江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

絵の見方

2019-11-03 22:57:45 | 劇評・他
絵の見方なんて、どう見たってかまやしない。
ただちょっと面白い体験をしてきたので、
それを二つばかり。

独立した時、ある多目的ホールの舞台監督になったことがある。
そこで何かイベントがあると、
会場の管理者として立ち会うのだ。

たまたま「ユトリロとその仲間たち」という企画展に
立ち会ったのだが、
そこは役得というもので、
展示前の床に置いて壁に立て掛けられた絵を、
胡坐をかいてじっくり見ることができた。
もしかしたら、ユトリロ自身こんな格好で描いていたのかと
勝手に想像しながら。
私は、
ユトリロの絵は同じような白い建物ばかりで面白くないと思っていた。
ところが楽な格好で好きなだけ絵を眺めているうち

ああ、彼は本当にこの絵が描きたかったんだ

なんか、彼の気持ちがジワリと私の中に滲みてきたように
そう感じたのだ。


先日は親父と平山郁夫氏を同じに並べて、
気を悪くした人もいるかもしれない。
ただ親父の絵から得たものは大きかった。
例えば1枚の絵を見て、
まずは目の行くところがある。
そこを中心に見ているうちに
気になるところが出てくる。
そこが深い陰のところだったりすると、
その陰のところがどうなっているかわかろうとするが、
なかなかわからなかったりする。
そこでまた最初に目の行ったところを見ると、
最初に見た感じと異なっていたりする。
そうして目をいろいろ動かすことで
絵の深さを楽しむことができると知った。

平山郁夫氏の作品で
とりわけ対象を日本の寺社にしたものは、
まさしくその見方で深く楽しむことができたのだ。
例えば「浄瑠璃寺」
夜というより黄昏時の闇が迫ってくるときと感じたのだが
深い青で塗られた中に、障子からこぼれる黄色い明り、
そこに目が行って、周りの闇が見えてこない、
隣の「鳳凰堂」(多分平等院)もとても気に入っていて、
その二つを見比べているうち
伽藍を包む木々の深さが突然見えてきて、
と同時に鳳凰堂からこぼれる薄い明りも見えてきて、
私は感動してしまった。
そしてほかの会場を見た後もう一度その部屋に入ってみると
また違った絵に見えてきて・・・・

私は友人のお陰で、
実家に帰る度親父の絵をじっくり見直している。
まだ一度も見ていない作品が百数十点もある。
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