マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

新橋演舞場で『二月競春名作喜劇』を観る

2019年02月07日 | 映画・美術・芝居・落語

 4日(月)に、頂いたチケットで新橋演舞場・名作喜劇2本を観て来た。
 1本は『華の太夫(こったい)
道中』でもう一本が『おばあちゃんの子守唄』。”新派130年、松竹新喜劇70年合せて200年達成!夢の競演”とあるように、両劇団の合同公演で、『太夫道中』は新派の、『子守唄』は新喜劇の代表芝居らしい。









 実は、その1週間前の1月28日に「徹子の部屋」を観ていたら、波乃久里子と藤原紀香が登場し、二人が『華の太夫道中』で共演することを知った。芝居の内容を綴る前に少し横道に逸れる。藤原紀香との婚約が決まった片岡愛之助は以前から親しかった久里子に「私のフィアンセを紹介します」と二人を引き合わせた。以来親しくなった二人が共演するに至ったのは、藤原紀香への新派からの強烈な誘いがあったからかも知れない。1958年に京塚昌子が演じた太夫の役を紀香が演じれば一段と華やかさがますだろうとは私でも思う。
 芸事の何も出来ないきみ子(藤原紀香)に遊郭の女将おえい(波乃久里子)が厳しく芸事を仕込み、太夫道中にまで育てあげる。これが芝居の骨格の筋書だと理解し、紀香の太夫姿も観たくて演舞場に出掛けていった。
 
 時は昭和23年秋、処は京都、島原遊廊の宝永楼。裏のガス会社のストライキが遊廊にまで飛び火し、太夫たちは団結し女将に待遇改善の要求書を突きつけるという場面から物語は始まる。時代背景が挿入されていた。
 そんな喧噪のさなか、安吉と名乗る男が宝永楼に現れ、2万円で妹を引き取って欲しいと頼み込む。2万円を手にして安吉が去った後、残されたきみ子の話を聞いて女将も太夫達もびっくり。きみ子は安吉の妹ではなく妻
で、実は妊娠しているとの打ち明け話。陣痛できみ子がのたうち回るところで一幕目の幕が下りる。
 二幕目は女将がきみ子に唄と三味線を仕込む場面。きみ子を一人前の芸者にしようと厳しく躾ける女将。この女将おえいの役は久里子の当たり役だそうで、気は強いが人情に脆いという役どころは久里子にピッタリ。(紀香は三味線を弾いたことはなかったが、この役の為に三味線を習って舞台に臨んだらしい)
 三幕目。きみ子の産んだ男の子は4・5歳に成長していた。きみ子は太夫となり道中の準備中。そこへきみ子を身請けしたいという御仁の代理人が現れる。それも正妻として。こんな良い話はないと宝永廊の一同は大喜び。しかしきみ子は「私には思う人がいますからこの話お断りして下さい」と。残念がる女将たち。
 暫くして身請けしたいと語った本人が現れる。眼鏡を取り、付け髭を外すと現れた顔は、逃げる様に去っていった安吉。怒りを爆発させる女将おえい。しかしきみ子は安吉を許す。太夫道中を子どもを抱いて見守る安吉。メデタシめでたしで喜劇は幕となる。
 冒頭に登場させた太夫たちの”団体交渉”はその後なんの展開も見せないし、ストーリーもいたって単純なのだが、最後に見せ場がやって来る。華やかな衣装を着飾った紀香の花魁道中。高い下駄を履いたうえ、背の高い紀香の太夫は可憐なうえに堂々としていて見栄えがした。花道真下の席が空席でそこへ移動可能だったのだが、道中は花道を通らないで終わった。その点が実に残念だった。

 
 
 
 

 
 

 


春の足音が聴こえる

2019年02月05日 | 身辺雑記

 昨日は暖かかった。天祖神社裏のロウバイは咲き始めてから相当日数が経ち、清和公園の河津桜も一輪咲いた。春の足音が微かに、着実に聴こえ始めている。(写真:春日にある清和公園で)







