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フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

日本語教師の教え子歴訪(再投稿)#9-お土産の話

2025-08-14 10:44:02 | 日記

   「土産話」というと旅先のトピックスみたいなことだろうけれど、これは旅行での往復のお土産の話。
   自分の教え子と言えどもわざわざ日本から訪ねるとなれば、ささやかでもお土産がいるだろう。でもスーツケースを抱えて各地を移動し、20人ほどに会うとすると重いものやかさ張るものはNGだ。そこで教え子たちには浮世絵等の柄の小風呂敷を、各先生方には紅茶セットを用意した。
   ところが、出発前のブログに書いたように準備の途中で3人から日本の化粧品を買ってきて欲しいとリクエストを受け、これが結構重くてかさ張るものになった。それでもスーツケース1つに何とか納まった。
   化粧品は旅行前半の青島と烟台でそれぞれに手渡したところで荷物がスカスカになったが、今度は烟台を去る時に駅へ見送りに来たイー・カカから実家で栽培しているリンゴを20個近くお土産にいただいた。リンゴは烟台地方の名産なのだが、これはまた量が多い。(写真が無いので分かりにくいのが残念)  イーさんには申し訳ないけれど次の訪問地濰坊で2人にお裾分けをして1/3だけ日本に持って帰った。
   濰坊では同僚教師たちとの食事会の後、バオ先生から中国銘酒の白酒を贈られた。教師時代、先生のお宅で酔い潰れるほどしこたま白酒を飲んだことをずっと覚えておられるのだ。化粧箱に入ったのを2本もいただいた。これも結構な荷物だがありがたく日本に持ち帰った。
   私自身の土産の買い物としては、前々号の#7で書いたように中国茶と幼児用のおもちゃだけで、帰りのスーツケースには余裕が生じた。

     
 
 いただいた中国銘酒の「白酒」/小さな子供たちへのお土産/教え子にはこんな小風呂敷を 

 

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日本語教師の教え子歴訪(再投稿)#8-北京にて

2025-08-12 18:24:37 | 日記

2年前に北京を訪問した時は市内を観て回る時間がなかったが、今回は9月3日の『抗日戦争勝利70周年記念』の軍事パレードにぶつかって、帰国が1日延期されたため時間ができた。北京に一人だけいる教え子のトウ・セイがずっと付き添いをしてくれるというのだが、7年前に3ケ月滞在した時、土・日はほとんど毎週のように北京市内を歩いて回ったので取り立てて行きたい観光スポットは無かった。
北京に着いた日は、トウさんが予約をしてくれたホテルに先ずはチェックイン。北京空港直通の地下鉄の駅近くで、周りには大使館や外国企業が多い地区であった。 彼女の勤めるNECのビルも近くにあり、日本人がよく利用するホテルだと言う。
チェックイン後トウさんと市内散歩に。その日は戒厳令が敷かれていて市の中心部には立ち入れないため、私がお気に入りだった都心外の「後海」という小さい湖周辺の市民憩いの場所をのんびり歩いた。湖畔では多くの太公望が釣り糸を垂れていてのどかな光景であった。
翌日は「三里屯」というニュースポットに行きたかったが、軍事パレードの日で立ち入り規制のため彼女がホテル近くの新しいショッピングモールに案内してくれた。ヨーロッパ調の雰囲気の洒落たモールだった。
そこを歩いている時だ。大きなスクリーンに軍事パレードの生中継が映し出されているのに出くわした。20人近い人が見入っていたが、私もその中に加わった。意気揚々のパレードであった。しばらく見てから北京ダックのお店に行って昼食をし、トウさんと別れて実験学校のリュウ・リン先生との再会に向かった。
帰国の日は、チェックアウトの後7年前には行ってなかった「北京古観象台」という3,4百年前の天文台を見物し、続いて天安門近くの「前門」と「大柵欄」という歴史ある商店街に寄っておもちゃの土産物を買い足した。この日はトウさんの案で彼氏を同行させ、空港までずっと私のスーツケースのポーターをしてくれた。2年前に紹介済みの彼氏であり、粋な計らいで大変楽をさせてもらった。


