ空気もあった。
国内で見かけるバスやトラックはボンネット型がほとんであり、またエンストを起こしたトラックの下にもぐって一生懸命修理をしている運転手の姿など、当時(30年前)の日本でも見かけることがない、レトロな光景に出遭った。地方に行けば未舗装の道路がまだ多くあって、そこを牛の群れが悠々と通るという牧歌的な光景にも出くわした。

我々が視察する先は植林や製材工場や貿易港などであったが、M商社が手掛けるサケの陸上養殖などの事業も見学した。また現場は見なかったが、チリの養殖ウニが日本に大量に輸出されていることを知った。

チリはコロンビア、コスタリカと並んで世界の3大美人の産地と言われる。最近は知らないがミスワールドコンテストの優勝者が多く出る国、ということなのだが、やはり「そうだなあ」と実感すること多々であった。原住民のインディオとスペイン人をはじめとする移入民族との混血が何代も何代も続いたから、と聞いた。本当に美人と可愛らしい少女だらけのチリであった。

サンチャゴで日曜の中休みの時、M商社の現地社長N氏がお嬢さんと3人でのゴルフに誘ってくれた。N社長は私の大学の直(学部・学科が同じ)の先輩であった。借り物の道具だったが、あるパー5のホールのクリーク(小川)を第2打で越したら驚いていた。「そこは2打では越せないから、みんな第3打でグリーンを狙うとこなんだけど」と、その晩U常務を含めた食事会で言う。
その時のレストランはサンチャゴの街の灯りを見下ろす丘の上にあり、そのため店内は電気の照明は点けずにキャンドルライトだけのほのかな明かりだけ、というムーディな趣向である。我々が店内に入ると、バンドの演奏がすぐ変わって当時海外でも流行っていた「上を向いて歩こう」になった。どうして日本人と分かったのか、それにしても演奏をすぐに切変えるなんて・・・と皆でささやいた。

もう一つのサプライズはサンチャゴを発つ日の昼食。案内された店の名前が私の苗字と同じだった。日本語の店名でも「へえ~」と思うのに、私と同じ名前である。中に入ると「日本のお母さんの料理」の定食屋という風情で、日本の名を騙(かた)ったものではなかった。現地の会社がが探したのだろうか。

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次期首相候補の評価が高まっている?上川外相=朝日新聞の記事に思う

2024-02-28 09:43:04 | 日記

今朝(2月28日)の朝日新聞に上川外務大臣の評価が高まっている、という記事が載っている。
見出しで『ポスト岸田、上川氏に脚光』『女性外相に新鮮味 「刷新」期待感』とあり、本文冒頭に「上川陽子外相が次期首相候補としてにわかに知名度を上げつつある」と書き出している。

ついひと月前、麻生副総裁が地元での講演会で上川外相評として「このおばちゃんはやるねえ、と思った」とか「そんなに美しい方とは言わないけど」などと述べて物議をかもしたことは記憶に新しい。この時麻生氏は、名前を「カミムラ」と言い間違えたり、「初めての女性外相」などと老ボケをさらけ出して上川評にもケチが付いてしまったが、今回は全国紙の記事として載ったものだ。

そこでは、外相として「真面目」「精力的」など人となりには高い評価を与えているが、こと次期首相候補となると別で、麻生氏の”推し”はあっても林官房長官や「小石河連合」と呼ばれる小泉進次郎郎、石破茂、河野太郎らの有力候補者がおり、ご本人も首相を目指して多数派工作をするようなタイプではない、と論じていた。
私は上川氏が外務相に就任するまで全くその存在を知らず、女性宰相候補としてどう思うかなど何もないが、少なくとも野心満々な高市早苗氏よりよっぽど好感が持てる。

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【投稿漏れ記事再投稿#8】中国の中秋節と月餅の思い出(2022.9.14)

2024-02-27 11:03:27 | 日記

一昨日(12日)の新聞だかで、中国の中秋節に食べる”月餅”に関しての報道があった。何でも高級素材使用を装って法外な値段で売りつけているのを当局が取り締まっている、というような内容だったと思うが詳細は定かに覚えていない。

月餅は日本でも日常的に食べられている人気の中華菓子だが、本場中国では特に中秋節には日本のクリスマス・ケーキまたは、それ以上の熱気で売られ、買われ、贈られ、そして食べられている。
私が日本語教師として中国滞在中に3回中秋節を迎えたが、1週間くらい前から月餅セールが始まり、デパートやスーパーを始め菓子・食品を扱う店で山積みにして売っていた。
中身の餡の種類は日本の比ではない。(冒頭の報道はそういうところが背景になっている)私の場合、学校から全職員に10個入り位の菓子折りが配られた上、教え子達からのプレゼントがあり、とても食べ切れないので宿舎へ遊びに来る教え子に分けて食べてもらったりした。

今の日本の中秋節では「ススキなどを生け、月見団子を供え、名月を眺めながらお酒を愛でる」ような風情はほとんどなくなった。30~40年前の私が会社時代にはいつもの飲み仲間が「月見酒」を合言葉にして居酒屋に入っていたような思い出がある程度だ。中国では上記の月餅の思い出のほか学生が開いたクラスのパーティーに呼ばれて「乾杯」し、一緒にゴーゴー・ダンスを踊ったりもした。帰省できない学生たちの”お祭り”だったのだ。

日本でも季節の節句行事が伝統として残ってはいるが、中国ではそれ以上に熱い。よく知られた中国の正月である春節、故郷に帰って先祖を供養する清明節、今でも粽(ちまき)を食べる習慣が残っている端午節などがある。
それとは別に5月の労働節(メーデー)と10月の国慶節という新しい大型連休があり、中国人は家族の絆を大事にすると同時に遊び心旺盛な民族と言える。

 
学生たちが開いた中秋節パーティーに招かれる(右の写真中央が私)

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【投稿漏れ記事再投稿#7】 子どもスポーツでの勝利至上主義に思う(2022.9.12)

2024-02-26 10:12:00 | 日記

昨日(11日)の朝日新聞のスポーツ欄に『小学生全国大会から考える勝利至上主義』という記事があった。
指導者のメンツや名誉欲、親の期待や欲などから子供を過度に”鍛え”たり、叱咤したり・・・ということが子供のスポーツ競技にまん延している状況を憂うるものである。
「すべては大人の問題」「子どもたちの『楽しかった』が一番大事」という副見出しがついている。

私が先日『中学生相撲の立合いに違和感』というタイトルで投稿した記事に通じる考えかと思う。
過日、テレビでたまたま観た「全国中学相撲選手権大会」で、肝心の相撲道の精神から逸脱した選手が余りに多いことを嘆いたものである。そこにはこう書いた。
「大相撲のようには仕切り直しがなく、1回で両者が呼吸を合わせて立ち合わなければならないのに、全く相手との呼吸を合わせる気がなく、自分の有利な立合いしか考えていない選手の姿が多かった。私がそれにイライラしていたところ、ついに審判員から注意が出た。私が不戦敗にしてもいいのではないかと思うほどのものもあり、中学生の時期からこんな礼儀では国技の将来が心配になる。指導者は策を弄して勝てばいい、というような取り口は厳しく注意して指導すべきと考えるのだが・・・。」

11日の記事では、柔道連盟は小学生の全国大会を廃止したが、問題となっていたのが子供に課される過度な減量や練習、指導者や保護者による審判や対戦相手への罵声であったとしている。
こうした大人(親や指導者)の期待や名誉欲が子供のスポーツ教育を歪めていることが、私の観た中学生相撲の中に露わに出ていたのである。

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