 昨日の陽気に触発されたのではないが、春の花見に向けての準備をふたつ始めた。(写真:天祖神社裏門付近で)

 一つは「源氏の会」の恒例の花見。今年は3月30日(土)に飛鳥山と決めた。会はこの数年、六義園・小石川植物園・染井霊園・東大構内・アイソトープ協会・播磨坂・神田川河岸など、近辺の花の名所を巡って来たが、飛鳥山は訪れてはいなかった。そこで、今年は江戸時代から桜の名所として人気の飛鳥山となったが、宴を張るのではなく、そぞろ歩きで花を愛でようという趣向。散策前の飲食は「豫園飯店」で。昼のランチを10名で予約した。

 他の一つは元向丘高校同僚の皆さんとの「飛鳥山花見の宴」。こちらは2次会まである。1次会は公園内にビニールシートなどを敷いて、桜の下での花見。2次会は10数年変わることなく利用し続けている「豫園飯店」で。昨年の会終了後、今年の予約をしてきたはずだが、記憶が曖昧なので確認の電話を入れると、”4月2日(火)19時から15名様で予約されています”との返事。
 そこで早速「”飛鳥山花見の宴”のお知らせ」を作成し皆さんに連絡した。メールでの連絡が16名、ハガキ送信が4名。果たして15名の方の参加があるだろうか?

 多い時は20名弱の参加があったこの会、この3年間で来られなくなった方が数名ほどおられる。昨年癌で亡くなられた先輩、3年前に肺塞栓で倒れられた方、咽頭癌等の手術で声を失った後輩。高齢ゆえ夜遅くの飲酒は不安だという方もいる。死・病・老など、人との別れは世の常なれど悲しく淋しい。
 参加を呼び掛ける方の中で現役は2名になってしまい、時の流れを感じてしまう。

 


『伝書鳩(レース鳩)のお話会』を終えて(その2)

2019年02月03日 | 学び舎

 尾上さんの話は鳩レースから離れ、鳩の歴史・その帰巣性や身体的特徴へと移って行った。私が特に興味を抱いたのは、鳩は何故1000km以上も離れた遠隔地から帰巣出来るのかと言う点だった。



 その理由の一つが聴力だった。鳩の聴覚は人間と比較して比べようもないほど優れ、2000kmも離れた山の風音や海の波音を聞き分けるそうな。疑っては申し訳ないが、本当だろうか?
 次に挙げたのが”超速脳”だった。一般的に言って鳥類は哺乳類に比べてはるかに速いスピードで意思決定する脳を持っている。空中を高速で飛行するという危険性と多様性の中で必然的に体得したものと考えられているが、その脳については世界中の学者によって現在も研究や実験が行われている。それら鳥類の脳のなかでも鳩の脳は、あらゆる鳥類の代表とみなされているそうな。(写真:キングオブジャパン号)



 超速脳以外に体内時計と体内コンパスも身に付けている。渡り鳥の多くは昼間は太陽を、夜間は星座を基準に方向を認識していると言われているが、月も太陽も常に動き、季節によってもその場所は一定していない。方向感覚を修正できるのは自分の身体のなかにある体内時計と体内コンパス。それによって太陽が見えない時も地磁気を頼りに方向を知ることが出来る。
 自分の鳩舎に近づき周辺の地形を視覚的に認知すると、自分の頭のなかにある地図の中から山や建物を目安にして鳩舎の位置を確認できる。見慣れた地形や場所が分かると有視界飛行となり、200m上空を飛んでいても地上のトウモロコシ一粒までも発見できる視力をもとに帰巣点を見つけ出すとも言われている。優れた地形認識能力と超視力をも持っているというわけだ。(写真:尾上鳩小屋)
 最後に挙げたのが、長距離を飛び切る優れた羽。鳩は、体の大きさに比べて大きな主翼を持ち、しなやかな羽軸は長く強靭で美しいのが特徴。その下で分厚い副翼が支えているという羽根構造。
 街中の道を歩いていても道に迷ってしまう私達人間と比較して、鳩とくに伝書鳩には数々の超能力あり、それらの総合力によって、遠隔地から帰還できることが理解出来たのでありました。
 鳩の”一夫一婦制”について聴衆の反応は強かった。番い(つがい)となったオスとメスは滅多に”浮気”しないそうだ。オスとメスが交互に卵を温める習性が関係するらしい。雛から孵る2羽の小鳩はオスとメスというのも不思議。
 
