陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

久しぶりの大阪

2021年07月16日 | slow life

久しぶりに大阪都心へ。
通勤時間帯の電車に乗ってゆく。

車内はクールビズの会社員たちで一杯だ。
「いやあ。こんな電車に毎日、そして何十年も
乗ってきたんだなあ。」と妙な感慨を抱きつつ
本も読まず、しばし混雑した車内を眺めていた。
懐かしいとは全然思わなかった。

正直こんな電車に改めてストレスを感じた。
通勤しているときは馴れているとは思っていたが
無意識下ではやはり体は拒絶していたのだと思う。
離れてみて実感する。通勤電車自体がすでに多くの
サラリーマンたちにとってはかなりのストレス
なのだと思う。そして会社に行けば…。

この日は定期検診の日で北野病院へ行く。
半年振りで訪れたが、もう前回の時のような
コロナ禍での緊迫感はなく落ち着いていた。

診察を終え病院のある扇町から北浜まで歩く。
行きつけの診療所へ薬を貰いに行くためだ。
いつものように体温を計り血圧を測った。
これも不思議なもので血圧がぐっと下がっている。
血圧は薬を飲むほどではないが、近年やや高めに
推移していた。これもやはり
ストレスがなくなったからなのか?特にストレスを
強く感じる日々ではなかったと思うのだが
先生もやはり体は正直に反応するのですねと
妙に感心していた。同感。

北浜から今度は一路西へ。
途中、エルおおさかが物々しい雰囲気。
拡声機でアジっている人がいた。警察官が沢山いた。
何でかな?と思ってふと思い当たった。
そうだ、何とか展の開催で揉めていたのだった。
このエルおおさかは組合活動でよく使ったものだ。

大川を眺めつつ肥後橋まで歩く。
そこで用を済ませてドウジマ地下街を西梅田へ。
たっぷり一万歩以上は歩いただろうか。
久々の大阪の街。どこを歩いても
働く人々の姿があった。やはり大阪は大都会だ。

たまにはこういう環境に身を置くのもいいかな?
と思った浪速の一と日であった。

大川の水に映れる大夕焼
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大谷選手、勝利投手に

2021年07月15日 | slow life

昨日、米大リーグのオールスター戦をテレビで観戦。
二刀流で登場。打撃の方は二打数無安打だったが
投手では1回に先発で登場。三者凡退に抑えた。
そして運よくその次の回に自軍が得点。そのまま
逆転されることなくアメリカンリーグが勝った。
よって記録上は大谷が勝利投手となった。
こういう点でも持っている男だなと思う。

大谷選手がシーズンを終えてMVPになれば
イギリスのブックメーカーは破産するかもという
報道があった。オッズが30倍とかで、実際に
大谷選手にベットしている人が何人かいるらしい。
その払い戻しが結構な額になるのだという。
つまりはこんな活躍を誰も予想していなかった
ということである。

昨日の日経の春秋という1面のコラムに目が留まった。
大谷選手の活躍の条件の一端を池井優さんという方が
「経済教室」面でこう書いていたと。その条件とは

一、硬いステーキを消化できる強い胃
二、移動のバス、飛行機、待合室などどこでも
  熟睡できること。

なるほどこれは正鵠を射てると思う。
勿論、素質・才能、努力、環境などの要素も
当然必須なのであろうが、究極はこんなことに
尽きるのではないだろうか。

私の所属する俳句結社のトップは、毎週のように
全国各地に飛んで句会や俳句大会に臨んでいる。
(今はコロナ禍でそのような機会はないが。)
何かの折に、私なんか出張が続くとペルペスができたり
よく体調を崩すのですが、先生はどうですか?と尋ねたら
何処でも寝れるし、何でも食べられると言われた。
やはりそうなのである。大谷選手もきっとそれが
案外当たり前なことだけれど大きな要素なのだと。

とにかく一つの金字塔を立てました。
日本人としてはやはり嬉しい出来事でした。
さて、次は。
暗雲が垂れ込めてはいるがオリンピックかな?
どんな選手が金字塔を打ち立てるのだろうか?

写真は甲子園球場です。悪しからず。
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ミチクサ先生 逝く

2021年07月14日 | slow culture

日経文化面の新聞小説は「ミチクサ先生」
伊集院静さんの作である。
夏目漱石が主人公の小説であるが
正岡子規、高濱虚子、寺田寅彦なんかが
登場するので興味を持って毎朝読んでいる。

今朝の新聞でついにミチクサ先生が亡くなった。
大正五年十二月九日、午後六時四十五分
夏目金之助、享年四十九歳である。よって
連載していた『明暗』は、十二月十四日の
東京朝日新聞に掲載された第百八十八回をもって
終了となり、未完となっている。遺作である。

胃潰瘍の発作で嘔吐を繰り返して、大正五年
十一月及び十二月に大内出血をする。
脳貧血で意識は朦朧となっていたようだ。
またリュウマチだと思っていた身体の痛みは
教え子の診察で糖尿病と判ったという。

