陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

指導とは如何にあるべきか?

2021年07月10日 | tete a tete

私の主宰する句会がありました。
この日の兼題は“ハンモック”と“天道虫”
天道虫と書いて“てんとうむし”と読みます。

それぞれの作者が切り取った景は
いつも楽しみにしていますし実際楽しいです。
皆の俳句を見るときが俳句講師をして良かったな
と思える時でもあります。

でも楽しいだけでは講師は勤まらないので
指導者として所見を述べます。

概ね選者の選には二つの視点があります。
ひとつは俳句の技術的な側面
(全体のクオリティ、発想、措辞、広がりなど)
そしてもう一つは選者の価値観による側面です。
前者はどの選者もそうぶれはありません。
しかし後者は結構ばらつきがでます。
実際複数の選者が取る大きな大会などは
選ぶ句にばらつきが必ずあります。
これは大きな大会となると技術的なレベルは
ほとんどクリアされているので、後は
選者の価値観の比重の差異となるからです。
選者の価値観は多様です。例えばある選者は
老いと云う句は採らないとか、過疎という文言は
採らないとかそれぞれの絶対基準がありますし
写生の句はつまらないと言う選者もいます。
又写生こそ俳句だという選者もいます。
共感するところがそれぞれ違うのでばらつくのです。

たつた五・七・五の十七音ですべての世界を
描き切ることは不可能です。だから
まずその厳然たる事実を認知することが肝要。
大方の句は説明し過ぎ、具材過多となっています。
これを説明しないで言葉少なく描きたい世界を
描くにはどう省略しどう展開すればよいか?
これを言いたい訳ですが指導も丁寧過ぎては
いけないし、かといって放任でもいけないし…
中々難しい局面でもあるのです。ただこれは
指導者自身がもっと勉強してクリアしないと
いけない課題だと認識しています。
そういう意味ではむしろこちらが学んでいる
方が多いような気がします。それが実情ですが
ポテンシャルが覚束ないのがなかなか辛い。

教えることは学ぶこと。
つくづく身に入むる言葉です。

ハルカスより大阪湾を望む(写真)

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