 幾つか質問が出された。「購入して来た鳩のパートナーはどうやって見つけるのですか」と質問には「成り行きに任せます」(爆笑)。(写真:鳩小屋内部)

 「どの鳩が優勝したのかどうやって判定するのですか」との問いには「鳩レースの優勝を決めるのは鳩時計に記録された時刻です」。質問者の疑問はまだ解けていない。
 「東京オリンピックの際尾上さんの鳩は飛んだのですか」。「私の鳩は30羽飛びました」と。





 普段では聞けない面白い話だったとの感想が多く寄せられた。86歳の方が矍鑠と語る姿に驚かれた方もいた。尾上さんお疲れ様でした。ご苦労さまでした。(写真:語り終えた尾上さん)
 
 




   

 
 


『伝書鳩(レース鳩)のお話会』を終えて(その1)

2019年02月01日 | 学び舎

 1月29日(火)、『伝書鳩(レース鳩)のお話会』が参加者24名のもと、本駒込地域活動センターで行われた。
 語り手は、「尾上小鳥店」の経営者だった、86歳の尾上(おがみ)多喜雄さん。お話会の主催者の一人津久井さんの紹介によると、彼は豊島区のある町会の会長を30年間も勤められるかたわら、伝書鳩を約40年も飼われ、鳩レースには何回も参加し優勝した経験も多数ある。そのエピソードの数々や伝書鳩についての話を2時間半近く熱く語った。私はパワポを用いて映像面でのお手伝い。
 はじめに語ったのは、ドバトと伝書鳩の違い。伝書鳩の元もとはドバトと同種類のものだったが、その優れた帰巣性と長距離飛行の特徴を生かして人工的に改良したものが伝書鳩。かっては「伝書」という通信手段としての役割を担っていた。今では鳩小屋も解体し、鳩の飼育も中止して20年近くも経つが、年に2~3回は鳩の夢を見、涙をながすほどの「ハトキチガイ」。
 鳩レースに参加して2年目。東京から600km離れた野辺地からのレース。今か今かと鳩の帰りを待ちわびる目に、北西の方向からごま塩のような黒点が見る見るうちに影が大きくなり鳩舎目がけて猛烈なスピードで鳩小屋の到着台に舞い降りたバンデン号!後で分かったことだが、参加532羽のうち帰還出来た鳩は3羽のみの過酷なレースでの優勝だった。バンデンは輸入したバンデン・パパ号の直仔だった。

 その後1000kmも離れた汐見(北海道羽幌町付近)からのレースでも初挑戦にしての優勝し、連合会の中で一躍注目を浴びるようになっていった。しかし、稚内1100kmからのレースでは必勝の思い出参加させたバンデン号は7日の記録期間中にも帰還せず、意気消沈し諦めかけていた17日目、息絶え絶えに舞い降り、羽はバサバサでヨレヨレの鳩はバンデン号だった。自分と
向き合った鳩の目に涙。鳩にも気持ちがあり、その気持ちが以心伝心で伝わった瞬間。それ以来鳩の世話に心血を注いできた。

 一気に個人的・具体的な経験や思い出を語ると話は鳩の歴史・その帰巣性や身体的な特徴へ移っていった。(つづく)

 
 
 



 今日の一葉:雪かと窓の外を見ると月と金星が輝いていた