市民憩いのスポット 「後海」/新しいヨーロッパ調のモール/軍事パレードの中継に見入る


「北京古観象台」を見物/天体観測儀のいろいろ/ 歴史ある「大柵欄」の商店街

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日本語教師の教え子歴訪(再投稿)#7-懐かしい街を歩く

2025-08-10 18:03:39 | 日記

    日本語教師として1年3ケ月を過ごした山東省濰坊市。2年前も今回も2日間の滞在であったが、前回は2組のビジネスの話があったので一人で街をぶらつく時間がなかった。今回はそういうものが無いため2日目は教え子との晩の食事までは時間があり、1軒知人の家を訪ねたほかは日本への土産の買い物を含めて懐かしい街を歩いた。
   土産は三鷹のコミュニティー活動に提供する幼児用のおもちゃや中国茶などで、買う場所の見当はつけている。9月1日、濰坊駅前に出て簡単な朝食を済ませ、私がいた時に出来たばかりの地下商店街に向かった。しかし、入口が閉まっているのでダイ・フェイフェイにスマホで聞くともう閉止したとのこと。一等地なのに何ということだろう。
   そこで駅前から懐かしい三輪の軽タクシーに乗って「小商品城」に向かった。私がよく買い物をした所で、家電品や家具などの大きな物および食料品を除いて大抵の物は売っている、名前の通りの小商品のショッピング・ビル。4階建ての中に上野のアメ横のような小さな店舗が4~500くらい迷路のように並んでいる。”見て歩き”だけでも楽しい場所だ。そこでおもちゃと私の衣類を買った。続いてすぐ近くの、以前イオンモールがあった建物に入ったところ、何という寂れようだろうか。ジャスコのスーパーの跡も、賑わっていたテナントの店舗も全く冴えない店が櫛の歯が抜けたように並んでいるだけだ。ショッピングのワクワク感など全く感じられない。その近辺の食事場所も然りであった。ただ外の露店の食べ物屋は相変わらず賑わっている。そこからほど近い、露店の溜まり場みたいな半ばスラム化した一角に私の好きなラーメン屋があった。「汚いラーメン屋は旨い」を地で行くような店だったが、行こうと思ったらその道は高層ビル建築のため行き止まりになっていた。しかも建築工事は中止されている様子である。むき出しのコンクリートと止まったクレーン。猛烈な市街地の再開発を見る一方、建設バブルの崩壊を目撃した思いであった。

     
 レトロな乗り物で私のお気に入りの三輪タクシー / 小商品城の建物と中の賑わい

   
イオンモールがあった建物/客が絶えない通りの露店の食べ物屋/建築中止?の高層ビル

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日本語教師の教え子歴訪(再投稿)#6-教壇に立った大学を訪ねる

2025-08-08 17:42:22 | 日記

     教え子たちとの再会に併せて当時の日本語教師仲間との再会もなった。
  1年3ケ月の教師生活を送った山東経済貿易学院。そこで同僚の日本人モリキさんは現在も山東省内の大学で日本語教師を続けており、今回は経貿学院の先生方とのスケジュールを取りまとめてくれた。 
   8月31日夕方に2人で学校を訪ねたが、学校の中は2年前に初めて訪ねた時と変わらない感じだった。経貿学院では私が帰国後2年ほどで日本語科が無くなり、同僚の先生たちは皆学内で転身していた。仕事の手が空いたバオ先生とチョウ先生と会食までの間しばし歓談をした。2人の先生の話では今は一日事務室に籠っての仕事で、やはり教壇に立っていた時の方がずっと良かったという。ひととき歓談の後、チョウ先生の車でモリキさんが予約をしてくれたレストランに席を移した。男性教師のトー先生だけが仕事で出られなかったが、応用外語学部のソン事務主任も出席してくれて、この食事会は学校主催という形になった。ソン主任には私が滞在中本当によくお世話をしていただいたが、この席で私に打診するように、国際交流のための日本語指導者が欲しいような感じの話をした。バオ先生にも勧められたが、「もう年だから」と手を横に振った。また私の旅行での写真が卒業生からバオ先生の許にネットで送られていて、いつまでも卒業生と交流のあることを喜んでいただいた。楽しく美味しい食事会だった。