東大の職を棄てて朝日の専属小説家となった金之助。
相次ぐ人気小説の執筆で命を縮めたのかもしれないが
五十歳にもならない内の生涯はやはり何とも短い。
子規も肺を病み脊椎カリエスから三十四歳と
短命であったが、虚子は八十五歳と長命であった。

このミチクサ先生、挿絵のタッチが好きであった。
福山小夜さんと云う方の画である。
特に描かれる女性がとても美しいのだ。

「ミチクサ先生」は7月22日で完となる。
次回作は安倍龍太郎さんの「ふりさけ見れば」
遣唐使の物語であると云う。
安倍龍太郎さんはかつて日経で「等伯」を執筆。
日経好みの作家である。これも楽しみ。
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ヒメジョオン?ハルジオン?

2021年07月13日 | nonoka

川沿いを散歩していると白いマーガレットを
小さくしたような花によく出会う。
至る所に生えているからやっぱり雑草の類いである。
もしこれが姫女菀(ヒメジョオン)なら季題だ。
歳時記では夏の五月の候に載っている。

しかしこの姫女菀とそっくりな品種があって
これもいたるところで咲いている。
さて、写真の件の花はどちらでしょう?

実は私も、よく似た二種類の花があることは
知っていたが、どちらがどうとははっきりと
解っていなかった。
ハルジオンは咲き初めがヒメジョオンより
やや早い。だがどちらも花期は長いので
しっかり違いを把握していないと、どちらが
どちらなのかはずっと解らないままとなる。

それでは受け売りだが違いを述べる。

1.ハルジオンは葉が茎を巻くように付くが
ヒメジョオンはそうでなない。
2.花弁はハルジオンの方がヒメジョオンに比べて
細い。しかしこれは同時に比べないと解り辛い。
3.ハルジオンの茎は中空だが、姫女菀は
空洞ではなく中に白い物が詰まっている。

どうやら外で見つけた場合、花期が重複しているので
見分ける場合は葉の付き具合で判断するしかない。
茎を折って確かめるのはちょっとためらいがある。
ということで撮った写真をよく観察してみると
どうやら葉が茎に巻いているように見える。
ということはこの品種はハルジオンではないか
という結論に至った。正解かな?
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わたしの酒呑録 土佐鶴 夏の宵

2021年07月12日 | eau de vie

いつも行くスーパーで土佐鶴を見つけました。
純米酒です。「ひんやり、夏の宵」とあって
夏らしい涼味を感じるラベルがいいですね。
思わず買ってしまう。ならと鰹のたたきも。
この時期の鰹は脂が乗ってないので
美味しくないという人もいますが私は好きです。
やはり旬の初鰹。さっぱりしてよか。

土佐鶴は辛口ですっきりしています。
好きな銘柄の一つ。夕べは東京から
一時帰宅した我が子と一盞を交しました。
やはり夏の冷し酒はいいものです。

かんがへて飲みはじめたる一合の
二合の酒の夏のゆふぐれ 牧水
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七月の読書 女帝 小池百合子

2021年07月11日 | slow culture

小学校、中学校時代はよく図書委員をやった。
無茶苦茶読書の虫という訳ではなかったが
ずっと本が傍にある生活を続けてきた。

時間ができるともっと本が読めるだろうと
思っていたが、予想に反して読書量が増えない。
何でだろう?時間は以前と比べてあるのに。
と思ってつらつらその原因を考えていて
ふと思い当たった。思うに働き出してからの
私の読書タイムは大方、通勤や移動の電車の中であった。
今はこの時間はほとんど無くなっている。
不思議なもので、長年の習慣というものはそうそう
すぐには変換できないものなのだと今更ながら気づく。

「女帝 小池百合子」を読む。

この政界の最前線をゆく政治家の虚と実。
その生きざまや生い立ちなどといった処が
余すところなく描かれている。

少し作者のバイアスがかかっているとも
言えなくはないが、しっかりとした取材は
読み応えがあり、興味を持って読んだ。
その人物評はさておいて、私は特に
広報、コミュニケーション、ビジュアル戦略の
卓越した手法については勉強になった。
デジションメーカーをしっかりと押さえて
その影響力を利用しつつパフォーマンスを
次々と上げてゆく。
民衆は何に主眼を置き、何に共感し何を求めるか
ということを知り尽くしたその戦略性の高さ。

さて、小池百合子氏は将来総理になるだろうか?
ひとりの人間の生き様として注視してみたい。

■女帝 小池百合子
石井妙子著 
文藝春秋刊 2020年5月30日初版
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指導とは如何にあるべきか?

2021年07月10日 | tete a tete

私の主宰する句会がありました。
この日の兼題は“ハンモック”と“天道虫”
天道虫と書いて“てんとうむし”と読みます。

それぞれの作者が切り取った景は
いつも楽しみにしていますし実際楽しいです。
皆の俳句を見るときが俳句講師をして良かったな
と思える時でもあります。

でも楽しいだけでは講師は勤まらないので
指導者として所見を述べます。

概ね選者の選には二つの視点があります。
ひとつは俳句の技術的な側面
(全体のクオリティ、発想、措辞、広がりなど)
そしてもう一つは選者の価値観による側面です。
前者はどの選者もそうぶれはありません。
しかし後者は結構ばらつきがでます。
実際複数の選者が取る大きな大会などは
選ぶ句にばらつきが必ずあります。
これは大きな大会となると技術的なレベルは
ほとんどクリアされているので、後は
選者の価値観の比重の差異となるからです。
選者の価値観は多様です。例えばある選者は
老いと云う句は採らないとか、過疎という文言は
採らないとかそれぞれの絶対基準がありますし
写生の句はつまらないと言う選者もいます。
又写生こそ俳句だという選者もいます。
共感するところがそれぞれ違うのでばらつくのです。

たつた五・七・五の十七音ですべての世界を
描き切ることは不可能です。だから
まずその厳然たる事実を認知することが肝要。
大方の句は説明し過ぎ、具材過多となっています。
これを説明しないで言葉少なく描きたい世界を
描くにはどう省略しどう展開すればよいか?
これを言いたい訳ですが指導も丁寧過ぎては
いけないし、かといって放任でもいけないし…
中々難しい局面でもあるのです。ただこれは
指導者自身がもっと勉強してクリアしないと
いけない課題だと認識しています。
そういう意味ではむしろこちらが学んでいる
方が多いような気がします。それが実情ですが
ポテンシャルが覚束ないのがなかなか辛い。

教えることは学ぶこと。
つくづく身に入むる言葉です。

ハルカスより大阪湾を望む(写真)

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梅雨の川に思う

2021年07月09日 | tete a tete

梅雨の豪雨が各地で被害をもたらしている。
狭い国土の日本は、雨が降れば山から海へ
あっという間に水は流れてしまう。
川の氾濫や土砂崩れはその度に起きる。

狭い日本なら山を削って宅地開発を
せざるを得ない。神戸は山と海が近い街。
宮崎市政の時代は、山を削って開発し
その残土を海に埋め立て人工島を作った。
神戸株式会社ともてはやされた時代のことだ。

数年前、六甲の麓の住宅街でかなりの土砂が
流れてきて被害にあった地域があった。
この一帯は以前は川であったが、宅地開発で
造成されて分譲された区画であった。
地元を知る人はこんな所に住宅を建てるの?
と思ったそうだが、神戸の山の手は
神戸に憧れる人なら住んでみたい土地である。
そしてこんな災害が起きてからその地形を知る。
その被害を思うと、ローンもまだ残っている
家もあるだろうし、全くやるせない被害である。

日本で家を持とうとすれば、このような山の開発地か
海沿いの埋め立て地、そして、空の上へと伸びる
タワーマンションしかないのだろうか?

水の国にっぽんの宿痾かもしれない。
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食いしん忘備録 四国こんぴら讃岐うどん

2021年07月08日 | slow gourmet

讃岐饂飩が届きました。
四国は香川県琴平から届きました。

讃州中郡四国こんぴら讃岐うどんです。
早速茹でていただきました。
やはり讃岐うどんは美味しいです。

以前、仕事で高松に行ったときは
市内のうどん屋をかたっぱしから制覇しました。
地元の讃岐うどんで全国区となって
一番成功したのは“はなまるうどん”でしたが
経営が傾き吉野家傘下に入りました。
当時は広告を貰っていたので応援していたのですが。
今は讃岐うどんで全国区と言えば丸亀製麺でしょうか。
でもこれは地元資本でありません。神戸の会社です。
讃岐にはその他美味しいうどん屋さんが沢山ありますが
皆小規模の地元のうどん屋さんです。
地方から上場する位のうどん屋さんはもう出ない
のでしょうか?地方からそのような会社が誕生
してほしいと思っているのですが…。

届いた讃岐うどんを食べながら
ふとそのようなことを考えてしまった。
あんまりグルメとは関係なかね?

■大庄屋株式会社
香川県仲多度郡琴平町1223-9



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七月七日 七夕

2021年07月07日 | slow life

今日七月七日は七夕であるが、やはり今年も雨。
テレビでは彦星織姫などとロマンを語ってるが
梅雨時の真っ最中のこの新暦の七夕は
どうもピンとこないのである。

実際、この日は旧暦では五月二十八日なのだ。
俳句の世界では「七夕」は秋八月の季題(季語)。
よってこの新暦で七夕を詠む俳人はいない。
今年2021年の七夕は八月十四日である。
この頃だと星も銀河もよく見えることだろう。

やはり七夕は旧暦で詠みたいものである。
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