   
懐かしい教室棟/教師マンションも健在/ チョウ先生・モリキさん・バオ先生/楽しく美味しい食事会

   
   帰国前日の9月3日、北京経済技術開発区実験学校(長たらしい名前!)で日本留学班の主任教師だったリュウ・リン先生を訪ねた。新しく出来た地下鉄駅から周辺の変貌ぶりの案内を受けながら学校まで歩いた。学校は公立化して名前が変わっていた。国際交流の旗を下ろし、韓国人学級や日本留学班も無くなったという。リュウ先生は他の学校で日本留学を含む仕事に就いているとのことだ。晩はリュウ先生の故郷の新彊料理の店が目に入ったのでそこを希望し、ご主人と高校生の子息も呼び出されて一緒に食事した。二人とは私が教壇に立っていた時以来7年ぶりの再会であった。

       
  リュウ先生とかつての学校前で  /  7年前の写真

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日本語教師の教え子歴訪(再投稿)#5-愛しい教え子たち(濰坊・北京編)

2025-08-06 17:22:03 | 日記

ダイ・フェイフェイ】  前回同様濰坊でホテルや新幹線予約のお願いをした。そして会社にワケを言って濰坊駅に出迎えホテルまで案内してくれた。翌日晩の食事に行く時などは老父をいたわる娘のように私の腕を支え、手をつないで歩いた。経貿学院で日本語の成績は学年トップ(6人)の一人。落ち着きがあって、寮の同室のクラスメートと私の宿舎へ遊びに来た時は場が和んだ。日本研修にはぜひ来て欲しかった教え子であった。

【ソウ・ショウワ】
  ダイさんといつも一緒に遊びに来た一人で、卒業後も時々二人で会っているようだ。ただし両名とも今日本語に関係ない仕事に就いているが、ダイさんの方は日本語がしっかりしているのに対し彼女の方はほとんどダメになった。3人で食事の時、「日本語を覚えているか?」と中国語で冷やかすと苦笑いをしていた。でも明るさは学生時代と変わっていない。

トウ・セイ】   最後の訪問地北京ですっかりお世話になった。元々北京には1泊だけの予定だったが、9月3日に急きょ決まった軍事パレードの影響でフライトが1日延期となったため、9月2日昼の駅出迎えから4日昼の空港見送りまで付き添ってもらった。現在NECに勤めているが北京はまだ2年足らず、前回は山東省の省都済南から青島に駆けつけてくれた。その時紹介してくれた彼氏は私が帰国の日、ポーターとして私のスーツケースを空港までずっと持ってくれた。早くもカカア天下か? でもやさしくよく気の付く子である。学生時代の日本語の成績はトップ6人の一人。栃木県佐野市で1年研修、その間毎月2回くらいは一緒に過ごした。

          
 (左)娘みたいにやさしく、ダイ・フェイフェイ  (中)日本語忘れた?ソウ・ショウワ      (右)北京でお世話に、トウ・セイ

   今回会いたかったが、残念ながら会えなかった者もいる。学生時代最も多く私の宿舎に遊びに来た一人で甘えん坊のヨウ・ハイジエは夫の出張先に行かねばならなくなり、無念の気持ちをネットに投稿していた。和歌山県で研修をしたしっかり者のジョ・キンカは会社の出張で日程が合わず、「次回はきっと」とチャットを交わした。また熊本での研修から帰国後のラン・ホウカにもぜひ会いたかったが家が今回の訪問地からは遠く、そこまでは足を伸ばせずに涙を飲んだ。
  

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